鈴鹿・元越谷遡行から高円山へ2012年06月03日

 6/2(土)から6/3(日)のゆったりした日程で鈴鹿近江側の元越谷の美渓を溯った。
 6/2は名古屋市金山駅前に集合、もう一人は菰野の道の駅で合流した。鈴鹿山脈は雲が覆う。稜線が隠れ、中腹まで、低く垂れ込めて、いつ降り出すか分からない。鈴鹿スカイラインの修復工事後、初めて通行するが、御在所山登山口付近は、いつもの賑わいである。
 峠のトンネルを越えて、元越谷の林道まで入る。三重ナンバーの釣師が一人来ていたが、もう引き上げるようだ。予めビバークの用意を含めてパッキングしておいたので出発する。
 林道の二俣を飾る藤の花を見る。以前に来た際も見た。今時の鈴鹿はどこもかしこもタニウツギや藤の花が美しいことだろう。左折して、入渓地点は林道から、砂地を経て下った。とりあえず、今日は大滝までの偵察行とした。ザックはここにデポした。堰堤の高巻き、滝を直登できないので左岸の高巻きの下りにはロープが張られていたが、懸垂下降のトレーニングをした。
 次は大滝手前の釜の右岸がわのヘツリを実施。女性1名はロープで確保して通過、男性Aは完全に通過、男性Bがどぼんと落ちた。すぐに達者な泳ぎで溯った。生まれは渥美半島というから泳ぎは得意だろう。そこからすぐに大滝に着く。
 大滝からは右岸の山の斜面のボサを分けて、林道へ登った。ザックのデポ地点までいくらもかからない。デポ地からすぐ上流の右岸側の台地にツエルトを張ってビバークした。あるだけの流木も集めて焚き火の準備もする。夜は夕食をとりながら、山談義に終始した。
 6/3、午前5時起床。昨夜の残りの流木に火をつけて焚き火を起す。心配していた雨は降らなかった。気温もやや低めで、蛭は1匹もいない。パックのごはん、なめこ汁など簡単な朝食を済ます。その後、焚き火に石や砂をかけて、更に水をかけて消火。
 行動食、ザイルなどの必要装備のみで軽量化して6時半出発した。偵察後のルートの重複を避けて、昨日戻った林道のルートを辿り、再度、ボサの斜面を下ってヘツリした釜に出た。また大滝へはすぐだった。いよいよここから本番だ。左岸側の崩れ易いルンゼを攀じ登る。途中から岩尾根をまたいで滝上にも出られるが、今回はもっと上部を巻いた。見立て約10m強であるが、見下ろすと恐怖感があるのか、同行者は20m否30mあるなどど言っている。30mのザイルを半分にして、すなわち15mでも少し余る程度。懸垂で下降する。次々に降りてもらう。昨日の懸垂トレがここで生きた。
 滝上の谷へ戻るポイントを無事通過できてほっとした。ここからは白い花崗岩の美しいお釜の続く美渓ゾーンになる。鈴鹿でもここ以上の美渓があるだろうか、と思うほどの美しさである。二俣は必ず、地形図でチエックする。仏谷出合からは仏谷に入る。この谷もしばらく渓谷美を見せたかと思うと、美しい雑木林の広がる源流地帯になる。なぜかヤブレガサが一杯生えている。
 傾斜がやや急になり、あるかないかの踏み跡を辿るとガードレールのある車道に出た。高円山の電波反射塔への車道だ。車道を行くと電波塔はすぐだ。以前にはなかった山崩れの土留め防止工事が大規模に進行中だった。その一角に立ってみると、最近、蛇抜けが発生したようだ。それは電波塔の敷地まで50mもないだろう。、道路まで後20mくらいだろうか。要するに土砂崩れで建物を失わないためだろうか。
 そこから空身で高円山を往復した。吊り尾根の上にはかすかな踏み跡があって迷うことはない。ガレもあるが大したことはない。数は少ないがシャクナゲの花が未だ残っている。尾根には常に北からの冷たい風が吹きぬける。山頂からは綿向山の雄姿が素晴らしい。少し下ると、雨乞岳も見える。それも吊り尾根で結ばれている。往路を戻る。
 12時に車道を下り、約50分ほどで分岐のある橋へ戻った。帰りには「かもしか山荘」へ入湯にいくが閉鎖中で平成25年までかかるという。地元民は甲賀温泉(約6KM)へ行ったらと案内されて行ってみたら、入湯料は1回1500円と言うので引き返した。結局、鈴鹿スカイラインに戻り、湯の山温泉の希望荘(500円)で済ました。

