石麻呂に吾れもの申す夏痩せに よしといふものぞむなぎとり召せ 大伴家持2020年07月21日

 今日は朝から暑い一日だった。こんな日に限ってズボンを替えた為後のポケットに汗拭きタオルを入れ替えるのを忘れた。歩き始めると汗が噴き出してくる。仕方なくティッシュで拭いた。
 栄の地下街でハンドタオルを買う。ドラッグストアだと1枚500円と汗が引っ込みそうなくらい高い。無印良品店をのぞくと生なりの5枚組で500円だった。それにしてもコンビニやドラッグは高い。便利さを価格に吹っかけているんだろう。
 午後はお客さんの来訪があり、建設業許可の新規の申請として手付金をもらった。ほとんど全額に近い。さっそく銀行の預金通帳に預入しておく。減る一方の通帳にプラス勘定の入金を記録してやる気が出てきた。依頼してくる方はこれで許可されると500万円以下の工事金額がぐっと増やせるから報酬や手数料など安いものである。
 今日は土用の丑の日ということで、栄のデパ地下でうなぎ弁当を買った。2052円也。これで仕事に勢いを付けたいね。海の日の連休、さらにお盆休みも返上で書類作成に勤しむか。売上増はいやされる。
 事務所に戻ると先客の資料の受信をプリントアウトして書類を仕上げた。明日の押印で完成し届出を実行できる。

ゆふぐれし机のまへにひとり居りて鰻を食ふは楽しかりけり 斎藤茂吉2020年07月22日

  鰻といえば、歌人の斎藤茂吉が有名な食通だった。いくつかの短歌を残した。うちの一首が表記の歌だ。
 ブログ「つぶやき館」の記事から
「斎藤茂吉の歌論が『実相観入』という概念で成り立っている。正岡子規の唱えた短歌写生の説は基本的にアララギ派のなかに継承されたと云えるが、斎藤茂吉はさらにこれを深めようとして用いた概念である。
 実相とは「現実の相」のことであり、対象のあり方を現実的に見るべきことを示すものであり、観入は「実相に見入り聴き入り、そして観相する」という観照の働きを示している。」としている。
 この短歌も中身は何もない。ちょっと小難しい理屈をいえば短歌の理論として成り立っているのである。

https://manyuraku.exblog.jp/29538843/
「万葉集遊楽」から

茂吉がそれほどまでに好んだ鰻ですが万葉集には2首、それも大伴家持しか詠っておりません。

「 石麻呂(いしまろ)に 我れ物申す 夏痩せに
       よしといふものぞ 鰻(むなぎ)捕りめせ 」 
                    大伴家持 巻16-3853  

( 石麻呂さんよ どうしてあんたはこんなにガリガリに痩せているの?
  夏痩せには鰻がいいというから、鰻でも捕って食べなさいよ )

「 痩す痩すも  生(い)けらばあらむを はたやはた
        鰻を捕ると 川に流るな 」 
                        巻16-3854  大伴家持

 ( しかしなぁ、痩せているとはいっても、命あってのものだよねぇ。 
  鰻を捕りに行って川に流されてしまったら元も子もないもんなぁ。)

     「生けらば」:生きあらば 
             ( 痩せているとはいっても)
             生きておればそれはそれで結構だが
     「はたややた」:その反面

石麻呂は百済から渡来した医師、吉田連宜(よしだのむらじよろし)の息子で生まれつき体がひどく痩せていたようです。作者は父、旅人とともに二代にわたり親交があった仲なので遠慮なくからかったのでしょう。

石麻呂の父は世間で「仁敬先生」と敬われた名医。「名医の子なのにガリガリに痩せているのかい」という「からかい」がこもる一首です。

当時は鰻を丸ごと火にあぶって切り、酒や醤(ひしお)で味付けしたものを山椒や味噌などを付けて食べていたらしく、それほど美味いとは思われませんが、家持さんも食べたのでしょうかね。

