映画「若松孝二実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」鑑賞2008年02月23日

2007年制作。若松孝二監督。名古屋シネマスコーレで上映中。ベルリン映画祭でなんとか賞を受賞したと新聞で知って観にいきたいと思っていた。
 山よりも寒い名古屋の街。名古屋駅西口を出て映画館に向うが分からない。行き過ぎた感じがしたので聞くとかなりすぎた様なので戻る。
 入口でチケットを買うと1600円也。入場すると客の入りは少な目。映画は雪景色の浅間山のショットがでて「あさま山荘への道程(みち)」を暗示。安保闘争のニュース映画をはさみながら過ぎた時代を振り返り、観客をいやおう無くタイムスリップさせる。学生運動のショットを端的に積み重ねながら赤軍派結成への過程を示す。ただし説明的ではない。ショットはみな短くて一定のリズムがあり、川底を静かに流れるようである。
 静かな流れは銃砲店で銃を奪ったり、カネを奪ったりしながらうねりを高めていく。軍備が出来た。カネもある。次は革命のための軍事訓練へとエスカレートする。舞台は東京から関東甲信越の山岳地帯に移る。大菩薩嶺、榛名山、丹沢山系、奥多摩といった登山の対象となっている山々である。そんな所にアジトを建築して訓練生活する。キスリング姿は登山者そのものである。
 しかし、一連のアジトで次々と総括という名の粛清が行われた。陰湿な内ゲバ(暴力)の場面がこれでもかこれでもかと連続する。森恒夫を演じた地曳豪、永田洋子役の並木愛枝が迫真の演技でこなして行く。この映画の圧巻であろう。
 やがてアジトは警察に暴かれて追われるように山岳地帯を移動する。ついにヘリコプターで追跡が始まり、地上でも追われる。雪原を逃げ回るシーンは映画のポスターにも使われている。連合赤軍崩壊の足音が高まる。その象徴のような場面である。
 ついにあさま山荘に逃げ込み35年前、日本中をTVの前に釘付けにした10日間の銃撃戦の場面で終る。3時間10分。用意したカップ入りドリンクはついに一口も飲めないまま時間の経過だけがあった。異形であるが素晴らしい映画だった。
 私も同年代の人間であり、あの事件を決して忘れることはあるまい。私の入学した大学も学費値上げ反対の闘争が行われていた。当時の学長は追われて他大学に逃げてしまい、学長代行で運営という異常事態であった。毛沢東、マルクスレーニン主義を理解しようと「資本論」、「共産党宣言」、「矛盾論」「実践論」など難しい本を買って読んだがいっこうに理解が出来なかった覚えがある。ドラマの中の台詞も何を言わんとするのか理解不能だ。
 古くからつきあいのある知人で戦前の非合法下の日本共産党員だったMさんは私に「彼らは命がけで国家と闘っているんだ・・・」とエールを送っていた。一流大学の学生で恵まれているはずなのになぜ、親の仕送りをもらいながらなぜ、という疑問は今も解けない。映画には東海高校、市邨学園短大、東山工業高校など東海地方の名門の学生も混じっていて現実感がする。
 映画館を出ると13時30分。入れ替わりに多くの客が入っていった。おなかが空いたので遅めの昼食。映画館で買った「若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(朝日新聞社刊)の冊子を見ると帯封には若松監督の言葉として「映画に文法はない」というフレーズが目に止まった。これは小津安二郎の有名な言葉だ。名古屋シネマスコーレの過去の上映作品を観ると1983年の開業時と1994年には小津安二郎の作品を上映している。後輩監督たちに引き継がれていくのであろう。
 どちらも緩やかに進行していって最後に盛り上がる手法、それも家族の崩壊、学生運動の崩壊と大きな違いはあるが小さなすれ違い、ズレが生む崩壊感覚は似ている。3時間を短く感じさせるショットの小気味のいいスピード感覚も似ている。「浮雲」「東京物語」「祇園の姉妹」などすべてのいい映画に共通するのはそこなのである。

来島靖生編「岩本素白随筆集 東海道品川宿」を買う2008年02月24日

 いわゆる東京散策ものの一冊である。本といい雑誌といい東京散歩はそれだけで一冊の本になり特集になりうる。「東京人」「荷風」という雑誌まである。24日付けの日経新聞、毎日新聞のコラムで取り上げられていたので買ってみた。
 今まで永井荷風(1879-1959)くらいしか知らなかった。素白は品川の産で1883年生まれの1961年没であり、若干の違いはあるが多く荷風と重なる。荷風は1902年発表の「地獄の花」という小説で始まる。随筆は1915年の『日和下駄』が知られる。没後は「断腸亭日乗」という日記で有名になる。対する素白は1907年(明治40年)に小説を書いているが断念。1932年(昭和7年)に早稲田大学で随筆の講師となる。荷風は1910年に慶応義塾大学の教授になるから何といっても荷風の方がすべてに早い。
 『日和下駄』は雑誌「三田文学」に発表したものをまとめた。晴れた日は日和下駄を履き蝙蝠傘を持って東京市中を歩いたという。素白も晴れた日は杖を持ち裏町や寒駅を飄然と散策したという。まるで随筆文学の早慶戦のようである。どちらも急速に失われ行く古い江戸や明治のたたずまいへの愛惜では共通する。本書は歌誌「槻の木」に発表したものをまとめた。

