来島靖生編「岩本素白随筆集 東海道品川宿」を読む2008年02月25日

 著者がまだ少年時代だった頃の品川宿の描写を読み進めて行くとはたと感じた。明治初期はまだ幕末とあまり変わりない風情が漂っていた。昨年観た川島雄三監督の映画「幕末太陽傳」で見た風俗と同じである。著者は品川遊郭を遊び場にしていた時期があった。それを思い出しながら散歩していたのだった。少年にしてもう儚い女の人生の裏表を知ってしまったのである。素白の号もその遊郭に因むという。
 永井荷風も向島の遊郭を舞台にした小説『墨東綺譚』を書いている。これは荷風が小説家の観察眼を働かせて書いた。そういう違いはあるが細やかな写実的文章と教養に裏打ちされた言葉が読者を惹きつける点は共通である。
 俳人の水原秋桜子は「自然上の真と文芸上の真」を主張したとおり句集『葛飾』の俳句は見たままでなく少年時代の記憶から取り出された描写であった。今眼前のものを忠実に写生するのではないのだった。これは素白の品川宿の手法と同じである。品川宿に限れば「品川奇譚」である。荷風は破滅的な生き方をしたが素白は早稲田大学の教授として堅実な人生を歩んだであろう。名声を得たばっかりに苦労した荷風を知らなかったはずはない。素白は荷風の名声を意識したかしなかったか、韜晦を守りむしろ無名に生きようとした。素白とは質素潔白を略したものだったと思いたい。