初詣登山2016年01月01日

 新年明けましておめでとうございます!

 早起きして、名古屋駅8時37分発の近鉄特急宇治山田行きで宇治山田駅へ行き、普通に乗りかえて朝熊駅で下車。10時50分、駅から伝統のある朝熊岳への登拝道を歩きました。途中で87歳の高齢のハイカーを抜きました。元気そのものです。いつまでも登山できる体力を維持していきたい。昔のケーブルの軌道跡を橋で渡る。尚も植林の中の道を登る。上から単独の人や家族連れが空身で降りてきた。
 朝熊峠で12時となり、とても眺めが良いので昼食。ここには昔、東風旅館という山宿もあったとか。峠から555mの山頂へ最後の登り。山上からは大展望でした。
 一旦下って金剛證寺に向かう。掃き清められた境内は淑気が漂う。ここで靴を脱いで、登壇し、参拝した。奥の院はパス。経塚の建つ経ヶ峰540mへ登り返し、朝熊ヶ岳の山腹を巻いて峠に戻った。
 峠からは狭い車道を歩く。これは昔の宇治岳道。子供の頃、小学生の同学年の母子づれで、よく鳥羽や伊勢に連れて行ってもらった。この山も多分、この道をバスに乗せてもらって登った気がする。所々には石垣が残り、茶屋の跡らしい。
 冬木立の中に1等三角点と天測点を見つけた。現在では利用されないが、地形図の測量史上、希少価値がある。少し先に御料局の標石を見た。この先はスカイラインと交差しながら、照葉樹林の木立の中の登拝道をだらだら下る。途中には小型トラックが放置してあった。下りきると、伊勢神宮を司る神宮司庁の境内に入る。道標はないので、地図で確かめて、職員等のマイカーが駐車してある建物を通り抜けると善男善女で溢れる参道に出た。遷宮時には参拝できなかったので、今日が初めてである。
 帰りにはお神酒をいただき、宇治橋を渡り、赤福餅を賞味した。おかげ横丁を横目に見て、近鉄五十鈴川駅までの徒歩は足に応える。約16kmの道のりを踏破した。17時10分の名古屋行き特急に乗車。

    伊勢の海航跡白し初御空

    山寺に踏み入れて満つ淑気かな

    朝熊より内宮駈ける初詣

    冬の日を浴びて嬉しき石仏

    登山後の体に甘きお神酒かな

    乙女げに少なくなりし春着かな

島津亜矢の「帰らんちゃよか」がブームになりそう!2016年01月08日

 昨年12月31日のNHK紅白で、島津亜矢さんが歌った「帰らんちゃよか」が大評判になっている。
 ふるさとを捨て、親を置いて都会で働く子供が親を心配する。歌はそんな都会で働く子の心理を慮って、「親の面倒を見るために故郷に帰らんでもいい」と歌うから、聞く方は贖罪感も有って泣かされる。望郷の思いをつのらせる歌である。
 都会で働くのは田舎では仕事が少ないこともあるし、何ものかになりたい夢を追うのであるが、挫折することもある。いわば生存競争の場である。だから「それで巧く行っているかい」と熊本弁で激励もする。子への応援歌でもある。
 かつて、小津安二郎の映画「一人息子」を鑑賞した。長野県らしい田舎から一人息子を東京の大学へへ進学させる。家を売って、「かあやん」は住み込み工員で働き、学費を捻出するが、・・・・。卒業後、息子は高級公務員になっていると夢を見たが、夜学の教師に落ちぶれていたという話を思い出す。いつの時代でも親は子のことを思うことに変わりない。そういう普遍性が日本中の人の心にしみわたった。
 ファンサイトに投稿されたユーチューブで毎日、再三再四聴くが、圧倒的な歌唱力を抑えて、語りかけるごとく、女神のように優しく歌う。あれ、ちょっと違うなと思う。ただ巧いだけじゃない。
 ユーチューブを見ても、今までにない投稿があり、数が増えた気がする。今まで知らなかった人が新たなファンになったのだろう。以前から固定ファンはいた。私も4年前に圧倒的な歌唱力にサプライズしてからファンの1人になった。こんな巧い歌手がいたのか、という驚き。機会を見てコンサートで生声を楽しんでいる。