来島靖生編「岩本素白随筆集 東海道品川宿」を読む2008年02月25日

 著者がまだ少年時代だった頃の品川宿の描写を読み進めて行くとはたと感じた。明治初期はまだ幕末とあまり変わりない風情が漂っていた。昨年観た川島雄三監督の映画「幕末太陽傳」で見た風俗と同じである。著者は品川遊郭を遊び場にしていた時期があった。それを思い出しながら散歩していたのだった。少年にしてもう儚い女の人生の裏表を知ってしまったのである。素白の号もその遊郭に因むという。
 永井荷風も向島の遊郭を舞台にした小説『墨東綺譚』を書いている。これは荷風が小説家の観察眼を働かせて書いた。そういう違いはあるが細やかな写実的文章と教養に裏打ちされた言葉が読者を惹きつける点は共通である。
 俳人の水原秋桜子は「自然上の真と文芸上の真」を主張したとおり句集『葛飾』の俳句は見たままでなく少年時代の記憶から取り出された描写であった。今眼前のものを忠実に写生するのではないのだった。これは素白の品川宿の手法と同じである。品川宿に限れば「品川奇譚」である。荷風は破滅的な生き方をしたが素白は早稲田大学の教授として堅実な人生を歩んだであろう。名声を得たばっかりに苦労した荷風を知らなかったはずはない。素白は荷風の名声を意識したかしなかったか、韜晦を守りむしろ無名に生きようとした。素白とは質素潔白を略したものだったと思いたい。

消えるゴールドマン魔術?報道について2008年02月26日

 26日の日経新聞夕刊の記事の見出しにあった。「米国市場」という見出しの中の「ウォール街ラウンドアップ」というコラムで24日のウォールストリート・ジャーナルの記事「ゴールドマン・サックスの業績悪化」を横流しする形で伝えた。
 G・Sは企業の買収資金を融資する金融の最大手といわれる。サブプライム・ローンの問題で昨年の夏以来の日本株の下げを演出してきた証券会社と見ていた。7月に一旦自然な下げがあったが8月以降の下げは同社の大量の大量カラ売りが主因と見られる。特に時価総額の大きい金融株を狙い撃ちしてきた。
 カラ売りで大儲けしたのはいいが自分の融資先の焦げ付きまで誘ってしまったようだ。今年に入ってからの下げは恐慌に近いものだった。大量の資金を使って13000円割れを実現。更に下げて個人投資家の悲鳴を聞いたような気がする。業績がいいのに何故かという疑問を持ちながら推移をみていた。投資家の株離れを誘ったがこの記事で一矢報いた気がする。
 いよいよ日本株が暴騰するのではないか。カラ売り筋は期限までに利益を確定し株を返さなくてはいけない。よく売り込まれた銀行、証券、不動産株、中国関連株、資源株など。それを買い戻して株主に返すためだ。
 非常に頭脳のいい集団であるというが良ければいいというものでもない。ノーベル賞学者を2名も抱えて破綻したLTCMの例もある。見境無くやりすぎれば自業自得であろう。
 もう一回、下げを誘うような悪材料を流して日経平均を下げてくる。そこが買い場か。下げすぎた日本株は元の株価に戻るしかない。

天白八景2008年02月28日

 近くにお住まいの知人からたよりをいただいた。
 そのやや重い封書にハガキ大の絵手紙が同封してある。それが「天白八景」の絵八枚である。著作権の関係で転載はできないので場所のみ挙げる。
1.塩竃神社
地下鉄の駅名にもある由緒ある神社。江戸時代は野並あたりまで海水域であったらしい。塩田で塩を作っていたのであろうか。
2.天白川緑地
植田川と天白川が合流するところを整備して人工的な美を表現している。
3.相生山緑地
里山に歩道を整備して憩いの散策路となっている。展望台もあり晴れれば遠望がいいだろう。少し下がった辺りに4等三角点もある。
4.市街地遠景
不明
5.細口池公園
不明
6.天白公園
一度だけ行った。野宿の人が保護されたことを思い出す。
7.農業センター
名古屋コーチンの肉を買いに行ったことがある。
8.平針歩道橋
R302と旧R153の交差点にある丸い形の珍しい歩道橋である。
多分近江八景や木曽八景に習って考えられたのであろう。天白区の観光につながるでしょうか。1から6は発案者に寄り添うとしても7.8はちと苦しい気がする。
 私なら鈴鹿山脈の夕焼け、恵那山の雪景色、御嶽山の遠望、天白川の水鳥を挙げる。季節とともに時とともに移り変わりゆく風景を楽しむゆとりが嬉しい。素白、荷風、波郷らは知られざる名所発掘の達人であったのかも知れない。