平針の針名神社を経巡るポタリング2018年07月02日

 7月になった。6月は沢登り2本、ロング1本で立て続けに本格的な登山をこなした。それで満足してしまい先週も今週も中休みにした。強度としてはプレ夏山になる。 
 それでも大腿筋の筋力の衰えが気になるので、しばらく休んでいたポタリングを再開した。昨年は6月から9月まで3日置きに走っていた。お陰で膝痛が緩和して、登山を再開できるまでに回復した。
 今は毎日飲んでいるビタミンB剤からの解放を目指して、米を5分づきにして食べることにしている。食べると効能は明らかで、たちまち便秘が解消した。米糠の繊維質か胚芽にあるビタミンB1の働きかは不明ながら健康食との確信を得た。
 適度な運動、時々限界に挑むハードな運動、ほぼ毎日5分突き米を食し、植物性と動物性のタンパク質を摂取する。これが当面の日課になる。
 今朝は明け易い時期なので、5時過ぎには目が覚めた。5時半にプラスチック資源ごみを出し、自転車に乗った。さてどこへ行くか。瀬戸市辺りに黒っぽい雲が湧いている。名古屋は梅雨晴れで青空が見える。雲はかかるが、猿投山の輪郭もはっきりしている。自然と東に向った。
   梅雨晴れ間猿投の見える所まで
 平針駅まで来て、昨年6/9の初参拝以来、しばらく来ていない針名神社に参拝するべく走った。静寂な境内で御手洗で手を清める。ここは水が噴出し、曲げ物の柄杓で水を掬う。これは繁盛している神社のバロメーターである。参拝者の少ない神社は水が空だったり、アルミの柄杓だったりする。本殿は改修中であったが、お賽銭を投入して参拝を済ませた。他の神様にも参拝した。
 神社を辞して、赤池駅から名古屋市鉄道局の整備工場をまたぐ橋を渡ると日進市から東山に抜ける県道219になる。久々に御嶽山の水で満たされた田園風景に見入る。ゆっくり走って、天白川の橋を渡り、路地からコメダ珈琲店梅森台店に入る。朝7時前でも営業中なので、ちょっと休む。日刊紙各紙に目を通し、汗をかいた後の体でコーヒーを味わう。この習慣は続けたい。
 喫茶店を出ると後は一目散に自宅に戻る。原駅が近づくと、三々五々、通勤者が歩いて行く。
 小津映画の『早春』の冒頭で見られるショットと同じである。あっちからこっちから会社員風情の男女が早足で駅に向い、ホームで鈴生りに並ぶ。そして東京へ向かう。どんな意味があるのか。多分、会社員の喜怒哀楽を描く象徴として描いたのだろう。
 天白川を渡り緑道を走って帰宅した。今日も暑い1日になりそうだ。梅雨明けが近いかも。

