『イオンを創った女 評伝小嶋千鶴子』を読む ― 2019年04月06日
何かの雑誌の書評で紹介されていた気がする。郷里の三重県で存在感のある企業なので興味があったので読んでみた。遠縁の人も勤めている。
全体的には著者東海友和氏のバイアスが入った本になるのはやむを得ない。これは東海友和が弟子となり師の千鶴子の語録を整理した『論語』である。巨大スーパーに育て上げた経営者のエッセンスが詰まっている。だたしそれだけなら目新しさはない。
この本の価値は
第1章 小嶋千鶴子を形成したもの―その生い立ちと試練
1.宿命―田舎町の呉服屋から
2.背負った使命―二三歳の当主
にある。
「読書家で特にプロレタリア文学にのめりこみ」の一センテンスで、イオンに抱いていた疑問が氷解した気がする。
背景としての日本と世界情勢を岡田家の歴史と家族の動静に織り込んでみると
1758年 創業
1916年 千鶴子 次女として誕生
1917年 ロシア革命
1922年 ソ連成立。日本共産党成立
1925年 卓也 長男として誕生
1926年 葉山嘉樹『セメント樽の中の手紙』 (文芸戦線 1926.1)
1927年 父43歳で病死
1927年 宮本百合子 ソ連へ逃避
1929年 昭和の大恐慌
・・・宮本憲治 『敗北の文学』が入選
・・・小林多喜二『蟹工船』発表
・・・小津安二郎「大学は出たけれど」※
・・・13歳の千鶴子はプロレタリア文学に傾倒
1931年 宮本顕治 日本共産党へ入党
1937年 岡田嘉子と杉本良吉 ソ連へ逃避行
1939年 長女嘉津子病死
1939年 千鶴子が代表取締役に就任
1943年 卓也が早稲田大学に進学
1946年 卓也が代表取締役に就任
1948年 卓也は早稲田を卒業
※「大学は出たけれど」は戦後の就職難でも言われた。スーパーくらいしか就職先がなかった。当時はスーっと現れてパーっと消えると言われていた。そんな経営基盤の弱い時代に大学を出て仕方なくスーパーに入社した人らがいた。鈴木敏文は中大を出て昭和38年にイトーヨーカドーに入社。のちに経営者になった。
以上時系列に関係事項を並べるとかなり荒っぽいが千鶴子の育った社会環境が分かる。要するに開明的な子は当時は先進的な思想と見られた共産主義思想にかぶれやすかった。千鶴子もその例外ではなかった。千鶴子は間もなく資本主義の真っただ中に放り込まれたので赤に染まらずに成長した。
ただ、共産主義をかじったことで資本主義の過当競争、搾取、倒産、階級闘争を逆説的に学ぶことになる。資本主義の弱点が良く見えるのである。独特の経営哲学に育っていった。
経営者として、いかに人を飼いならすか、三重県の田舎企業に過ぎなかった会社に有能な人を引き寄せねばならなかった。普通の人をどうやって育てるかに粉骨砕身しただろう。資本主義の非情な面を和らげることで社員の不安を解消したのではないか。
岡田卓也の長男はイオンのトップの元也、次男は衆議院の克也、三男は東京新聞の政治部長の昌也である。卓也の妻は資産家の高田家からもらった。逆に三男の昌也は高田家に養子に行く。閨閥の形成である。
卓也の子供たちがみな左翼思想に染まるのは伯母の千鶴子の影響か、と思う。長男は親中派、次男は立憲民主(旧民主党)、三男は左翼色の強い東京新聞記者とよくも揃ったものである。千鶴子の影響とみることで3人兄弟がみな仲良く左翼思想の持主という不思議さも氷解する。
例えば克也は1953年生まれなので、1953-1916=37。千鶴子が37歳の時の誕生で、克也15歳を足しても、千鶴子は52歳になり、精神形成に大きな影響があったのではないか。
全体的には著者東海友和氏のバイアスが入った本になるのはやむを得ない。これは東海友和が弟子となり師の千鶴子の語録を整理した『論語』である。巨大スーパーに育て上げた経営者のエッセンスが詰まっている。だたしそれだけなら目新しさはない。
この本の価値は
第1章 小嶋千鶴子を形成したもの―その生い立ちと試練
1.宿命―田舎町の呉服屋から
2.背負った使命―二三歳の当主
にある。
「読書家で特にプロレタリア文学にのめりこみ」の一センテンスで、イオンに抱いていた疑問が氷解した気がする。
背景としての日本と世界情勢を岡田家の歴史と家族の動静に織り込んでみると
1758年 創業
1916年 千鶴子 次女として誕生
1917年 ロシア革命
1922年 ソ連成立。日本共産党成立
1925年 卓也 長男として誕生
1926年 葉山嘉樹『セメント樽の中の手紙』 (文芸戦線 1926.1)
1927年 父43歳で病死
1927年 宮本百合子 ソ連へ逃避
1929年 昭和の大恐慌
・・・宮本憲治 『敗北の文学』が入選
・・・小林多喜二『蟹工船』発表
・・・小津安二郎「大学は出たけれど」※
・・・13歳の千鶴子はプロレタリア文学に傾倒
1931年 宮本顕治 日本共産党へ入党
1937年 岡田嘉子と杉本良吉 ソ連へ逃避行
1939年 長女嘉津子病死
1939年 千鶴子が代表取締役に就任
1943年 卓也が早稲田大学に進学
1946年 卓也が代表取締役に就任
1948年 卓也は早稲田を卒業
※「大学は出たけれど」は戦後の就職難でも言われた。スーパーくらいしか就職先がなかった。当時はスーっと現れてパーっと消えると言われていた。そんな経営基盤の弱い時代に大学を出て仕方なくスーパーに入社した人らがいた。鈴木敏文は中大を出て昭和38年にイトーヨーカドーに入社。のちに経営者になった。
以上時系列に関係事項を並べるとかなり荒っぽいが千鶴子の育った社会環境が分かる。要するに開明的な子は当時は先進的な思想と見られた共産主義思想にかぶれやすかった。千鶴子もその例外ではなかった。千鶴子は間もなく資本主義の真っただ中に放り込まれたので赤に染まらずに成長した。
ただ、共産主義をかじったことで資本主義の過当競争、搾取、倒産、階級闘争を逆説的に学ぶことになる。資本主義の弱点が良く見えるのである。独特の経営哲学に育っていった。
経営者として、いかに人を飼いならすか、三重県の田舎企業に過ぎなかった会社に有能な人を引き寄せねばならなかった。普通の人をどうやって育てるかに粉骨砕身しただろう。資本主義の非情な面を和らげることで社員の不安を解消したのではないか。
岡田卓也の長男はイオンのトップの元也、次男は衆議院の克也、三男は東京新聞の政治部長の昌也である。卓也の妻は資産家の高田家からもらった。逆に三男の昌也は高田家に養子に行く。閨閥の形成である。
卓也の子供たちがみな左翼思想に染まるのは伯母の千鶴子の影響か、と思う。長男は親中派、次男は立憲民主(旧民主党)、三男は左翼色の強い東京新聞記者とよくも揃ったものである。千鶴子の影響とみることで3人兄弟がみな仲良く左翼思想の持主という不思議さも氷解する。
例えば克也は1953年生まれなので、1953-1916=37。千鶴子が37歳の時の誕生で、克也15歳を足しても、千鶴子は52歳になり、精神形成に大きな影響があったのではないか。
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