「東海山岳」11号編集会議2012年06月04日

 今日も夕方から呼び出されて出版社へ行く。前回挿入した写真のレイアウトのチエックとキャプションの見直しである。写真を配置してみると見違えるような感じを受ける。登山家の青春群像を見事に表現している。
 設立当時は個人が登山家として独立していた。山岳会に入会してから何かを教わるということはなかったのである。あれから幾星霜というと大げさだが、今は個人として立っている登山家は居なくなってしまった。山岳会の運営は安定して会員数も大幅に増えた。行事はかなりの数に上る。盛会を保っているように見えるが実は崩壊の過程かも知れない。
 それに加えて元会社員(特に大会社)、元公務員が増えた。加えて朝日、中日、NHK各社のマスコミ系の登山教室でもカラーが違うようだ。愛知県労働協会系もいる。自分は元部長だった、元区長だった、あるいはマルマル長と過去の役職を誇りに思うのは良いが、山岳会では通用しない。天下りは駄目なのである。
 山岳会は基本的にクラブ・サーヴァントの世界である。全体への奉仕者ということ。英国山岳会のコピーなので或いは「神がわれわれに何をしてくれるかよりもわれわれが神になにができるか。それを問いたまえ」というキリスト教に根ざした精神もコピーしているかも知れません。
 日本にしっかり根付いたのは幕末から維新にかけての日本人の英知ー公の精神ー日本人同士争わないーがあったからだと思います。そのことは英国人・宣教師のウエストンが『日本アルプス 登山と探検』の中で当時の日本社会をしっかりと観察しています。物質的に豊かではないが貧しい生活ではない。日英は生麦事件以来、騎士道と武士道の国同士の交流史があります。
 そのサーヴァントの精神もいかに継承するや。何より、自然に向かう登山は人権とか、既得権とか、弱者救済といった人間社会だけで通用する甘えは許されない。ベテランであれ、初心者であれ、何であれ、容赦なく牙を剥くことがある。楽しくやる前に心がけて置きたいことがある。そんなことを伝えて行きたい。

中村保『最後の辺境 チベットのアルプス』(東京新聞2012年)購入2012年06月06日

 JACの会報等で著者の名前は知っていたが、遠いヒマラヤへの関心は薄かった。私などは国内でもまだまだ未踏峰が数多ある。この3月東海支部の50年史を編纂中に中村保氏の名前もちらっと見て、息の長い人との思いを隠せなかった。
 表題の本から16年前の1996年には『ヒマラヤの東』を山と渓谷社から出版されて話題を呼んだ記憶がある。その後は『侵食の深い国』『チベットのアルプス』(いずれも山と渓谷社)を出版し、三部作完成とされた。
 ヒマラヤの地域研究としては屈指のスケールの大きさ、と広さ、深さに尊敬の念を込めて購入した次第。『ヒマラヤの東』は古書店に注文しておいたのが、今日届いた。どちらも立派な装丁である。
 支部の50年史の最後には「テラ・インコグニータ(知られざる土地)」の語彙を含ませた。山屋とは困難を克服する垂直の登攀のみならず、こうした行き方もあるという意味である。
 若い頃に一時的に熱を入れて活躍するも、壮年になるともう盛りを過ぎて、ただのおじさんになってしまう口先だけの登山家を何人も見てきた。この著者も「キセル登山家」と自虐的に言われるが、定年後も実行することはもっと尊いものだろう。そして書くことはもっとも尊敬に値すると思う。
 まさにパッピーリタイヤメントである。
 今西錦司さんも『私の自然観』(講談社学術文庫)-よい地図よいガイドブック(1960)-の中で「しかしまた、ヒマラヤにも初登頂のなくなるときが、早晩なくなるときがやってくるにきまっている。そのときがきても、登り古されたヒマラヤに登ろうと思って、中略、時間と金とを工面して、ヒマラヤへ出かける人のあったほうが、世の中は楽しいであろう。」と提言されていた。必ずしも登り古された地域ではないが、中村氏の行き方を示唆されたのではないかと思う。