堤防の草も靡くや青嵐2018年07月05日

 天気図を見ると、低気圧や高気圧が点在して複雑である。昨日は低気圧の影響で梅雨の風が吹き荒れた。青嵐というやつである。原稿を書き終えたが、1日中ひきこもるわけにもいかず、買い物に出かけた。
 昨夜はたまっていた新聞の集金が2紙どっと来た。Y紙は2ヶ月分たまっていた。C紙は販売店が変わり集金が遅れていた。集金は同じ人が来たが、今までの販売店は6月末で閉鎖したとのこと。自分も6年間勤めたが退職するとのことだった。
 メディアの信頼度は下がるばかりになった。朝日新聞は徒歩圏にあった販売店が地下鉄で二駅西向こうに遠のいた。昭和区ならば文教地区なので、教員、大学教授、公務員など左巻きの読者が多く量を確保できるだろう。
 中日新聞も徒歩5分のところにあったのに、突然閉鎖を告げて二駅東の平針駅まで遠のいた。店名は村瀬販売店という。平針における村瀬の名前は多いから地場の人なのだろう。
 針名神社の寄進者の名前にも村瀬姓は多かった。昨年世話になったむらせ薬局さん、建材店、美容院、等々。古い宿場町なので流通で財を築いたのだろう。今も平針住宅という大団地を抱える。
 それにしても、全国有数のブロック紙がなぜ信頼を失って部数を減らしたのかは原因不明。インターネット時代で、スマホに移ったことが大きいであろう。しかしもっと根本的には左翼の紙面作りが飽きられたと思わざるを得ない。ソ連は崩壊、共産主義の国家が消滅、社会党も消滅、日本共産党も青息吐息である。
 ソ連主導の共産主義はアメリカ主導のグローバリズムにとってかわった。ベトナム戦争のころに変換したと馬渕先生の本にある。どちらでも主体はユダヤ人である。そのお陰でアメリカ経済は疲弊、それをトランプが出てきてひっくり返した。
 少し前の話。浅野梨郷は名古屋の生んだ歌人であるが、中日新聞は中央の歌人に対立する地方の歌人として描いていたのにはびっくりした。左巻きの記者は歌人でさえ、弁証法的に、決まりきった形で把握するしかないようである。実は中央との子弟関係あればこその浅野梨郷だったのに。
 最近では、河村市長がリードする名古屋城の木造再建事業にケチばかりつける主張が絶えまなく出てくる。それに身体障害者団体の主張をとりあげてEVを設置しろ、と主張する。
 はっきり言って、新聞社が世論づくりをリードする時代は終わった。中国や韓国に謝罪せよ、戦争で迷惑を掛けたから経済援助せよ、という主張はウソだった。
 新聞社内にも在日韓国人記者が増えているそうだ。影響力の大きいTV業界はもっと多いだろう。旧民主党にも帰化した朝鮮系日本人の政治家が多かった。この傾向がメディアの信頼性を著しく低下させた。団塊の世代がTVを見ない、新聞を取らなくなるとメディアは崩壊するかも知れない。新聞販売店の衰勢はその前兆か。

梅雨明け2018年07月10日

 梅雨明けだ。12階の窓から猿投山が遠望できた。明け易い時期だが朝寝もしておれない。今日は早朝から名古屋観光ホテルに急ぐ。玄関を出るなり汗が噴き出した。桜並木の緑陰を選んで歩く。天白川は濁流からもう平水に戻った。
 ただ、西日本の未曾有の豪雨で死者が多数出ている。行方不明者も多い。堤防は破壊、家、鉄道、道路などインフラが全て壊滅的な被害状況になっている。被災者にはお見舞い申し上げる。
 植田駅から伏見駅へ。ホテルに入ると、席はほぼ埋まっている。今日は蒲郡市長の稲葉氏を招いてのスピーチをうかがう。色んな話の中で、死者は800人、出生数は500人で、右肩下がりの市の経済に知恵を絞っている。中でも魚介類の再生と数値化に感心した。
 ただ単に美味いではなく、ライバル魚の何倍の旨味があるとか、アサリの不作を嘆くだけでなく、海水の成分を厳しく規制しすぎた結果、海はきれいになり、透明度を増したが、アサリは獲れなくなった。アサリが逃げれば観光客も逃げるし、では虻蜂取らずである。そこで規制を緩めるという。水清くして(清ければ)魚棲まず、なのである。
 財務省も蒲郡市に倣うべし。財政健全化のためと称して消費税率をアップすれば消費は下がるのは眼に見えている。国は黒字、民は赤字では何もならない。税率をアップすれば、生活保護世帯は確実に増える。これは国庫からの持ち出しである。
 経営とか経済が上手くいかなくなるのは経営者や為政者が欲が深いからである。最終的にしっぺ返しを食らうのは会社や政府である。歴史の教えるところである。
 我々のマイカーも排ガス規制を厳しくしすぎて車が高価格になったことは否めない。それで普通車は売れなくなった。需要は普通車から軽自動車に移った。ハイブリッド車は補助金(税金)バブルであろう。補助金が切れればさっぱり売れなくなるだろう。
 排ガス規制を緩める、原子力行政の基準も見直すべきだろう。全てが厳し過ぎる。
 観光、漁業に加えて、技術のある企業誘致で経済活性化をはかる蒲郡市の試みが成功することを祈る。
 朝食会の後は会計ソフトの会社に寄ってカタログをいただいた。以前に使っていたソフトでなじみがある。今時はクラウド対応ということで説明を伺った。
 クラウドなら、使用するPCのOSやバージョンアップ、PCにインストールするソフトのバージョンアップの煩わしさが解消する。料金が多少アップするが便利だ。PCの盗難、故障もある。クラウドの良さが認知されると普及が進むであろう。
 朝から炎天の歩道を歩いて事務所に入った。事務所内の雑務を処理。

