小坂国継『西田幾多郎の思想』を読む2010年05月01日

 俳人の前田普羅は関東大震災の起こった朝西田幾多郎の『善の研究』を抱えていったという。この本は多くの人に影響を与えたようだ。表題の本によると核心は二元論の否定、無の思想、否定の論理ということらしい。主観と客観の区別の否定とは主客合一の意である。無とは形をもたないこと、そして自己否定したところに知的直観が生まれるという。これはただ至誠によって得られるとも説く。
 山岳俳句の白眉と賞賛された「甲斐の山々」五句は宗教的境地に達したものであろう。

 奥白根かの世の雪をかがやかす
 霜強し蓮華とひらく八ヶ岳

など宗教語が用いられているだけではない。空々しい客観写生ではない。傲慢な主観が勝るでもない。自己のこれ見よがしの言葉もない。主客合一が見られる。

 もう一方では生物学者の今西錦司も西田哲学の影響を受けているという。この人も自然を個々に把握するのではなく全体的に把握する。棲み分け理論でも有名である。岩魚とあまごが混生する川であまごだけが一部海に下る降海型で岩魚は陸封形と分類される。お互いに競争せずに生きているというわけだ。
 
 西田幾多郎は求道者であった。前田普羅も中坪氏が求道の詩魂と称えた。今西錦司はそうは言われなかった。だが学者として分からないことをそのままにはしておけなかった。分かるまで問いかけをやめない。するとやっぱり今西も自然学を生涯追究した求道者というべきだろうか。

リベンジ成功!春の朝日岳大滑降2010年05月06日

 5/1の夜7時半、名古屋・栄でW君と合流して出発。睡眠時間を確保するために食料は前もって調達したので都市高速から名神、中央道と走り、豊科ICで降りた。一旦R19に出て県道51を行く。夜12時前に道の駅池田に着いて車中泊。

 5/2は早めに出発。1年ぶりとなる栂池高原スキー場に6時には着いてしまった。8時頃まではパッキングや駐車場の移動で時間を過ごす。
8時にはもう長い行列ができた。事前に所定の計画書を書いておいたのでスムーズにチケットが買えた。1720円也。ザックは新調して先週の富士登山でチエックしたが中々機能的だった。今日が2回目の使用である。容量は約10㍑は増えて60㍑になったが荷物を担ぐのは自分だからゴンドラを降りてからが不安になる。

 終点に着いて昨年と同じように自然保護について協力する旨の説明があった。シールを貼って登り出す。たちまち普段の不摂生と運動不足がこたえる。3月の姥ヶ岳以来である。一歩一歩シールをずらして登るが汗が出るような暖かさと強い日差しでへばりそうになる。30分登っては小休止の体たらくである。天狗原に一角に着いて緩斜面になるとやれやれの思いで歩く。昨年と同じようにヘリスキーのポート付近まで行って振り子沢を滑降した。荷が重い割には雪質がいい所為で気持ちよく滑れた。
 
 滑降地点の広大な源頭は自在な滑降が楽しめた。沢が狭まって来ると振り子沢から左の中ノ沢へと尾根を乗り越す。蓮華温泉への車道はすぐであった。昨年に比して積雪量が一段と多い。

 車道を歩くとまもなく蓮華温泉Pに着いた。テント設営、小屋に届けて代金400円/人/日を払う。ザックに入りきれなかったビールも買った。これは450円也。夜は食前に大根おろしとかつお、しょうゆを食べて胃を刺激。富士宮の焼き蕎麦とハンバーグで一やりながら明日の英気を養う。3時半起床、テントではホットドリンクだけにして食べずに出発することを確認。会員のTさんが他のパーティ17人と来ているので情報交換のために面会。朝日岳はきついとこぼす。

 5/3朝3時半起床、4時50分出発。凍結気味でガリガリする雪面を削りながら兵馬平に向かう。ぽっかり空いた湿原の空間はいつも気持ちいい。横断して昨年大いに時間ロスした瀬戸川鉄橋への下降も今回は学習効果であっという間に橋に着いた。橋を渡ったところでシールを装着。約2時間ほどで1367mのひょうたん池まで登る。昨年は文字通りひょうたん形の池に水が溢れるほどあったが今年はまだ雪の窪地のまま。