 改めて今西さんの本書を読み直すとまた発見があって嬉しくなる。沢歩きこそは登山の神髄、登山というより冒険に近い、など、お説のとおりと首肯するのである。

東海地方も梅雨入り!2012年06月08日

 名古屋地方気象台は午後4時に梅雨入りしたと見られると発表。エアコンの効きが良くて小寒い。外で降雨の音に気がついて窓を開けると降っていました。エアコンもオフにしました。
 明日は久々の夜発で南飛騨地域の沢登りに出かける予定。一日中雨らしいが夜は止む見込み。10日の日曜日は降雨率30%というから何とかなるかな。『ぎふ百山』の一座でピークはずっと前に踏んでいるが、沢は未知の世界。私にとってのテラ・インコグニータへの沢旅。検索しても既踏の記録はノーヒット。当たり外れは承知の上で行きましょう。

南飛騨・茂谷を溯って八尾山へ2012年06月10日

茂谷最大の滝を登る
 6/9(土)夕方、W君とは6時栄で合流する。お買い物を済ませて久々に中津川ICからR257を走る。あいにく小雨模様で、仮眠場所に難儀する。道の駅の一角で車中泊する。
 6/10(日)は5時少し前に起きた。W君は仕事疲れを引きづったままのせいかぐっすり眠ったという。いつものミニ宴会もパスして寝覚めはいい。そこから登山口の茂谷までは大して時間はかからない。
 地形図で現在地を確認し、午前6時半に出発した。いきなり冷水に浸るがそれが沢登りである。最初は大きなゴーロの間をすり抜けて溯った。錆びたワイヤーロープや粗大ごみがあって興ざめであったが、高度を上げると、岩盤が出てきた。
 これが濃飛流紋岩といわれる岩体だろうか。近くには景勝・中山七里がある。それも濃飛流紋岩という。地質は堅く、侵食に強いそうである。まるで熊手で引っかいたような岩の面で沢足袋のグリップもいい。花崗岩のような脆弱性はないので、支点も決まりやすい。砂地もほとんどない。直登しながら高度を上げてゆく。
 すると次々に見せ場がでてきた。沢の上部は万緑で覆われているので少し暗い感じがする。それでも渓相は美しい。地形図の表現通り、緩やかな傾斜である。それだからといって気を緩めていると、手応えのある滝に圧倒される。
 茂谷最大の滝が現れた。ザイルで推測15mくらいか。遠くで見ると圧倒されそうに見えたが近づくとやや傾斜しながら水を撒くような美しい滝だった。直登可能と判断して、ザイルを出した。トップはW君が右岸の水流に沿って登った。一旦、小さな立ち木にスリングをセットし、今度は私がリードしていった。支点はあり、難度はさほどでもない。しかし、見下ろすと中々のスリルがある。
 気分を良くして登って行くと、工事中の林道に出会った。谷の景観が台無しだ。美渓もこれまでか。
 気を取り直して遡行を続けた。どこまでも林道工事が並行してついてくる。上部ではボサで谷も埋まっている。万事休す。歩きにくいボサの中を溯った。自然林の中へ吸い込まれていくように見えたが谷は荒れたままで終わった。尾根へ飛び出すと柿坂峠からの登山道に出会った。一と登りで山頂だった。青葉若葉の美しい山頂である。
 樹林の中で何も見えず。一段低い平らなところで休憩。涼しい風が吹きぬけてゆく。その後、下山は尾根を下ろうと行くと、もう一つの山頂を「発見」した。八尾山の石碑、石で囲った簡単な祠もあった。八尾権現というらしい。少し下ると巨岩に支えられていることが分かった。岩の上からは位山三山がかろうじて眺められた。御岳は雲に隠れたままだった。いつぞや登った若栃山とも再会した。
 金属製の箱には地元の愛好家らのノートも詰まっていた。意外に良く登られている。中には代参という言葉もある。代わりに登ってもらい、ご利益を得ようというのだろうか。
 そのまま尾根を下ると、地元民のピンクのテープと道標があり、このまま下ることにした。よく整備されていたがなんと、新しい林道に降り立った。往くときには気がつかなかったが、八尾権現の登山口の道標もあったのだ。さてどうするか。地形図と相談して、大平山から茂谷へ下る送電鉄塔巡視路を下ることにして林道歩きを続けた。林道の途上、三角錐の美しい山容の八尾山が眺められた。こんな山容だからこそ信仰の対象にもなるのだろう。
 二分する林道を右折し、大平山に入って、鉄塔の根元に来た。ところが当てにしていた巡視路はなかったのである。特別歩きにくい尾根でもないので強引に下ることにした。足元には藪はなかった。終始、杉、檜の植林内を下る。最後は古い畑、山葵田跡に降りた。それを伝うと人家に下れた。家の人につかまり、おまえ達を心配していた、という。朝7時ころに出てまだ帰らないので警察に通報する心の準備中だったそうだ。しばらくは山びとと四方山話を楽しんだ。私達は4時半、下山した。