好事魔多し2020年07月23日

 通帳で記帳をチエックしたら例の10万円が7/17に入金済だった。10年前の失業給付の不足金も若干だが入金していた。昨日、一昨日は仕事の報酬も入金したし、ありがたや。
 ではあるが、7/22の午前に駐禁のラベルを貼られていた。これまでも駐禁の場所に止めていたが午後だったために貼られなかったみたいだ。わずか5分の違反である。というのもコロナ禍を回避するために地下鉄利用からマイカーに自転車を積んでそこから通っていた。しかし、コロナの感染者も終息の感じがあり、6月に外出解禁された。それで地下鉄利用を再開していた。
 ところが7月に入ってぼつぼつ感染者が出始め、ここ数日間は多数の感染者が出てきた。メディアは死者は出ていないが数の多さを以って「第二波」とあおる。そのためにまたマイカーに切り替えたのである。しかも7/22は午前中に人に会うため早めに出て駐車した。そこをパクリとやられた。万事休す。
 黄色の駐禁のラベルを見てすぐにも出頭したかったが当方の言い分が通る訳はない。結局当局から、「放置違反金」の納付通知を待って納めるしかない。腹いせに出頭してしまうと「反則金」を納付させられ、且つ点数も加算される。
 せっかくの給付金やら売上金が入ったにもかかわらず、こんな出費は腹立たしい。正しく好事魔多し、と思う。社会の仕組みは自分の都合の良いようには出来てはいない。いっそう気を引き締めて行くっきゃない。

スマホの友達を増やす2020年07月24日

 終日スマホに付き合った。ヤマップで北アルプスに登山中の会員が途中から発信がとまり位置情報が分からなくなった。24日朝になって突然動き出し無事北ノ俣岳を往復していることが分かった。その後は神岡町の最奥のの和佐府に下山したことが分かり一件落着。
 その後はフェイスブックの友達を100人から200人以上に倍増した。同業者の共通の友達が増えていることもあり、それらを中心に友達申請をしまくった。8/1からはホームページも閉鎖してSNSでダイレクトにつながるネット社会に対応することにしたのだ。
 ホームページによる集客は中々に成果が挙がらなかった。カネを捨て続けても無駄を重ねるだけなので思い切って撤退することにした。今後は人脈の開発である。となればリアル人脈のみならずフェイスブックの仮想の人脈も必須になる。今朝さっそく人材バンクの登録へのお誘いがあった。世間は人を探していると思う。
 要るときに要る能力の人材に要るだけの期間採用したい企業がある。そんなニーズを汲み取る時代である。

電話2本2020年07月25日

 世間は四連休というがみな何をしてすごしているやら。ある人は旅行か、ドライブ、食べ歩き。またある人はステイホームか。コロナウイルスの感染がとめどなく広がっている。危機的状況という。しかし外出自粛要請はもうないと思う。経済を犠牲にしても止まらないのは、裏で中国人を入国させているからだと分かってしまった。
 今日も雨。猿投山も見えず。ゆっくり朝食をとる。午後になってから立て続けに電話が続いた。1本は山岳会の会報への原稿の要請。コロナ禍で山へ行くことがなくなり、会員も手持ち無沙汰で書ける材料に乏しいらしい。個人的には毎日ネタ帳代わりの本ブログをベースに1000字くらいなら書けるので二つ返事で回答しておいた。
 もう1本は3年前の今頃に亡くなった被成年後見人の関連で親族から問合せがあった。死去から3年経過して命日も忘れかかっていた。住所等も空で思い出せず、事務所に来て調べることになった。

荒梅雨や天白川も濁り勝ち 拙作2020年07月26日

 朝方は天気が良くて今のうちに布団を干そうかと考えるうちに曇ってきた。そして今は雨に変わった。猿投山も雨雲がかかりまったく見えない。
 梅雨明け10日のうちの前半は雨にたたられた。後半にかけることになる。30日までに梅雨が開けて欲しいね。雨では気晴らしもできない。
 頼まれた原稿、建設業の書類作成と仕事はあるが気が乗らない。それでも図書館に行って下調べの本を読んでおこうか。