ベランダに葭簀垂らして涼みけり2018年07月11日

 梅雨が明けたらどっと暑さが襲ってきた。早朝からガンガン照りつけるので、ホームセンターで葭簀を買って来た。長い棒にくくりつけてモノ干しロープの前に垂らした。これで炎帝の容赦なき暑さも少しは和らぐだろう。
 ニュースでは岐阜県関市がボランティアを募る。よほどの水害の様子である。手が空き次第、応援に行きたいと、厚手の皮手袋と防水のテムレス、路上のごみを拾うハサミ、20lの水専用のポリタンを購入して出動に備えた。
  現役の登山者であるが、おそらく若い人中心のボランティアの足を引っ張ってはいけないので、様子見に単独で行って見ようと思う。スコップ、古い雨具のズボン、ゴム長、スコップ、麦わら帽子などはいつも備えてある。
 中国地方の報道写真では、堤防の決壊で、新興住宅地がすっぽりと水没、車も水没した。河川のバックウォーターという。これは水勢の強い川の流れが弱い支流を逆流する現象である。
 東海地方では古くから見られた。揖斐川、長良川、木曽川の順に西から東へ雨雲が移ってきて、降雨がある。最初に揖斐川の水位が上がる。次は長良川になる。この時、流程の長い長良川の水勢が優ると揖斐川やその支流に逆流する。海津市などはこれに悩み、輪中の村として洪水と戦って来た。
 江戸時代、徳川幕府は、薩摩藩に揖斐・長良川・木曽川を切り離し、分流工事を命じた。これが有名な宝暦治水である。
 中国地方でも経済の発展で、本来は住宅地に適さない沖積平野を宅地開発してしまったのだろう。堤防は土なので大水が出ると壊れるものである。その上に、杉や桧の人工植林、さらに密植のままで間伐されないと保水力の弱い森になる。
 私が住んでいる場所から下流も堤防で囲まれた沖積平野であるから、破堤で一気に水没する。2回の東海豪雨の水没は破堤はなかったが、その原理であった。
 本来、住んではいけない土地に住んでいる。その自覚が必要である。地名としては、池の付く地名だ。島、砂、久手(湫)。今さらだが先祖の言い伝えでもある。

