謹賀新年!2013年01月01日

 謹賀新年!

 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 
年季をいれた登山とスキーはもちろんです。昨年の冬から春にかけて山岳遭難の捜索協力に初参加。こんなことは無い方が良いのですがその後も3名の人が遭難死された。山岳会の会報で遭難への啓蒙的な記事を連載中です。

地元で発足した俳句会はまだ5名ですが、名古屋城吟行、いなべ市吟行を実施しました。メンバーにプロの音楽家がいる関係で岐阜の第九演奏会にも招待され参戦しました。懇話会的な運営が心地よい雰囲気を作り出している感じです。

定年後の仕事に開業した行政書士の実績も会計事務を幹に成年後見の大きな枝が伸び、相続関係図作成の小枝、国際業務の小枝が目を出しています。広報・広告に力を入れており、1年から2年後には反応が出てくると考えています。

人生を富士登山に例えれば会社員時代は5合目までバスに乗せられてきたようなものです。出社すれば仕事を与えられ、給料、賞与、退職金までもらえた。自営業はすべてが自己責任の世界です。
定年後から自力で徒歩でペース配分を考えて登る。今年は7合目の小屋に着いたところ。頂上に近づくほど傾斜がきつくなり、酸素の薄いところで急げば呼吸困難になるのでゆっくり、しかし、ペースを保ちながら登ることになります。

社会は混迷の時代であるが、もっと困難な時代もあった。その日の食事さえできないこともあったという。それに比べれば飢え死にするような悲惨さはない。高速道路でも、新幹線でも満員に近いくらい移動が活発で、何が不況なのかと思う。カネは充分活発に動いており、一部の輸出型企業が円高でというより、規模の拡大し過ぎと経営判断の失敗で苦境にある。これも円安になって少し息をつける。
  
政治的には古来から伝統的な天皇を中心に据える社会を保ちたい勢力と天皇を壊し、中国の属国にしたい勢力との鬩ぎあいと見ている。2012年はその対立が顕著に出た。2013年は自民党が握り、世界平和の実質的な采配を安倍さんがやってくれるでしょう。戦後レジュームからの脱却、東京裁判の否定。南京大虐殺のプロパガンダも日中を不仲にしておきたいアメリカの意図を感じる。難しいことばかりだがやらなきゃ日本は没落する。頑張れ、安倍さんだ。

名古屋市政は河村さんが続投の意向という。減税をやってくれた実績を生かして頑張って欲しい。増税は国民の富を奪うこと、減税は返すこと。国民が自由に使えるカネが増えれば経済は活発になる。正論である。ソ連は軍事費増加でつぶれた。アメリカも青息吐息だ。
名古屋城の金の鯱再建だってホントは市民の寄付でやれるはずだ。古為さんが存命時代、パンダの宿舎建設のカネ3億円がないと報じられたら古為さんがポンと寄付された。増税で締め上げたら却って財布の紐が締まる。カネは何かのきっかけでうじゃうじゃ出てくるものだろう。作用、景気の気である。中小零細企業経営の視点で市政継続を応援したいね。