 ひょうたん池からは昨年下りのルートをイメージしながら登ったがやや山よりに寄りすぎてかえって時間を食った気がする。しかしブナやダケカンバの大木の疎林を行くので雰囲気は悪くない。大きな谷を2回も渡っただろうか。約1時間で昨年引き返した独立標高点1705mの「あきらめ平」に着いた。ここから2418mの朝日岳まで比高713mもある。体力を温存しながら登ってきたとはいえどこまで登れるか。もうあきらめるわけには行かない。

 ここからがリベンジの始まり。まずは1つのリンゴを半分子して食う。すこぶる旨し。体の疲労感が抜けてさあやるぞという気になる。しばらくは平坦な雪原を行くと朝日岳から下ってくる尾根に挟まれた浅い沢に入る。尾根は急なので浅い谷をジグザグしながら登る。1900mの緩斜面になったところで小休止。岩の突起の左を巻いて2100m付近の薮の出ているところでは30分の中休止。ここではオレンジを食す。ここにザックをデポしたい気になるが抜きつ抜かれつしている老童3人パーティにまたも抜かれた。我慢して追随。素晴らしい大斜面が延々続く。

 2259mの尾根に着いてまたも小休止。老童たちはスキーをデポして登頂に向かった。我々はスキーでの登行を続けた。2350m付近は這い松が出ていた。左から回り込んで山頂へと厳しい登行である。

 13:30平坦な山頂の一角に着いた。三角点のある山頂は南向きの所為で雪はない。山頂からのパノラマは絶品であった。白馬岳、雪倉岳、小蓮華、白馬乗鞍岳、深い黒部渓谷を隔てて黒い岩をむき出しに構える剣岳、立山そのほかもろもろ。加えて友人らが登っているはずの妙高火打もよく見えた。山頂の道標には白馬へ11km、蓮華温泉へ10kmとある。よく来たもんだ。

 14:10スキー靴のバックルを締めて滑降開始。ああああ滑る滑るもう一気に1時間でひょうたん池に着いてしまった。登りには6時間はかかったはずである。山スキーの醍醐味を満喫。瀬戸川への下りも何のその。美濃や奥越の雰囲気に似たやや密度の高い林間滑走である。

 瀬戸川鉄橋ではスキーを束ねて兵馬ノ平へ登り返す。小さなミズバショウが咲く。真ん中を小川が流れているが今年はまだ雪の下を流れているのだろう。

 平の端でシールを付けてまた登り返す。蓮華温泉への辛い登りである。17時30分着。会員のTさんが待っていた。小屋でビールを4本買ってテント内で乾杯。露天風呂は午後4時までの受付なので屋内の入浴を済ます。

 さて明日はどうする。一応は予定通りの行動を確認したが余裕の時間がないために食料計画が狂ってしまった。今夜も大根おろし+アルファ。ドライの味噌汁と残り飯を夕飯として食べ、新たな炊飯は5/4用とした。ずいぶん夜遅くなってしまった。おまけに夜来風雨の声ではないがテントがしなるほど強風が吹き始めた。外の観天望気では星空、小屋で聞いても晴れという。5/5は崩れ始めるとのことだった。

 5/4朝目覚める。昨日の弁当のご飯を朝食にして食べる。味噌汁はドライだが味は上々であった。朝はきぬさやを入れてお湯を沸かした。天気悪化の兆しはあるものの今一雪倉岳への偵察も昨年と同じで行く意欲が失せた。足腰も痛みはなく朝日での疲労感は特にない。5/5は観光ドライブにと提案して今日の下山を決めた。小屋に計画変更を告げてテントを撤収した。