被災地のゴミの仕分けに汗しとど2018年07月15日

グランドの片隅に寄せられた被災ゴミの山
 高齢者の身で微力ながら関市の災害復旧のボランティアに参加して大いに汗を流して来た。
 7月14日の午前5時起き、朝食をしっかりとる。6時半に自宅を出発して、東名・名古屋ICから名神の小牧ICを経て、R41、R248を経由して関市入り。わかくさ・プラザにあるボランティアセンターに着いたのは7時半でした。自宅から約60km余り。8時前というのに受付には3列にそれぞれ20人が行列中でした。前の人に聞くと豊田市から来たという。
 8時きっかりに、受付開始、続いて保険加入(500円要)の手続き、振り分けして、女性1人を含む10人の班編成、新潟県の経験者がリーダーになり、私ともう1人が車を提供、2台で中之保(平成山の登山口)にある武儀事務所へ。さらに7km奥の中之保川の上流にあるグラウンドに山積の臨時のゴミ集積場で、木質系、プラスチック系、燃えるごみ、金属系、がれきなどに仕分けする仕事を割り当てられました。
 猛暑の中、リーダーの的確な指示で15分やって10分休憩をとりながら進めました。マスクも滴る汗ですぐに濡れるほどなので、水分補給に努めました。着衣は登山用の吸汗即乾機能のお陰で不快感はなかった。軍手は濡れモノには不快で、山用に買った皮手袋がグリップが良く使いやすかった。テムレスのような手袋も良い。
 ごみの中は衣類は腐敗が進んで臭いが強い。おそらく細菌類もあるので終わるたびに手を洗った。
 山積していた燃えるごみ山も午後には仕分けられた山が高くなり、2時頃には終了。がれきの片付けに移りました。こんな仕事は人海戦術が威力を発揮します。
 水を含んだゴミはとても重い。燃えるごみの山が高くなると放り上げるので腰に負荷がかかる。昼の休憩は冷房の効いた事務所の2Fに移り、昼食をとった。固いフロアに寝て腰を伸ばすと気持ちが良かった。
 仕事が終わって事務所を出るとき、上之保から救急車が来たので熱中症の人がいたかも知れません。国道の気温表示は37℃でしたから猛暑です。岐阜県の内陸部は暑い。
 道中では、コンビニも浸水して店は台無し、清掃中でした。津保川の竹林には上流の倉庫がやられて流出した白いプラスチックの紐が大量に引っかかっていた。その高さを見ると、水位が異常に高かったことが想像されます。
 復旧作業はまだこれからです。被災者の方々には辛い日々ですが、がんばって欲しい。
 リーダーの新潟県の人は仕事で茅野市に居るが、高速で駆けつけてくれ、岐阜市のホテルに泊まっての参加でした。頭が下がりますね。
 4時前にはボランティアセンターに戻って報告。帰名した。帰路の高速道路は武儀事務所で高速代が無料になる手続きをしてあったので、東海環状道・富加関ICから名古屋ICまで2700円を無料で利用できた。帰宅後はすぐに汚れたものを洗濯した。
 7月14日の夜9時には小秀山の沢登りに出発の予定でした。長野県側に回り、王滝川支流白川のコヒゼ沢を遡行し小秀山に登るのです。ところが、関市北部の水害、下呂市の水害で高山本線も不通、東海北陸道も北部で不通のニュースに連想を働かせて、東にある王滝村の道路情報をググると、村道決壊のニュースです。滝越は登山口の手前にある最奥の集落ですからこの道路を断たれたら中止しかない。調べずに行っていたら足止めを食らうところでした。
 とりあえず集合場所で会って中止を決めた。近くの居酒屋でアルコールなしのビールで乾杯して中止を慰めた。

(災害)ボランティア奮闘 関市、3連休中に3321人2018年07月19日

①ソース:https://www.gifu-np.co.jp/news/20180717/20180717-58156.html(岐阜新聞)
2018年07月17日 07:49

 西日本豪雨で住宅の浸水被害が発生した岐阜県関市では3連休最終日の16日、686人のボランティアが集まり、熱中症にならないよう休憩を挟みながら、床下の泥の除去やごみの分別作業に当たった。同市で活動したボランティアは、3日間で3321人だった。

 津保川が氾濫し、浸水被害を受けた同市上之保は発生直後に比べて片付けは進んだものの、まだ床下の泥の除去が行われている住宅がある。ボランティアは時折休憩を取り、日陰で飲み物を飲みながら作業を進めた。市災害ボランティアセンターは10分作業、10分休憩を推奨。熱中症で救急搬送されたボランティアはいなかった。

 市は今回の豪雨災害で約2100トンのごみが発生したと試算。約10カ所の仮置き場のうち、旧上之保中学校グラウンドでは、市職員や建設業者、約50人のボランティアが分別を行った。ぬれた布団に畳、金属部品、家電、ブロックなどが一面に積まれ、懸命により分けていた。静岡県から参加した女子専門学校生(18)は「持ち主にとっては大切な思い出が詰まったものもある。ごみとして処理するのは悲しい」と汗をぬぐった。
参考:https://www.gifu-np.co.jp/news/20180711/20180711-56750.html

②ソース:https://mainichi.jp/articles/20180719/k00/00m/040/145000c
ボランティアで暑さと闘う注意点(毎日新聞)
西日本豪雨の被災地では、夏休みを利用して多くの市民や学生が復旧支援に参加すると見込まれる。猛暑の続く被災地で周囲に迷惑をかけずに活動するには、どんな準備と心得が必要か。実際に現地で活動したボランティアに聞いた。【田口雅士】

