春尽きて山みな甲斐に走りけり 普羅2020年04月27日

 前田普羅(まえだふら)。1884年(明治17年)4月18日 - 1954年(昭和29年)8月8日)は、俳人。高浜虚子に師事。「辛夷」主宰。本名は忠吉(ちゅうきち)。別号に清浄観子。(以上Wikipediaより)

 桜はすっかり散って、路上には花びらが舞う。風情も何もあったものではない。名古屋の街は晩春の候とあいなった。
 
 さて、掲載の句は、山岳俳人の面目躍如とした切れのいい作品である。普羅は横浜の裁判所に勤めていた頃、中央線で山梨県の大武川を歩いたという。大武川は甲斐駒に発する中小河川である。水がきれいだろうとは想像する。
 甲斐に走る、という表現は今一だが、大武川の位置から見て、どの山もみな甲斐駒ヶ岳に収斂する様を描いたものか。晩春でもまだ残雪をいただく山々への賛辞である。もう一つ別の句からもうかがい知れる。

春更けて諸鳥啼くや雲の上