 8時過ぎ、木地屋への下山に出発。同時に栂池に帰る登山者も多数小屋を出発した。最初は登ったり下ったり、雪があったりなかったりで中々高度を下げない。基本的に北に向かう道なので低くなっても雪が残っていた。 白池を過ぎて木地屋手前までが長い車道をスキーで下れた。
 大勢の登山者がいたのに木地屋では数名しか居ない。どうもマイカーで来ていたようだ。以前に来たときはなかった蕎麦の店ができていた。平岩に行くタクシー待ちの登山者に無線で呼んでもらおうと声をかけたら同乗を申し出られた。渡りに船と同乗した。駅までは2200+180円の2380円だったから白馬から回ってきたタクシーの運転手は不満顔だ。栂池までは10000円というので続行してもらった。メーターは一旦倒して車までは7900円だった。
 さてどこでテントを張ろうか、と思案。キャンプ場を紹介してもらったが家族向きでパス。猿倉まで北股沿いの道を走ったがまだ残雪が多い。戻って発電所の分岐から北股に入り、不帰ノ剣の見える河川敷の萱の上にテントを張れた。理想のベッドである。
 白馬に戻り、お湯に入りさっぱりする。駅前でビールを購入する。河原に戻って食事。夕食は不帰の剣を見つつビールを飲みながらとった。残ったキャベツの葉でハムを包みビールのつまみにした。デイキャンプさながらである。河原には濡れたものを全部広げて風に当てたし、濡れたテントを乾かした。夜7時には寝込んでしまった。

 5/5は晴れた。天気は気にするほどではなかった。炊いた飯を雑炊にすると増えるので油で炒め、混ぜご飯の素をまぶして綺麗に食べた。最後のドライの味噌汁も旨かった。テントを片付けて白馬を去る。

 R406を鬼無里まで走る。所々の白馬三山の眺めに見入る。堂津岳以来の鬼無里では歴史民俗資料館などに入館。係員が丁寧に説明してくれた。鬼女紅葉の伝説が有名なところである。こんな山間地にしては立派な山車であった。

 次は小川村の北アルプス展望台に向かう。もう時間が経過して霞んでいる。そしてオリンピック道路に下って美麻に向かった。行列のできる新行の蕎麦屋で締めくくった。大町、池田を経由して豊科ICに行く。電光の気温計は30℃を越えていた。

北アルプス・朝日岳からの白馬岳2010年05月09日

白馬岳
2010年5月3日朝日岳頂上からの白馬岳。新潟県からは大蓮華岳といわれるだけあって美しい山容でした。

ものもらい2010年05月10日

 先々週の富士登山、先週の北アルプスと2週続きの強行登山で体にダメージを与えてしまったようである。まだ若干の疲労感が残る。
 昨日は目がかゆいのでレストランで出た濡れナプキンで目を拭いたら目やにが出るようになってしまった。拭いても拭いても出てきて目が赤くなった。検索するとどうもものもらいのようだった。
 夜中も起きると目が開かない。まぶたの毛に目やにが固まり開かないのだ。水道水を流しながら手で洗い流した。そして今朝眼科へ行くとウイルス性を疑われた。
 雪目がひどくなるとこうなることもあるようだ。隙のないゴーグルの着用が正解なのだろう。いい思いをさせてもらったが体は正直である。弱いところを突かれた。

初夏の信濃路2010年05月10日

 5/2栂池から越後の蓮華温泉へ

栂池のスキー場に緑なす

残雪はたっぷりありし自然園

春暑し天狗原まで登るなり

越後なる国へ滑りし春スキー

残雪の上に黄色のテント張る

 5/3ついに朝日岳に登る

夜が明けて暮まで春の山スキー

味噌汁のきぬさやの色たしかなる

 5/4蓮華温泉から木地屋へ下る

フキノトウあちこちあるを摘みにけり

雪解水溢れるごとく堰を越ゆ

 5/5白馬から豊科までドライブ
  
  代掻き馬の雪形を眺めて(白馬乗鞍の下に)

代馬が見えて信濃は夏の初め

初夏やしかと現る武田菱(五龍岳)