 豪雨による川の氾濫で、住宅の浸水被害に見舞われた岐阜県関市。多くのボランティアが訪れ、復旧作業に励んでいる。宮司の宮谷敬哉さん(39)=石川県羽咋市=もその一人。12日と17日にいずれも日帰りで、民家の泥出しや掃除、廃棄物集積所での分別などに取り組んだ。

 東日本大震災や熊本地震、九州北部豪雨など各地の被災地でボランティア経験がある宮谷さんは17日、大型ワゴン車を運転して仲間と2人で関市へ向かった。車には運搬用一輪車やスコップ、バケツなどを積んだ。12日の作業で大きなちり取りや窓ふき用のワイパーが必要と感じ、17日の作業に持ち込んだ。

 こまめに休憩 猛暑で作業は短時間
 17日は早朝に自宅を出発。午前9時に関市の災害ボランティアセンターで受け付けを済ませ、午前10時から民家で泥出しを始めた。20分間作業したら10分間休憩を目安に汗を流した。関市では3連休初日の14日、活動中のボランティアが熱中症の疑いで病院に搬送された。この日も猛暑だったため、センターの指示に従い、午後0時半で2時間半ほどの作業を終えた。

食料、水持参 保険に加入を

 猛暑の中、民家の泥出しや掃除に汗を流すボランティアの人たち=岐阜県関市で2018年7月17日、宮谷敬哉さん提供
 熱中症対策には、適度な休憩に加えて、こまめに水分や塩分を補給することが大切。宮谷さんはこの日、持ち込んだ水を計2リットル飲んだ。食料や水、塩分を含んだあめなどは自分で用意し、体調が優れない時は屋外での活動を控えたい。宮谷さんは「被災地では、みんなが頑張ろうとしてしまう。あんまり張り切るとヘトヘトになってしまうので、自分の体調を管理し、一緒に作業する周りの人も休めるように気を配らなければいけない」と心構えを話す。来週は岡山県高梁市で活動する予定だ。

 服装は長袖、長ズボンが基本。長靴やゴム手袋、防じんマスクなどを用意し、作業によってはヘルメットやゴーグルもあった方がよい。活動中のけがや事故などに備えたボランティア活動保険への加入も、自宅の最寄りの社会福祉協議会でできるので忘れないようにしたい。

 被災地のニーズを把握するため事前の情報収集は欠かせない。地域によってはボランティアの募集を終了していたり、対象者を限定していたりするケースもある。日帰りでない場合は事前に宿泊先の確保が必要だ。

③http://www3.nhk.or.jp/tokai-news/20180714/3504741.html(NHK)

 この他、朝日新聞は「津保川が氾濫(はんらん)し、多くの住宅が浸水した岐阜県関市には14日、県内外から1219人のボランティアが訪れ、復旧作業を手伝った。以下略」と報じた。

 災害復旧が終わったわけではなく、関市では引き続きボランティアを募っている。
ソース:http://www.city.seki.lg.jp/0000012613.html
【7月18日~20日】災害ボランティアの募集について
この度の大雨災害については、多くのボランティアの方にご支援ご協力いただき、ありがとうございます。

  7月18日以降のボランティアの受付は、下記のとおりとなっています。(活動がない場合がありますので、予めご承知ください。)

○活動日

 平成30年7月18日(水)から平成30年7月20日(金)

○受付時間

 9時から10時

○活動時間

 9時から12時30分

○受付場所

 関市上之保老人福祉センター

 (住所)関市上之保15019番地

 (電話)0575-47-2501

○活動内容

 ・泥かき

 ・畳上げ

 ・ごみの運搬補助、集積場の分別

 ・住宅の泥かきや清掃など

○持ち物など

 ・床下の泥かきの依頼があります。

  そのためゴム手袋、長靴、マスク、雨がっば(上下)、チリトリ、ゴーグルまたは透明サングラス、じょれん、いしみ等が

  必要となる場合があります。

 ・現地近くには飲食店がありません。昼食、飲み物は各自で持参ください。

 ・角スコップ、一輪車等資材をお持ちの方は持参ください。

※現地での貸出数に限界があります。ご協力お願いします。

※軽トラックで活動できる方を希望します。

※作業によりケガをする恐れがありますので、長袖、長ズボンでお越しください。

○お問い合わせ・連絡先 (午前9時から午後4時まで)