新年会2016年01月11日

 1/8に愛知会の中央支部の新年会があった

あいさつの長々つづく新年会

名駅の超高層の新年会

新年会摩天楼にて宴かな

イタリアンされど前沢牛を食ふ

 1/12、1/13、1/16と続く新年会のためにも控えめが良い
 ヘルシーなイタリアン料理でした

新年会控へめに出るイタリアン

 1/9は句会の会員が新年のごあいさつに来られた

干し柿を土産にもらふ新年会

嫁に行かぬ娘の話新年会

干支の山2016年01月16日

干支の山に登ってきました。
子・・・子ノ泊山(ねのとまりやま) 南紀にある1等三角点の山です。子は北の方角を表し、熊野灘を航海する船頭の目安になったそうです。他に奥飛騨には大鼠山(未踏)がある。
牛・・・牛草山は伊勢南部にあります。愛知県の茶臼山付近にも牛ヶ鼻があります。
虎・・・虎子山(とらす)は岐阜県と滋賀県の県境にあるヤブ山です。近江の虎御前山にも登った気がする。
兎・・・位山の南の川上岳は1等三角点の山ですが、点名を兎番場と言います。東北の光兎岳(こうとだけ、1等)はマニア向き。金沢市の卯辰山は簡単です。しかも二つの干支を兼ねる。飯田市の卯月山も奥山ですが比較的簡単です。
龍・・・鈴鹿の竜ヶ岳、奥三河の竜頭山など多数。
蛇・・・伊那の蛇峠山、奥美濃の五蛇ヶ池山など。
馬・・・有名どころでは北アの白馬岳。近場では遠州の竜馬ヶ岳に登れば二つの干支を兼ねる。
羊・・・羊蹄山(未踏)が有名。唯一といっても良い貴重な存在。未丈岳(未踏)をあげる人もいる。ずるして養老山の養には羊があるのでいかがかと思う。
猿・・・今年の干支である。自宅からは尾張と三河国境の猿投山を毎日眺める。奥三河には伊勢神峠の北に猿ヶ城という山城跡がある。739mの3等三角点の点名は坪崎という東海自然歩道のピーク。美濃には猿啄山がある。奥飛騨には猿ヶ馬場山がある。残雪期のスキー登山は素敵。白山北方の猿ヶ山も未踏で気になる山だ。九頭竜川源流の奥越には猿塚(未踏)がある。北鈴鹿の猿登も知る人ぞ知る山。1等三角点を目標に中国山地の猿政山に登ったことがある。
鶏・・・鈴鹿の野登山の別名は鶏足山という。南アルプスには鶏冠山(とさかやま、未踏)がある。
犬・・・福岡県と大分県境の犬ヶ岳がある。北アルプスの栂海新道の犬ヶ岳もある。どちらも未踏。遠州の山犬の段は登ったかどうか不明。
猪・・・伊勢の白猪山など多数ある。

 今年は申年です。どこへ登りましょう。13日の新年会では猿塚が出ました。調べると沢から登るしかないようです。

お千代保さんへ初詣2016年01月17日

 一月十六日の土曜日にまた初詣に行った。暮れにはお礼参りで来て、今回は年初の祈願である。
 今日も冬日和である。弥富ICから木曽川を渡り、長良川堤防道路へ右折して北上する。周囲には白い山々が遠望できた。木曽三川となって濃尾平野を潤す。高い山々に囲繞された濃尾平野は豊かである。小1時間ほどでおちょぼさんに着く。
 小正月は15日までであるが、土曜日とあって、まだ初詣を済ませていない善男善女が多いせいか、参拝客は多めだ。赤ちゃんを抱いた家族も多い。混雑を避けて今頃にずらすのだろう。駐車場に止めて参道を歩く。50円で油揚げとローソクを買う。ローソクを立てて、参列するが長いので脇から祈願した。健康第一、商売繁盛、家運向上と欲深く祈願しながら拍手を打つ。参道に戻って、今度はお買物である。昨年買った白菜の漬物が美味かったのでまた買う。みかん、たまごなど食べるものばかり。どこでも買えるが一味違う気持ちで買う。
 夕方からは山岳会の新年会。自宅に戻ってすぐに都心の会場へ向かう。昨年の講演は最近亡くなった谷口けいさんを招いて話を聞いたが、今年は立山山麓にある立山カルデラ砂防博物館の学芸員・飯田肇氏を招いた。話は堅い学術的な内容と思われたが、話術が優れていることもあり、興味深く退屈せずに聞くうちに終わった。
 今年の積雪状況は博物館付近は地肌が見えていた。昨年は車まですっぽり雪に覆われていたのに少ないことを写真で対比された。かつて、大日岳の雪庇崩落事故のあった年に似ていると言われた。脆弱な弱層の上に今後積雪が多くなると同じ事故が起こる。山やには貴重な講演だった。
 その後は海外遠征の若い隊員の紹介、『インドヒマラヤ』出版の紹介と続き、宴会に移る。宴会も盛会のうちに終わる。徐々に若い会員への遷移があると感じる。引けてからも二次会に出席。ふらつきながら自宅に戻った。これでもう正月は終わった。