ひつまぶしを食う2020年07月27日

 八事に近い鰻屋でひつまぶしをいただく。句会の予定だったが暑い夏の消夏方法として栄養たっぷりの鰻を食うことも重要だ。植田駅に集まる約束だったが尾張地区からの人がまたしても金山駅周りで来るというのでこっちが金山駅へ出向きタクシーでお店に行った。
 集まると1ヶ月ぶりの俳句談義になる。高齢になるとこういう趣味が重要な意味を持ってくるからだ。3~4名のうち1名は熱心なので結社に誘ったら入会し雑誌が送られてくるを楽しみにしているという。まずは誘ってよかった。別の人はすでに2か所も結社を渡り歩き性格の狷介が災いして句会にも行けなくなったという。言わば落ちこぼれである。
 そんなおちこぼれでも私がいい加減な性格のせいか、なんとなく人に合わせて説明していくうちに続いて来たのである。最近はこなくなった男性も大企業の定年退職組だったが、社会への批判めいた発言が多くて、川柳が良いと言い出した。否、川柳は俳句よりもなお難しさはある。
 早い話、江戸時代に俳諧(の中の平句)をやっていた人が社会の皮肉、愚痴、おじょくりなどを詠むとそれを面白がって採る選者がいた。名前を柄井川柳と言い、そのまま文芸の一ジャンルに発展した。俳諧の連句のトップを行くのが発句(ホ句)という。これは立て句とも言い、行く先の土地の連衆へのあいさつであった。これは立派な格調が求められた。これが明治になってから俳句と呼ばれるようになった。
 この伝統は現代も見られる。戦前戦後、新興俳句が蔓延した。社会性俳句とか言ったが、食えるようになると一般の俳句に戻ってしまった。しかし、その中で社会性を貫いた俳人がいた。金子兜太といった。現代版の川柳である。兜太が選句するから兜太と言われるかに思えたが普及はしなかった。兜太の死で終わった。いくらマスコミが支援しても大衆の支持が得られなかったのだ。
 件の男は大企業でただ酒を飲まされるうちに自分を失っていったのだろう。頭をさげてもらい、酒の饗応に預かると人間がだめになる。定年後もまっとうな人間関係を保てなくなったのではないか。そんな人に内省的な俳句は向かないと思う。
 さて、この鰻屋は初めてだったが好いお味だった。さすがは高い値段だけはある。

原稿「『ホハレ峠』と廃村門入の記憶」を送信2020年07月28日

 8/3が締切の臨時の原稿を覚悟を決めて着手した。7/26に借りて来た本『山里にダムがくる』(山と溪谷社)の下読みは終わった。この本はいくつかのダム建設物語のアンソロジーである。独立するには文章の量も少ない。『ホハレ峠』はそれを下敷きにして、一女性の人生にまで引き延ばした。それでも冗長ではないし、退屈することはなく読み切った。立派なノンフィクション文学の一書になった。重版になるはずである。読み手の判断に任せることで成功したと思う。以前に書いた文は2600字もあるのでそれを1200字に圧縮した。何を一番言いたいのかに集約するのは難しいものだ。それでも約束を果たしてほっとした。

中央アルプスの登山の予定は実施2020年07月29日

 明日出発予定の中央アルプスの木曽駒は上松町観光協会に問い合わせると6月の豪雨で流出した橋も復旧したとの情報を得たので実施することとした。上松尾根は今シーズンはだれも利用者がないとのことで登山道の様子までは聞けなかった。
 しかし登山道は大抵はしっかりしている。むしろアクセス道路の方が不安定である。工事車両も入っているとのことらしいので遅めに行くほうが良いかも知れません。
 気がかりは天候である。降雨率50%くらいなので山の上は雲の中であり、霧雨か小雨には見舞われるだろう。歩ければ好としたい。

上松尾根を歩く①~敬神の滝小屋まで2020年07月30日

まったり寛ぐ登山者
 7/30午後から7/31にかけて木曽駒登山道のクラシックルートである上松尾根に遊んだ。
 明治24(1891)年にはW・ウェストン一行も上松尾根を登り、伊那谷へ横断したと『日本アルプス 登山と探検』(平凡社ライブラリー)にある。上松の旅館の主にはその遠征は失敗すると予言されたそうだが、成功するようにいろいろ世話をしてくれたとも書いてある。恵那山にもウェストン碑が建立された。ここにも是非上松町の山岳観光振興のためにもウェストン碑を建立すると良い。
 山岳会に入会したばかりの30歳くらいのころ、先輩に連れて来られてテントを張り、登山口の敬神の滝小屋を4時に出発、登頂は11時。今思うと鍛えてやろうとの親心だったかも知れない。
 あれから40年経過して私も古希を越えてしまった。当時は体重60kg、今はホームステイのせいもあるが5月下旬で80kg。20kgの重荷を負うて再び上松尾根に来た。
 名古屋は昼過ぎに出発、中津川で買い出しを済ませて寝覚ノ床で豊田市から来るメンバーと合流。アルプス山荘を経て砂防公園に向かった。この先が工事中で平日なので大型ダンプが行きかう。17時前にダンプの運転手さんに敬神の滝小屋まで行くのでと断って現場の道路を走った。
 敬神の滝小屋は以前のままの姿で建っていた。かつては木曽駒のみならず、風越山、萩原沢岳、曽麦粒岳、三ノ沢を遡行して三ノ沢岳、滑川を遡行して宝剣岳、麦草岳周遊の拠点としてここを出発した。だから懐かしくもある。
 小屋の玄関扉は施錠されていなかった。テント泊と車中泊で一晩を過ごすはずが、小屋泊まりになり喜んだ。夕食は簡素に弁当で済ませる。薄暗くなるまで話してまったりした山小屋の時間を楽しむ。