※ボランティアに関する問い合せ ※支援のお願い・相談等に関する問い合せ

関市災害ボランティアセンター

電話:0575-22-0372、0575-23-3229
以上
・・・未曾有の西日本豪雨で関市の山間部が痛手を被った。報道で分かるように3連休で3000人以上が参加してかなり復旧は進んだようである。
7/14 1219人(朝日新聞)
7/16  686人(岐阜新聞)
合計は岐阜新聞発表で3321人と言うので、7/15は引き算で、2102人の参加者になった。ちょうど海の日の3連休に当り動員数が増えた。半数は上之保に振り向けられた。

それで、ボラセンも一番被害の大きかった上之保に集約された。直接、上之保へ行けば良いようだ。

 それにしても、避難指示が遅れたことが指摘されたのは、合併で地域密着が薄れたからではないか。山村の人口減少と高齢化で、昔なら爺から子へ孫へと伝承された言い伝えが今は機能しない。
 行政は山間地域を常時目を配り、行政の不備をチエックする必要があるだろう。それには市長や市幹部が山を歩くことだ。または川に遊ぶことだろう。山に泊り、山の水を飲み、山の食べ物を食べる。植物の生育に関心を持つことである。特産の刃物や工業は大きな経済効果があるので首長なら誰でも力点を置く。
 しかし、昔から政治の基本は治山治水という。源流部の山を伐採から守ることが下流域の安全につながる。また間伐で木の成長を促し保水力を維持することも大切だ。政治課題は多い。

われわれが常に 心しておかねばならないことは、 どうすればより実害が少なくて済むか、 ということである。2018年07月20日

 昨夜は書士会の暑気払いで、50名以上が集まってビールなど飲んだ。その中にある自民党の国会議員が居られた。日銀退職後から行政書士の資格を取得し開業。その後国会議員に転じた優れた才人である。
 ではあるが、聞きもしないのに自分は「二階派」という。加えて「あれだけ中国で歓待される政治家もいない」と自慢するから、マキャベリの名言を出して反論しておいた。
 隣国を援助する国は滅びる。マキャべリ
 中国の兵法書「六韜(りくとう)」
「交渉の為に隣国から使者が来て、もしその者が有能ならば何一つ与えず返せ。
 交渉の為に隣国から使者が来て、もしその者が無能ならば大いに与え、歓待せよ。
 そうすれば、隣国では無能な者が重用され、有能な者が失脚する。そしてやがては滅ぶ」
 ・・・・あれだけODAで援助しても、感謝するどころか、仙閣諸島を攻め、沖縄を奪うことを考えている。韓国も竹島を奪い、今は対馬を占拠しようと企む。さらに日本の支配構造の中枢に入り込んできた。
 マキャベリの言う通りである。
 高齢の政治家ならやり過ごすが、まだ若いから勉強して欲しい。頭がいいだけではダメ。常に社会を観察すること。答えはすぐには出ない。後々出ることがある。政治家は想像力を養うこと。

 表記の言葉もマキャベリの名言の1つ。リスクは最小限に心得ること。当然の話であるが、今回の災害では起こるべくして起きた水害である。想像力の欠如であろう。
 特にバックウォタ―のリスクを指摘する学者や専門家、或いは土木関係の行政関係者は居なかったのだろうか。すでに木曽三川に事例はあるというのに。メディアではたくさん指摘されていたが、現地でもっと早くに指摘しなきゃね。
 中国山地のような低山はダムの適地も少なかろう。低いから奥地まで人が住む。本来人が住むべきでない所まで土木技術の発達でで住宅を建ててしまった。住む側も想像力を働かせて住みたいものです。
 そうそう、中国山地は砂鉄の産地で和鉄を生産するために大量の木炭を必要とした。そのために中国山地で天然林は少ない。非常に長い自然破壊の結果、鳥取砂丘が生れ、天橋立が形成された。あれは自然破壊の結果だった。
 関市の津保川の流域の山々も400mから600m級の里山であり、人工林が圧倒する。常に人間の干渉をうける。手入れがしてあれば良いが、放置された植林だと保水力はない。そこへ未曾有の豪雨とくれば、無防備で被災したのである。

