秩父宮記念山岳賞受賞を祝う会 ― 2026年02月20日
2月20日の夜はテレビ塔の近くのビルで小宴に参加させてもらった。主賓は登山家で元名城大学教授、足利(旧足利工業)大学教授の沖 允人(おきまさと)氏。昨年末にJACの年次晩餐会で秩父宮山岳賞を受賞。主な業績は日本語版『インド・ヒマラヤ』、英文版『Indian Himaraya』を出版。御年91歳のご高齢ながら、足は不自由だが知的活動はしっかりしておられる。
今宵は出身地の広島市の弁護士の小野裕伸氏、石川支部で深田久弥と山の文化を愛する会の大庭保夫氏、飛騨市在住でK2登頂の登山家、登山ガイド、且つ唐松岳頂上山荘支配人の瀧根正幹氏ら縁の人も来名されて皆で祝った。
私にも何か喋れ、と言うので、思いついた話をした。先輩に透析患者がいて、いつ死ぬかも知れず、とこれまでに貯めた「岳人」のバックナンバーをくれた。昭和20〜30年代の貴重な資料と思ってありがたくいただいた。その中に沖 允人氏の執筆があった。中でも白山北部の名峰・笈ヶ岳の大畠谷(おばたきだん)の遡行記録は圧巻だった。遡行図を見てもゴルジュを示す毛虫(廊下)だらけの谷だった。豪雪の白山山系らしい。入渓したものの抜け出せないで谷の中を彷徨う記録だったからだ。
『日本百名谷』(白山書房)の81 境川 大畠谷の項目に引用されている。「大畠谷は1967年中京山岳会の沖允人氏らが遡行を試みようとして果たせず、フカバラ尾根を登ってト谷右俣を下ったのが山岳紙上にその名を知られた最初であろう。その後岐阜大学、大阪わらじの会が相ついで遡行を成功させたものの源流二俣の大岩壁帯には手が出せず尾根に逃れている。」以上(川崎実)
というほどの険谷だった。
沖さんは初登攀を狙っていたのだろう。ラテン語で「未踏の地」を意味する"Terra Incognita"。こんな精神で各地の山々を渉猟していった。
そして1983年には『奥美濃の山旅』という私家版150部を出版。奥様の孔版というところが凄い。奥三河の本、足利市に行ってからは足元の山々に登って出版という人生だった。さらに東海支部のインドヒマラヤ登山隊に参加、その成果は2015年に日本語版『インド・ヒマラヤ』(ナカニシヤ出版、6600円)を上梓、2022年に英文版『Indian Himalaya, An Illustrated Guide for Mountaineers』(日本山岳会東海支部・英語版)を出版。これが世界の登山家から評価を高めた。秩父宮山岳賞受賞にふさわしい業績であろう。先立たれた奥様の同席は敵わなかった。しかし娘さんが花束贈呈に駈けつけられたのは良かった。
今宵は出身地の広島市の弁護士の小野裕伸氏、石川支部で深田久弥と山の文化を愛する会の大庭保夫氏、飛騨市在住でK2登頂の登山家、登山ガイド、且つ唐松岳頂上山荘支配人の瀧根正幹氏ら縁の人も来名されて皆で祝った。
私にも何か喋れ、と言うので、思いついた話をした。先輩に透析患者がいて、いつ死ぬかも知れず、とこれまでに貯めた「岳人」のバックナンバーをくれた。昭和20〜30年代の貴重な資料と思ってありがたくいただいた。その中に沖 允人氏の執筆があった。中でも白山北部の名峰・笈ヶ岳の大畠谷(おばたきだん)の遡行記録は圧巻だった。遡行図を見てもゴルジュを示す毛虫(廊下)だらけの谷だった。豪雪の白山山系らしい。入渓したものの抜け出せないで谷の中を彷徨う記録だったからだ。
『日本百名谷』(白山書房)の81 境川 大畠谷の項目に引用されている。「大畠谷は1967年中京山岳会の沖允人氏らが遡行を試みようとして果たせず、フカバラ尾根を登ってト谷右俣を下ったのが山岳紙上にその名を知られた最初であろう。その後岐阜大学、大阪わらじの会が相ついで遡行を成功させたものの源流二俣の大岩壁帯には手が出せず尾根に逃れている。」以上(川崎実)
というほどの険谷だった。
沖さんは初登攀を狙っていたのだろう。ラテン語で「未踏の地」を意味する"Terra Incognita"。こんな精神で各地の山々を渉猟していった。
そして1983年には『奥美濃の山旅』という私家版150部を出版。奥様の孔版というところが凄い。奥三河の本、足利市に行ってからは足元の山々に登って出版という人生だった。さらに東海支部のインドヒマラヤ登山隊に参加、その成果は2015年に日本語版『インド・ヒマラヤ』(ナカニシヤ出版、6600円)を上梓、2022年に英文版『Indian Himalaya, An Illustrated Guide for Mountaineers』(日本山岳会東海支部・英語版)を出版。これが世界の登山家から評価を高めた。秩父宮山岳賞受賞にふさわしい業績であろう。先立たれた奥様の同席は敵わなかった。しかし娘さんが花束贈呈に駈けつけられたのは良かった。
最近のコメント