初スキー2016年01月19日

 久々に志賀高原で行われる山岳会のスキー懇親会に参加。1/17に出発するが、前夜の二次会のせいで、すっきりしない。自宅を出たのは10時30分過ぎとなった。中央道をひた走り、梓川SAで昼食を兼ねて休憩する。松本平でも雪はない。山間部を抜けて善光寺平に着いたが、ここもない。信州中野ICから出て志賀高原へ向かう。山間の急坂になってやっと道路脇に雪を見た。山猿の大群がR292にi出て我が物顔で遊んでおり、ゆっくり走る。蓮池まで上がると、全面雪面となった。指定のスキー宿は谷間にあるので左折して、ブレーキテストをする。ギギッとABSが機能することを確認。急な下り坂を下って宿の共同駐車場に着いた。5時間かかった。その日は、ゲレンデ状態は悪く、アイスバーンというので膝が完全ではないのでパスした。
 久々の参加なので既知の参加メンバーと旧交を暖めた。新潟のWさんは80歳を少しオーバーした頃、もう引退と言っておられたが、90歳で現役である。名古屋大学の教員として赴任されていたことがあるOさんは御在所の岩をよじ登ったことがよほど懐かしいのかよく話された。この人も84歳で現役である。メンバー表を見ると殆どが70歳以上で60歳代は私とあと2人だけだった。酒の席で閑閑諤諤議論をとばしていた人も既に亡くなったり、引退したりと淋しくなる一方だ。
 1/18は未明から大雪となった。谷間にある宿のせいか、風雪は感じないが各地では相当な積雪量のようだ。外は風があるので、リフトは午前中は様子見となった。その間もゲレンデの整備でブルがしきりに往復する。部屋の中で雪に関するTVニュースを見続けた。リフトは午後から動き出した。
 4時間券というのを購入して、初リフトに乗る。ゲレンデトップから、未整備の約30センチから40センチの新雪滑走を楽しんだ。膝に難があるので両膝を閉めて確実に雪に乗るようにして無難に滑り終えた。迂回路の狭いところも滑走してフォームをチエック。昨年は1月以来の遭難で自粛していたから3度くらいしか行けなかった。身体はちゃんと覚えていた。そのうち、同じメンバーが何となく集まってグループで滑走を繰り返した。整地してあるコースは本当に滑りやすい。平日なので混雑することもなく、顔を見つけやすい。夜は宴会で交流を楽しむ。
 1/19は朝は晴れ間がでていた。天気情報では今後も悪化しそうなので切り上げる。9時記念撮影後、朝一で宿を出た。来たときとは違って白一色に染まる雪景色に満足する。
 中野市街からは長野市に向かった。善光寺へ向かう。最初に参拝したときは本堂の北のPに止めたから参道を往復しただけであった。一度、表参道を歩いてお参りしたかった。雪は殆ど無かった。大門のPに止めて、参道を歩き、仁王門から仲見世通りを通り、善光寺さんに参拝した。

雪の信州初吟詠2016年01月19日

   志賀高原
降る雪や温泉好きの猿多し
 
信州の雪が住みかぞ山の猿

谷底のゲレンデ前のスキー宿

湯の元の近くに建つや榾の宿

深雪にふはりと乗るや初スキー

   信州善光寺
本堂の屋根に雪置く善光寺

   本来は本堂周辺の屋根に止まる鳩も雪で
   追われ、雪の無い地面に数十羽が集まる。
   正に鳩合するごとし
雪に身の置き所なき鳩の群れ

参道や仲見世通りでおやき買ふ

枯蓮を囲みてありし放生池(ほうじょうち)

