「東海山岳」11号編集会議2012年06月04日

 今日も夕方から呼び出されて出版社へ行く。前回挿入した写真のレイアウトのチエックとキャプションの見直しである。写真を配置してみると見違えるような感じを受ける。登山家の青春群像を見事に表現している。
 設立当時は個人が登山家として独立していた。山岳会に入会してから何かを教わるということはなかったのである。あれから幾星霜というと大げさだが、今は個人として立っている登山家は居なくなってしまった。山岳会の運営は安定して会員数も大幅に増えた。行事はかなりの数に上る。盛会を保っているように見えるが実は崩壊の過程かも知れない。
 それに加えて元会社員(特に大会社)、元公務員が増えた。加えて朝日、中日、NHK各社のマスコミ系の登山教室でもカラーが違うようだ。愛知県労働協会系もいる。自分は元部長だった、元区長だった、あるいはマルマル長と過去の役職を誇りに思うのは良いが、山岳会では通用しない。天下りは駄目なのである。
 山岳会は基本的にクラブ・サーヴァントの世界である。全体への奉仕者ということ。英国山岳会のコピーなので或いは「神がわれわれに何をしてくれるかよりもわれわれが神になにができるか。それを問いたまえ」というキリスト教に根ざした精神もコピーしているかも知れません。
 日本にしっかり根付いたのは幕末から維新にかけての日本人の英知ー公の精神ー日本人同士争わないーがあったからだと思います。そのことは英国人・宣教師のウエストンが『日本アルプス 登山と探検』の中で当時の日本社会をしっかりと観察しています。物質的に豊かではないが貧しい生活ではない。日英は生麦事件以来、騎士道と武士道の国同士の交流史があります。
 そのサーヴァントの精神もいかに継承するや。何より、自然に向かう登山は人権とか、既得権とか、弱者救済といった人間社会だけで通用する甘えは許されない。ベテランであれ、初心者であれ、何であれ、容赦なく牙を剥くことがある。楽しくやる前に心がけて置きたいことがある。そんなことを伝えて行きたい。