トムラウシ遭難の顛末とは?2013年01月13日

 昨夜も山岳会の新年会だった。1/10のは社会人山岳会で、登山活動の拠点、こちらも同じ年齢層であるが、文筆活動が主になっている。長い間にそんな色分けができてきた。
 東海学生連盟の諸君らの海外遠征がいよいよ実を結びつつある。関係者には曙光が見え始めた。壇上に並んで挨拶を聞くと若々しい。南山大学の学生が多かった。まだトレッキングのレベルにあるが、6000m級の登山もこなすようになった。これをスライドで報告された。あっと驚く意外性はないが、地道に経験を重ねることだろう。
 今回の目玉の講演はトムラウシ遭難の事故原因追及の座長を務められた元山と溪谷社の編集長だった節田節郎氏。トムラウシの登山ルートをスライドで展開しながら彼らの辿った軌跡を追う形でいかに遭難に至ったか、を説明された。
 登山技術的に問題になる箇所は無かった、と最初に断言された。それでは何だったのか。結論は非常に長丁場のコースを何があっても歩き通す体力が無かったのである。死亡原因は急性低体温症であったが、遭難の原因は体力不足だった。
 当日、同じルートを辿った静岡県の山岳会のパーティーとの対比もあった。6人の編成で、1年前から毎月のボッカ訓練を通じて、体力と忍耐力を養った。中高年登山者には一番嫌われる訓練である。反復練習は辛いものがある。雨の日もわざと登ったらしい。縦走中には雨もあるからだ。誰かが不調を訴えれば別人がザックを担がねばならない。実際そのアクシデントがあった。高齢女性が歩けなくなってザックを分担してもらっている。約13時間かかったらしい。
 死亡された人の装備を調査したかったらしいが、警察の意向で(捜査の秘密)見させてもらえなかったそうだ。本当は下着類まで調べれば何かをつかめた可能性がある。(例えば、下着が木綿ではなかったか、という疑問をもっておられたのだろう。極限のところでは下着の良し悪しで命運が分かれる)生存者については全く問題はなかったそうだ。風の強いところでビバークをやればどんどん冷えていく。暖房もないところでは低体温症は必然だったと思われる。
 山岳会は日ごろから訓練を通してチームワークを養う。本番前に協調性のない人、弱い人は脱落する。しかし、ツアー会社の登山では商品であり、随行員とお客様の関係であり、必死で任務遂行のために頑張ってしまった。引き返すか、停滞しか道は無かったのである。
 ガスの中、行けるところまで行こう。しかし、「ここまで来てしまった。これはミスリードだった。遭難した。救助を待つ。」という判断。リーダーも出来合いならお客も出来合いでは正しい把握と判断は無理。
 アミューズ社は万里の長城ツアーでも素人同然のリーダーで死亡者を出してしまった。廃業も已む無し。数ヶ月先まで予約はあり、恐らくア社は黒字経営だったようだ。
 だからといって、ツアー登山は危険ということでもない。むしろ山岳会より、事故率は少ないそうだ。ツアー会社のリーダーも業として経験を重ねれば山岳会などよりも短期間に熟達者になれる。但し、お客の資質の把握が難しい。
 お客の立場で考えるならば、日ごろから鍛錬し、何があっても動じない落ち着いた行動が取れるようにしておきたい。暖かい衣服と充分な食料、それを担ぐ体力を養うことだろうか。
 講演は尽きないように思えたが、空腹を覚えたころ、途中で打ち切り、懇親会場に移り、遅れて会場に駆けつけた尾上会長の乾杯で宴会となった。懐かしい先輩と歓談、長い間の病魔から回復した先輩を連れて安曇野の別宅を訪問する約束をした。

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