春の富士登山2010年04月27日

メキシコからの富士登山の人たちと旧登山道にて
4/23(土)夜、山の支度中にS君から用事が早くすんだから10時出発を早めようと電話がある。8時出発とした。西友で食料を買い込む。高速に入る。深夜になり、中央道の二葉SAで仮眠。
4/24(日)早朝出発、河口湖へ向かう。白い富士が車窓から見える。国道に出てなか卯で朝食。馬返し登山口に向かう。すでに数台が止まる。7時半、今は歴史の道となった富士吉田登山道を登る。荒廃した神社、荒廃した宿泊所などを通過して林道に出る。再び山道に入り、スバルラインを横切る。すぐに5合目の佐藤小屋だった。2240mあるから恵那山とほぼ同じ高さに着く。
 12時までにはまだ余裕がある。小屋でコーヒーを飲んだり、缶ビールも飲む。登山者風情の熟年が二人缶ビールを空けて気焔をあげる。
 今から約32年前の11月末の連休に愛知岳連でバス、トラックを連ねて氷雪技術訓練に来たことがあった。スバルラインの終点から佐藤小屋までの道路沿いにテントを張って吉田大沢で訓練したものである。北海道でもまだ雪が少なく全国から約2000名が入山した。他の会で遭難事故が発生し、二日目の夜は救急車、パトカーのサイレンがけたたましく鳴り、佐藤小屋が連絡の拠点となった。この年は4名が亡くなった。死体をツエルトにくるめて吉田大沢を滑らせて下ってきた。まるでゴミ扱いだが仕方ない。
 死亡者が出て訓練の責任者で会長のKさん(故人)はテントをひとつづつ廻り、気合を入れた。こんな時に酒なんか飲んでる場合かと怒鳴られた。明日はわが関係者に及ぶことを恐れた。当然のことである。
(連休明けに出社すると社長が開口一番に「おお無事に帰ってきたのか」と心配されていたことを知った。新聞では派手に報道されていたからだ。その後管轄の山梨県警はこの地域の訓練の中止を勧告してきた。高山市の登山家が12歳の娘を富士山頂上から滑降させると聞いた山梨県警はこれも中止にさせた。)
 訓練は負傷だけで済んだ。以来来たことはない佐藤小屋であるが今でも観光者向きにはせず、純然たる登山者のための小屋を保つ。上の小屋は?億円の売上があり高級車を乗り回すが自分は赤字で軽自動車しかのれないとか、そんなことを話して笑わせてくれた。
 泊まりたい気もしたが小屋は4時で仕舞うとか。休みを切り上げて行けるところまで行こうと再び登った。六角堂に一張りあった。さらに登って6合目の安全指導センターの建物の敷地に設営した。
4/26(月)6時10分テントを出発。最初は火山岩の道を登る。花小屋でアイゼンを着装。昨日の外国人パーティはここでテントを張っていた。食事に誘われた。ずいぶんのんびりしている。食事は済んでいるから丁重に断るがS君がないと知りながらも禁断症状のためかタバコを所望した。タバコでは通じず、シガーシガーというと分かってもらえた。もちろんあるわけがない。
 久々にアイゼン&ピッケルワークの感触を確かめるように登る。但し途中で息切れがひどくなまった体を実感。S君には先行してもらった。小刻みな小休止を繰り返して鳥居荘まで来た。ここで外国人パーティに追いつかれた。装備が立派なので聞くとメキシコから来たプロガイドであった。もう一人の若い女性は京都に留学中の姪御さんだった。片言の日常会話には不自由がない。そばで会話を聞くと英語でも独語、仏語でもない。聞くと西語であった。墨西哥から3週間の旅行中だった。関西の山に登り、日本の象徴の富士山登山を楽しんで5/1には帰国とのことだった。
 来日に当っては富士山をよく研究されたようだ。装備は用意周到であった。文化面ではメキシコの山にも5000m級の高山があり、それは火山で神の山なので車では登らず徒歩で登られているという。
 かつて歌人の大町桂月は「富士山に登って山の高さを知れ、大雪山に登って山の広さを知れ」といったらしいが富士山には5万図6枚が要るとか。広さも有数であろう。
 また和歌にも詠まれた。山部赤人の長歌である。
「天地(あめつち)の 分かれし時ゆ 神さびて 高く貴(たふと)き
 駿河なる 布士(ふじ)の高嶺(たかね)を 天の原 振り放(さ)け見れば
 渡る日の 影も隠ろひ 照る月の 光も見えず
 白雲も い行(ゆ)きはばかり 時じくぞ 雪は降りける
 語り継ぎ 言ひ継ぎゆかむ 不尽(ふじ)の高嶺(たかね)は」
 約1400年も前の歌である。当時は活火山だったはず。江戸時代にも噴火している。そして今よりも低かったと思われる。それでもこのようにどこからでも見られ崇められて歌われた。
 鳥居荘から更に登ったが元祖室3250mまでで精一杯だった。この歌にあるような白雲が目の前を流れていく。雲の上まで登れたのである。
 12時半、数十mほど登って時間切れで下山した。下山は滑落しないように慎重に下った。鳥居荘で待機。S君が戻ってきた。聞くと御来光館3450mで山頂を見たが12時半時間切れで下山したそうだ。テントに戻って撤収する。佐藤小屋を経て馬返しまで歩く。
 途中の4合目の小屋で墨人パーティに追いつかれた。今日の富士はわれわれ4人で貸切状態だったから親密な気になるのだろう。リンゴを分けてくれた。美味しかった。4人で写真を撮ったりした。ささやかな日墨親善登山になった。

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