南飛騨・茂谷を溯って八尾山へ2012年06月10日

茂谷最大の滝を登る
 6/9(土)夕方、W君とは6時栄で合流する。お買い物を済ませて久々に中津川ICからR257を走る。あいにく小雨模様で、仮眠場所に難儀する。道の駅の一角で車中泊する。
 6/10(日)は5時少し前に起きた。W君は仕事疲れを引きづったままのせいかぐっすり眠ったという。いつものミニ宴会もパスして寝覚めはいい。そこから登山口の茂谷までは大して時間はかからない。
 地形図で現在地を確認し、午前6時半に出発した。いきなり冷水に浸るがそれが沢登りである。最初は大きなゴーロの間をすり抜けて溯った。錆びたワイヤーロープや粗大ごみがあって興ざめであったが、高度を上げると、岩盤が出てきた。
 これが濃飛流紋岩といわれる岩体だろうか。近くには景勝・中山七里がある。それも濃飛流紋岩という。地質は堅く、侵食に強いそうである。まるで熊手で引っかいたような岩の面で沢足袋のグリップもいい。花崗岩のような脆弱性はないので、支点も決まりやすい。砂地もほとんどない。直登しながら高度を上げてゆく。
 すると次々に見せ場がでてきた。沢の上部は万緑で覆われているので少し暗い感じがする。それでも渓相は美しい。地形図の表現通り、緩やかな傾斜である。それだからといって気を緩めていると、手応えのある滝に圧倒される。
 茂谷最大の滝が現れた。ザイルで推測15mくらいか。遠くで見ると圧倒されそうに見えたが近づくとやや傾斜しながら水を撒くような美しい滝だった。直登可能と判断して、ザイルを出した。トップはW君が右岸の水流に沿って登った。一旦、小さな立ち木にスリングをセットし、今度は私がリードしていった。支点はあり、難度はさほどでもない。しかし、見下ろすと中々のスリルがある。
 気分を良くして登って行くと、工事中の林道に出会った。谷の景観が台無しだ。美渓もこれまでか。
 気を取り直して遡行を続けた。どこまでも林道工事が並行してついてくる。上部ではボサで谷も埋まっている。万事休す。歩きにくいボサの中を溯った。自然林の中へ吸い込まれていくように見えたが谷は荒れたままで終わった。尾根へ飛び出すと柿坂峠からの登山道に出会った。一と登りで山頂だった。青葉若葉の美しい山頂である。
 樹林の中で何も見えず。一段低い平らなところで休憩。涼しい風が吹きぬけてゆく。その後、下山は尾根を下ろうと行くと、もう一つの山頂を「発見」した。八尾山の石碑、石で囲った簡単な祠もあった。八尾権現というらしい。少し下ると巨岩に支えられていることが分かった。岩の上からは位山三山がかろうじて眺められた。御岳は雲に隠れたままだった。いつぞや登った若栃山とも再会した。
 金属製の箱には地元の愛好家らのノートも詰まっていた。意外に良く登られている。中には代参という言葉もある。代わりに登ってもらい、ご利益を得ようというのだろうか。
 そのまま尾根を下ると、地元民のピンクのテープと道標があり、このまま下ることにした。よく整備されていたがなんと、新しい林道に降り立った。往くときには気がつかなかったが、八尾権現の登山口の道標もあったのだ。さてどうするか。地形図と相談して、大平山から茂谷へ下る送電鉄塔巡視路を下ることにして林道歩きを続けた。林道の途上、三角錐の美しい山容の八尾山が眺められた。こんな山容だからこそ信仰の対象にもなるのだろう。
 二分する林道を右折し、大平山に入って、鉄塔の根元に来た。ところが当てにしていた巡視路はなかったのである。特別歩きにくい尾根でもないので強引に下ることにした。足元には藪はなかった。終始、杉、檜の植林内を下る。最後は古い畑、山葵田跡に降りた。それを伝うと人家に下れた。家の人につかまり、おまえ達を心配していた、という。朝7時ころに出てまだ帰らないので警察に通報する心の準備中だったそうだ。しばらくは山びとと四方山話を楽しんだ。私達は4時半、下山した。

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