大勧進結氷する放生池

長野バス事故の原因?2016年01月24日

ヤフーニュース・・・時事通信から
抜粋
現場手前約250メートルに設置された国交省の監視カメラには事故を起こしたバスが反対車線にはみ出し、下りのS字カーブを右に傾きながら走行している様子が写っていた。ブレーキランプが点灯しても、速度は増しているように見え、「何らかの原因で、この時点で制御できなくなっていた可能性がある」(警察関係者)。
 負傷した男子大学生は「左側の車線のスペースがすごくあり、右寄りに走っているなと思った。カーブを曲がるためにスピードを落としている感じはなかった」と証言する。
 民間の日本交通事故調査機構の佐々木尋貴代表は「映像からは減速している様子がなく、ハンドル操作で切り抜けようとしている。アクセルが戻らなかったり、ブレーキが作動しなかったりした可能性もある」と指摘する。
 捜査関係者によると、バスの車体検証で、運転席の6段変速のギアがニュートラル状態だったことが判明。ニュートラルだとエンジンブレーキが利かないため、峠の下りで減速できなかった可能性がある。
 進行方向左側の現場手前約100メートルのガードレールには数メートルにわたり、こすれたような痕もあった。転落現場付近には長さ10メートル以上にわたってバスの右車輪とみられるタイヤ痕があった。県警はカーブを曲がり切れず反対車線のガードレールを倒し、横転したと分析。タイヤ痕やガードレールの損壊状況から制限速度50キロを超え80キロ前後で走行したとみている。
以上
1 ニュートラルであること
2 ブレーキには異常なし
3 ステアリングにも異常なし
4 6速マニュアルミッション車であること

この条件から考えられることは「運転手はダブルクラッチの操作を知らなかった」のではないか?という線が浮かぶ。

ヤフー知恵袋でダブルクラッチをぐぐると
 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1445469604
がヒットした。

 乗用車のマニュアル車にはシンクロナイザリングが装着されて不要だし、オートマ全盛の時代だから知らない人も多い。
http://www.weblio.jp/content/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0

 当局ではいろいろ検証されているが、案外こんなことかも知れん。中型バスだとオートマ車だったかも知れない。1日も早く究明されることを祈ろう。
追記
大型バスの運転手がダブルクラッチを知らない、なんてことは考えられないので、再び、「三菱製バス ギア」でググルと、次のブログがヒット。
ブログ名は「Trans Princess」がヒット。長いので貼り付けると、
http://transprincess.blog.fc2.com/blog-entry-882.html#comment-top
読んでみると、「フィンガーシフト」なる装置が働くことがあるとのこと。
高速で走って、エンジンの回転数が上がっている際に、エンジンブレーキをかけるために、低いギアにシフトダウンすると、過回転を防止するためにキャンセルされてニュートラルになるシステム。
これを知らないと、バスは下り坂なのにギアはニュートラルのまま暴走し、運転手はパニックになるだろう。
一種のフールプルーフだと思うが、ブロガーの書くとおり、バス会社は説明していなかったかも知れない。知っているはずのもう1人の運転手も眠ったまま亡くなった。
 ハイテクは便利だが知らないと恐い面もある。まして大勢の客を乗せるバスだ、もっと徹底して、メーターパネルで警告のメッセージを発するなど考えられなかったか。

2/12追記
 新聞報道によると、事故当時の速度は96km/hだったことが分かった。制限速度は50km/hだから倍近い高速で下っていったわけだ。フィンガーシフトの扱い方を知らなかった説が真実味を帯びてきた。コンピューター制御は良いのだが、過回転を防止する目的で、エンジンを守って、事故につながっては人間に優しいとは言えない。最近の車は電子制御だらけである。それが盲点になるとは?