夏燕子育てに又来ては去る

菜の花の一面咲くや鹿島槍

山菜のてんぷら添えりおろし蕎麦

雪焼けに顔の手ひどく赤らめり

 5/9事務所の物件下見

万緑のお堀となりし丸の内

大木の桐の花咲くお堀かな

 5/10眼科に行く

雪目よりめやに出てきて癒されず

われも老い眼科に来たり五月かな

恵那山見ゆ2010年05月15日

名古屋より五月の空に恵那を見ゆ

身を焦がし生命を絶つや夏の川

中州にも夏の草生す天白川

明日への希望をつなぐ夕焼かな

酒を飲み高歌放吟やぶ山忌(一周忌)

猿投山吟行2010年05月17日

アカシアの花を辿れば猿投山

老鶯のひと際高く鳴きにけり

タニウツギことに小花の愉しげな

足元を横切る蛇の習い性

風薫る峠に休む人のあり

シロモジの青葉が風を誘うなり

登る人去る人混じる青葉山

新緑のドームのごとき猿投山

沢初め不発に終わる2010年05月23日

 昨年秋以来の沢登りには奥美濃・舟伏山の北面を穿つ初鹿谷(はじかたに)を選んだ。前夜から出かけて雨に備えて中電の上大須ダムの園地でテントを張った。照明付の水洗トイレ、屋根付のベンチもある。気温は17℃とやや寒いが快適。テント内はほどほどの気温であった。
 途中スーパーで仕入れた食品をさかなにビールで一杯やり始めたがどうも今一進まず、12時前の就寝となった。350ml1本と500ml2本を買ったのに350mlを飲むのがやっとだった。設営中から降りだした雨が本降りになってきたこともある。
 4時ころ目覚ましがなったが外は雨の音。ああ!山雨無情か。山の稜線はすっきり見えるが小寒いこともあり沢登りは中止を提案。かれもしぶしぶ飲んでくれた。しばらくは夢遊病患者のごとく就寝を続けた。
 テントを撤収し、雨中のドライブとなった。上大須の神明社に寄る。明神山にあったものが流れ着いてここに定着したとか。湧き水が設えてあった。あの谷もいつかは行かねばなるまい。道中には藤の花、桐の花、栃の花も見た。谷ウツギは溢れるほど咲いていた。途中であまごの養魚場に寄る。1K1500円というので1K購入した。10匹以上は居る。久々にあまごの塩焼き、甘露煮、あまご飯を賞味しよう。
 次は初鹿谷の偵察である。県道から林道に入ると間もなくで廃屋のところで山崩れがあり道を遮断された。昨年夏以降に起きたことらしい。奥までは行けず引き返す。
 尾並坂峠に行く車道に戻る。ヤマボウシの花が植栽してあり、ヤマボウシ街道というそうだ。色々あるがもっとも山深い気がした。武芸川に沿い、関市まで行く。長良川に沿って南下する。昨夜は見事な花火を打ち上げて楽しませてくれた。水田からは蛙の合唱が聞こえてきたし夏の風物詩がどっと繰り出した。そういえばテッペンカケタカの鳴き声、今朝はカッコーの鳴き声も確認した。
 山村の春は遅く、夏は短い。秋は急ぎ足で去り、冬が早く長い。
 岐阜市内では古書店を物色した。W君は計3冊購入。めぼしい本がなくパスした。次は長良川沿いの岐阜県が誇る淡水魚専門の水族館アクア・トトぎふに入館した。入場料は何と1400円也にちょいとひるんだが勇気を持って入った。見ると長良川の源流から河口までを生態展示の手法で生き生きした魚の見学を楽しませる。おそらく旭川動物園の手法を参考にしたのだろう。
 行きたい理由のひとつだったサツキマスも見れた。あまごの降海型といわれる。雨の所為か多くの観光客で賑わう。特に子供はみな生き生きしていた。私の子供時代は自ら川や池に入って手で掴んだり、釣り上げたりしたものである。中々意義ある水族館だった。
 木曽川を渡ると愛知県になる。