山恋はぬわれに愉しく雪がふる2010年04月01日

現代俳句の世界16「富沢赤黄男高屋窓秋渡邊白泉集」(朝日文庫)から。名古屋市東区出身の高屋窓秋(1910-1999)作。馬酔木に所属した。昭和8年頃か。雪と題した連作の一句。
 ”山恋はぬ”という。未然形につく打消しの助動詞”ぬ”とは強い否定形である。山に行く予定は無いが都会にいて雪が降ってきたのだろう。それでいて雪が降ると愉しい、というのだ。都会に居ながらにして雪山にいる錯覚もある。
 降雪を愉しいと感じるのはまったく都会人の感覚である。雪国では雪下しの労力やお金など苦しい生活を強いられる。戦後でこそ雪を観光に役立てようとスキー場開発に走ったが近年はスキー人口が減って閉鎖が相次ぐ。

灰色の町に風吹きちるさくら2010年04月02日

 同じく高屋窓秋の作。さくらの風景の連作の一句。
 灰色の町とはビルのコンクリートの色か。かつて石原裕次郎は名古屋ソングとして♪白い街白い街名古屋の町♪と歌った。あるいは霧雨の色か。当高層マンションも灰色というよりアイボリーホワイトである。木の芽梅雨という。今時は風が吹き小寒い。この寒さが桜の花の開花時期を長引かせるともいう。今日はもう散り始めている。花ぐもりの一日。

静かなるさくらも墓もそらの下2010年04月03日

同じく高屋窓秋の作。さくらの風景から。
 今日は久々にふるさとに帰ろう。祖父の50回忌である。明治27年生まれ。中国の戦線では戦死した兵士が水を求めて頭を突っ込んだままの池の水で飯を炊いたという。血で濁った水だったらしい。
 戦後無事帰還して農業のかたわら石屋を生業とした。納屋に鞴(ふいご)を設けて村の鍛冶屋もやった。牛も飼育した。田を鋤くためである。文字通り百姓であった。百の仕事をこなしたのだった。
 大正末期28歳のころは村長も務めたらしい。独身の青年村長だった。その頃一人娘だった十七歳の祖母と恋愛結婚した。婿養子だった。5人の子に恵まれた。江戸時代は庄屋だったというが祖母の父が酒好きで身上をつぶしたらしい?まるで映画で見た「小原庄助さん」じゃないか。
 子供の頃は祖父とウナギを捕る仕掛けをするために川に入った。石屋だったから当時の河川はみな石垣で固められていてウナギの居場所はよく知っていたのだろう。よく捕れた。夏の間、生簀に貯めておいて2回から3回はウナギ丼を食べた。天然ウナギである。あの当時7人家族だったから相当な数がいる。
 隣の畑にことわって餌のミミズをとらせてもらった。収穫があるとおすそ分けした。家の鍵などかけない長閑な時代であった。血縁と地縁で生涯を終えた社会であった。
 今、自民党の失政、民主党の悪政で国が壊れつつある。生まれた家も人手に渡り、ふるさとも安泰ではないが弟が一人墓を守る。「国破れて山河あり」の心である。命がけで日本を守り、家族を守り育てた明治男の供養に行こう。

硬雪にスキー日を趁(お)ふ音あらく2010年04月04日

 高屋窓秋の作。山に憩ひてより。昭和10年。
 趁は追うと同じ意味で同じ読み方である。
 春になって一旦日光で解けた雪の表面が凍結する。場所、標高にもよるが4月になると粗目になる。こんな雪面は硬い。要するにアイスバーンのことを意味している。厳冬期の降雪ではまだまだやわらかい。日照時間の長くなる立春以降か。
 音あらくは荒くであろう。昭和初期までのスキー板はエッジが無かった。昭和5年に外国で金属エッジが開発されて翌年には輸入された。それでもまだ埋め込み式ではなく螺子で止めていたようだ。埋め込み式は戦後の昭和30年頃という。音が荒いのは金属エッジで硬い雪面を削る音であろう。エッジがないとずるずる滑って硬い斜面では立ってもおれない。
 中級山岳の春の雪山を想像した。高曇りで日光は弱い。ウインドクラストした硬い雪面にスキーを走らせる。すると金属エッジがガリガリと雪面を削りシャーベット状になる。
 当時はプラスチック製の山スキー専用靴はなく、柔らかい革靴であった。革バンドで締めるにしても現在の足首までがちがちに固めるような道具ではない。だからとりわけこのような硬い雪面にはてこずる。スキー板が踊るような感じで滑降してゆくことになる。 
 私も最初は皮製登山靴でスキーを履いたからそのイメージはよく理解できる。

弔問2010年04月05日

 前勤務先の上司宅を弔う

とむらひに行くや静かな春の夕

春宵や遺影の笑みに誘わるる

かたらいは長引くばかり春の夜

生前を偲びて食べし蕨餅

小学校の入学式2010年04月06日

 天白小学校の入学式に来賓として参列

入学の子にそそぐ目の優しさよ

入学を寿ぎて食うお饅頭

入学を寿ぎて飲むさくら湯を

桜湯を飲み終えてから式に入る

好奇心いっぱい持てり入学児

腰掛けて足をぶらぶら入学児

若き親見守る吾子の入学式

花は今こぼれるほどに開くなり

雪嶺よさくらの園となりにけり2010年04月07日

『高屋窓秋全句集』の「ひかりの地」から。昭和45年作。
 どこという場所を特定しなくてもいくつかは浮かぶ。すなわち高山市を中心として乗鞍岳や北アルプス、御岳山、白山などはさくらが咲く頃でもまだ白い山々である。あるいは金沢市や北陸の海岸付近からの白山、富山市からの立山連峰など。名古屋市内からでも御岳や白山は見える。高い山でなくてもいい。
 根尾辺りのうすずみ桜も今が咲く頃であるが板所からは残雪の能郷白山が見えるだろう。雪嶺よ、と呼びかけるように始る。山はまだ雪景色だけれどもう里では桜が咲いたよ、という。山スキーの季節もまだこれからなのである。

春爛漫2010年04月11日

水温む天白川に素足の子

青き踏む家族ぐるみで河川敷

青き踏む跡の小道の続くなり

菜の花や人道橋の揺れるなり

花の道天白川に沿いにけり

窓を見れば近くに猿投の山笑う

近づけばすぐに逃げたり亀鳴けり

花の雨2010年04月12日

花の雨ベランダに吹き降りにけり

葉桜と入れ替わるべく散るばかり

高層階より夜桜を見下ろせり

当て所なく文読む日なり花曇り

花吹雪揃いてそぞろ歩きかな

花びらの溝に一列吹き溜まる

花の昼肉焼くにおい漂える

花冷え2010年04月15日

花冷えや暗い記事目につくばかり

文筆で食べて行きたし虚子忌なり(山渓に原稿を送信した日に)

春深し新聞いつもたれか読む(天白図書館)

蛍烏賊さはに海鮮カレー食ふ

桜鯛炊き込み飯に舌鼓(よしや)

筍のてんぷらの味春の味(よしや)

生ビール二杯はいける春の宵(よしや)

春落葉境内に人影もなし(島田神社)

行く春や思はぬ古書を購ひぬ(つるまい)

失業の手当も切れし啄木忌(4/13で完了以後年金生活に)

気位は高くありたし啄木忌

よき仕事われに与へよ啄木忌