南信州・アテビ平散策2018年07月22日

 名古屋を6時半に出発、足助からR153、稲武からR257,稲武で28℃なので天狗棚のある面ノ木峠へ登る県道80号線から茶臼山へは窓を開けて冷涼な高原ドライブになった。
 地形図を眺めると、木曽山脈の蛇峠山から南に派生する支脈が、一旦、売木峠で1150mまで高度を下げて再び高度をあげて聳えるのが茶臼山である。茶臼山の東の長野県側から流れる谷は矢作川(実は根羽川)の源流にもなっている。
 売木峠からすぐに軒川に沿う県道が、根羽村と売木村の境に沿って右へ登って行くので右折するとしばらくで休憩小屋に着く。
 アテビ平小鳥の森の入り口へは8時半着。1218mの所にある休憩小屋のおばさんも店開きに登って来た。と同時に常連客らも続々登って来た。ここでも24℃とかなり涼しい。
 ハイキングの姿で、入り口からしばらくは谷に下る広い遊歩道を歩く。谷をまたぐと登り返し、アテビ平の一角に着く。湿原ではなく、準平原でせせらぎが流れ、小鳥がさえずる。ミズゴケがびっしり生える。
 地形図で精査すると、軒川の源流に当たる。比高20m下って20m登り返すとまた1200m級のアテビ平である。アテビとはクロベの別名という。ここから4方向に交差している。とりあえず、湿潤な道を歩きながら馬の背を目指す。
 馬の背へ歩き、尾根を下った。一旦、標高1120mの県道の入り口を往復後、県道に並行する沢沿いの道を登る。バイケイソウの花が多い。比高100mほどをゆっくり登り返すと休憩小屋の手前で遊歩道に合流。再び同じ道を下って、次はアテビ島へ周回する。軒川の源流部を迂回するイメージである。ここから、ザゼンソウのある湿地を経て、休憩小屋へ戻る。
 五平餅を食べて休憩後、また遊歩道を下り、アテビ平に登ると、今度は左折(北へ)して、馬の丞へ行ってみる。8の字形の遊歩道であるが、樹林帯を歩く以外、特に特長のある景色は無い。アテビ平に戻った後、休憩小屋に帰るともう12時半になった。
 今回はここに咲くと言うレンゲショウマの花を探しに来たのだが、蕾すら見つからなかった。ここにはないかも知れない。
 今から茶臼山と萩太郎を登るのは暑くてやりきれないので売木村に下った。そこでうるぎ温泉こまどりの湯に入湯した。ぬめっとした良いお湯である。R418から平湯峠を越え、R153で帰名した。国道153号でも気温28℃なので名古屋へ帰りたくなかった。

死に至る猛暑一服2018年07月28日

 台風12号の接近でさすがに猛暑も一休み。昨夜はエアコンをつけずに寝た。今朝6時半現在で、窓から見える猿投山もぼんやり霞んでいる。ベランダのよしずを一旦外して台風に備えた。
 蝉時雨は相変わらず激しい。少し湿気を含んだ風があるので涼しい。これから段々強まって来るだろう。

台風接近2018年07月29日

「強い台風12号は、28日22時現在、静岡県御前崎市の南南西約50キロの海上を1時間に35キロの速さで西北西に進んでいます。このあとも、勢力を維持したまま、29日未明までに東海地方に上陸する見込みです。すでに、静岡県や愛知県が台風の暴風域に入っていて、三重県や岐阜県もこの後暴風域に入る見込みです。」
・・・腕時計の高度計では標高40mのところ、225mになり、低気圧が接近しています。

「29日午前1時頃、台風12号は三重県伊勢市付近に上陸しました。台風が日本に上陸するのは今年初めてです。」
・・・・高時計は1時半現在で200m「まで低下し、台風の中心が名古屋から遠ざかっています。外の暴風も強風程度になり、今はかなり大人くしくなりました。