信州新町ジンギスカンの味2016年01月30日

 1/19に志賀高原の帰りは時間もあり、高速をやめてR19で帰名した。犀川に沿う国道である。今は高速に流れるせいか、交通量はいたって少なく快適なドライブだった。犀川のダム湖付近では三重交通のバス転落事故現場の石碑が目に入った。この時も愛知県の日本福祉大生が多数亡くなった。軽井沢でもバス事故が起きてまだ事故原因の究明中という。気をつけねばなるまい。
 信州新町に来るとジンギスカン街道なる看板があり、焼肉を食わせる店がしばらく続いた。空腹ではないので、Aコープによって味つきと冷凍羊肉を購入した。帰宅後、夕飯に味付肉は玉ねぎとキャベツと炒めて食べた。美味。
 一昨年、小川路峠を飯田市側から歩いた際、遠山谷の人らが担ぎ上げて、焚火で焼いてくれたもてなしの味を思い出した。甘めの味がいくらでも入る感じがした。
 信州新町ジンギスカンの冷凍肉の方は2回に分けて食べた。これはにんにくと唐辛子を振って漬け込み、ガスの天火で焼いた。にんにくの香ばしい香りによく合う。量が多めなので今日やっと食べ終えた。
 最近購読した白澤卓二『病気にならない食べものバイブル』(扶桑社新書)に、カルニチンが豊富で、豚の9倍、牛の3倍もあるとか。脳の神経細胞を活性化するそうです。ボケ予防が期待できる、とあるので老人はもっと食べたい肉です。アセチルコリンなる栄養分もあり、記憶力のアップや学習能力の向上に役立つとも。受験生にお奨めです。但しマウスの実験レベルの話。おまけに肥満予防にもなるという。
 一般の食品スーパーの店頭ではほとんど見かけない。マトンを食わせる焼肉屋に行ってせっせと食べたいものです。ググると遠山ジンギスカンもヒットする。他に信州で旨いものといえば鯉の旨煮。ビニールパックを買ってストックしてある。

翼よこれが故国の地だ!2016年01月31日

ヤフー知恵袋には7年前にこんな投稿がされた。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1229836062;_ylt=A2RiqhcKIqxWgQsANQBL__N7
零戦について質問なのですが
何故現在の日本には実際飛べる零戦が無いのでしょうか? 太平洋戦争終結時にGHQにて処分されたのは知っています。しかし今の技術なら復刻版を造るのは容易ではないかと思うのですが。勿論意味が無いのは判ってますがイベント等で飛ばしたりすれば戦闘機好きには勿論の事、子供達等の歴史教育に良い教材だと思うのですが。以下略。
以上

 もうひとつは6年前のヤフー知恵袋の質問から
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1043620400;_ylt=A2RAqgOGJqxWEXkAkp2_.vN7
国内所有のゼロ戦は、なぜ復元しても日本の空を飛べないのですか。法律で規制されていると聞きましたが。ゼロ戦は美しい美術品と私は思います。国内所有の飛ぶ姿のゼロ戦を見たいですね
以上

 質問者の夢が実現したのである。多くの人が叶わないと思いながらもかすかな希望は持っていた。そんな人らが多額の寄付をしてこの夢は実現した。

産経新聞
http://www.sankei.com/west/news/160127/wst1601270114-n1.html

 1/27、日本人がオーナーの零式戦闘機が初めて、日本の空を飛んだ、ということがニュースになり、多くの動画が投稿された。鹿児島県鹿屋市の自衛隊基地から鹿児島空港に向けて飛んだわけだが、大人気のようだ。ゼロ戦は機体が美しい。あちこちで機体は見るが飛行する姿はなかなか見られない。実物を見た人は満足だろう。
 オーナーはニュージーランド在住の日本人実業家の石塚政秀氏。購入から維持整備、飛行まではこのHPに詳しい。
https://readyfor.jp/projects/zerosatogaeri

 日本の航空工業技術の粋と絶賛されるゼロ戦。機体は三菱が設計、エンジンは全量中島飛行機製造だったという。生産も半分は中島が担当した。
 敗戦で航空機の製造は禁止。航空機製造の技術は断絶させられた。戦後、中島飛行機にいた航空技術者は鉄道屋になり、新幹線を実現させた。あるいは、当時はオートバイメーカーだった本田技研工業に入り、世界一のオートバイを造った。後年、世界初のCVCCエンジンのシビックを造った。財閥解体で散らされた中島飛行機はうち6社が集まって富士重工業、つまりスバル車を造った。もう1社の富士精密はプリンス自動車になり、スカイラインを造った。今は日産に引き継がれた。みな素晴らしいクルマである。技術の源流をたどると、ゼロ戦に行き着くわけだ。だから文化遺産としたい意向があるようだ。

 元気の出る話である。日本人は自信を持ち、誇りをもって生きよ、と教えている。道楽ではないのだ。日本人は先を見越して、良いこともみな捨ててしまう。そして一斉に新しいことへと関心を移す。移り気なところがある。今となっては古い骨董品だが、先人の技術を磨く心を大切にしたいということと理解した。