梅雨の八尾山・吟2012年06月11日

草茂る中に墓地あり登山口

万緑の中や谷間を溯る

滝つぼに腰まで浸かり滝を越す

大滝やザイルで確保しつつ攀づ

滝飛沫浴びつつ攀づや梅雨の山

山稜を吹き抜けてゆく梅雨の風

目に優し青葉若葉の飛騨の山

御岳を隠そうべしや梅雨曇り

飛騨びとと語らううちに汗が引く

交流会は延期2012年06月16日

To: 愛知県連:T委員
Subject: 16日の件

お世話になります

16日の北谷小屋の遭難防止委員の技術(飲む・買う・打つ?)の

    交流会ですが  天気が芳しくありませんが

    雨天決行でしょうか

Subject: RE: 16日の件

TSS Y 様

 お世話になります。

  6月16日 交流会は延期です。

   6月30日(土)の本宮山への参加をお願いします。

     愛知岳連 遭難防止委員会 T

 というわけで激しい降雨、雷雨も予想されるので楽しみにしていた交流会は延期となった。山岳遭難防止委員が大雨で遭難していては笑い話にもならない。
 実は北谷小屋はまだ泊まったことがないし、藤内小屋も崩壊以来、行った事がない。モンベルさんの寄付や多数のボランティアにより、奇跡的に再建された小屋を見に行くチャンスだったが残念でした。

台風4号愛知県を通過2012年06月20日

 6/19は6月としては8年ぶりという台風4号が、愛知県豊橋市に再上陸して北上していった。朝から強風がうるさい音を立てて吹いていた。登山用の高度計では普段、標高15mくらいであるが、朝は105m、午後200、超、夜は編集会議に出かけて帰る際は330mを指していた。天白川の水位もかなり高く、濁流が流れていた。帰宅後は突然のように風も止んで静寂を取り戻した。高度計も220mに下がっていて、熱帯低気圧が去っていくのが分かった。
 メールを開くと、岳連理事会は台風のため中止との連絡が入っていた。会員の山岳会には遠く、豊橋市、蒲郡市など東三河もいるからだろう。こちらはうっかり、別の会議を優先していて忘れていたからホッとした。
 今朝は天白川の水位も下がり、中洲も見えている。濁流だがもう平時にもどるだろう。ベランダの鳩除けネットがまた壊れて、応急処置しておく。台風はまだまだ来襲するらしい。当たり年になるんでしょうか。

都会でちょっと、クライミング!2012年06月21日

 さる5/20にオープンした名古屋市中区上前津にOMCビル地下にあるThumbsUp(サムズアップ)をのぞいたら若いクライマーでにぎわっていた。約1ヶ月でこの賑わいならブームは本物であろう。

http://www.omcwall.com/
http://www.bouldering-navi.com/2033/gym-thumbs-up
http://ameblo.jp/omcwall/
http://epjfire.exblog.jp/d2012-05-20/

 私の山友もクライミングウォールのトレーニングでめきめき腕を上げた。市内なら仕事帰りに、常時、通えるのも便利でいい。
http://koyaban.asablo.jp/blog/2012/03/23/6385823
は鈴鹿の藤内壁の中の一の壁であるが、旧OMCクライミングウォールその他の人工壁に通って、こんな垂直の登攀が可能になったのだ。

梅雨も一休み2012年06月22日

 地下鉄・久屋大通り駅の階段を2段づつ駆け上がると、桜通りに面した歩道にでる。名古屋市中区桜通りと久屋大通りの一角。少し、息を整えて、また歩き出す。
 丸の内暮色。ビジネス街のたそがれ時である。会社員、OLらは足早に帰宅を急ぐものあり。こちらはもう一仕事だ。
 西の方角にはいつもの十六銀行ののっぽビルが見える。青みがかったガラスで覆われたビルだ。その北面に西日が映えていつになく美しい。折から、梅雨の風がやや強めに吹き抜けてゆく。その風に乗って、焼肉屋からはきだされたにおいが強烈に空腹を刺激する。芭蕉は「市中はもののにおいや夏の月」と詠んだんだけれど、暑苦しい夏の月ではなく、大西日だから・・・。「ビル街に焼肉におう大西日」か。
 懐かしい裕次郎の歌を聴いてみよう。「白い街」
 
http://www.youtube.com/watch?v=VuIxFzM4QTU