初登山は美濃・南宮山と南宮大社初詣+アルファ2013年01月02日

 予定では干支の山で長野県南部の”蛇峠山”に登ることにしていたが、あいにく天気が思わしくないので中止。天気図を見ると東海地方では午前中だけは晴れそうだったので初詣を兼ねてのハイキングを探した結果南宮山に決めた。
 午前6時半、起床。7時すぎには自宅を出発できた。名古屋ICには7時半に入り、大垣ICから地方道、国道21号を辿り、南宮大社へ行く。三が日は交通規制中で、看板にしたがう。無料Pがいくつか用意されている。神社の上手、本殿の裏側に停めることができた。山登りが主なので早目に出発してきて良かった。
 現在位置を確認するために、一旦、本殿に参拝し、バス停まで歩くと人も車も一杯だった。このPは午前11時から規制される。キョロキョロすると、南宮山へのハイキングコースの道標が建っている。それを追うとちゃんと車に戻れた。
 空は気温が高いせいか快晴とはいかず、靄がかかっている。雪は一かけらもない。クリスマスのころに降っただけという。8時20分にPを出発。小さな鳥居が沢山並んだ道をゆっくり登った。奥社の手前で左折するとため池に着いた。ここでコースは二俣に分岐。尾根道を選んだ。
 下ってくる人もいる。皆空身なので地元民が散歩がてらに登っているらしい。コース案内の看板を見ると頂上まで1時間とあった。とにかく尾根を登り出す。するとたちまち息が苦しい。12月半ばから運動不足に食べているからやや体重が重め。そこを我慢しながら登ってゆく。厚着しているので2枚脱いだ。その間に追い抜かれた。
 尾根道は単調で詰まらないものであるが、高山神社に着くと松林の綺麗な林になる。松の落葉散り敷く山路である。登りきると「境」という石碑を2体見る。最後の境の立つところは象鼻山への尾根を分ける。傾斜が緩むと山頂である。ここは山頂というより、歴史の人物に因む展望広場になっていて望遠鏡まで設えてあった。東屋も2ヶ所ある。
 さっき追い抜かれたハイカーが先着していて世間話をした。大抵の人はここで引き返すという。ここまでが9時20分ごろ。南宮山の三角点を見に行く。とたんに踏み跡程度の道になり、緩やかに下る。小さなコブを終えると右へ急カーブして下る。下りきると又登り出す。10時、周囲は木立に囲まれた山頂に着いた。改埋された新しい二等三角点があった。小休止。
 空を仰ぐと薄い雲が流れている。予報通り午後から悪化の兆しか?昼食にも早いし、おまけに車に忘れてきた。テルモスの熱いお茶を飲んで下山する。最低鞍部まで下ると、またハイカーにすれ違った。三角点まで来る人もいるのだ。登り返すと中間のコブを越える。そこからまただらだら歩くと展望広場に戻れた。
 往路を下る。空身の親子連れ4人とすれ違った。結構、ヒマを持て余しているらしい。ダックスフンドを連れて気楽に登ってくる。そのまま下るとため池に戻った。ここからは山道から解放されて、普通の未舗装の車道である。さっきは誰も居なかった奥社に人が居て焚き火をしている。こんな奥社でも次次参拝客がある。私も参拝して辞した。連続する鳥居をくぐると瓦塚のPに着いた。11時20分。往復3時間でした。
 小用を足すためにまた本殿に行くと朝にも増して善男善女がずらーっと行列していた。さすが2日である。朝見たPは満車であったが11時からの規制で入らせないせいか数台のみ残る。立ち並ぶ屋台には美味しそうな食べ物がそろう。足の踏み場もないほど混雑している。そこを抜けてマイカーに戻り、看板の帰路に従って帰った。外に出ると駐車場につながる道路には参拝客の車が渋滞中だった。
 美濃一の宮のご利益は大したものである。金の神様という。マネーではなく、金属の意味だろう。いやあの金もゴールドという貴金属である。

 さて、まだ正午にならず、帰名には少し早い。そこでおちょぼ稲荷に寄ることにした。順調に行けた。但し、駐車場に入る車がここでも大渋滞で一旦引揚げた。約10km南の海津温泉に入湯しに行く。幸い今日から営業でいわば”初湯”を楽しむ。入浴客も混雑気味であった。又戻って様子を見ると混雑は治まっていない。
 そこで窮余の策で、農道の一角に停めた。無数の車が駐車してある。名古屋ナンバーの人と同時に停めて話すと以前はもっとひどかった、きょうはまだ良いほうという。
 大鳥居のある入り口に行くと正規の駐車場には120分待ちと朱書きしてあった。境内へは両脇に常設の店と露店が交互に並ぶ。そこをもの凄い人数の参拝客が歩く。幅3mもあるかないかの雑踏の街である。境内の手前で入場制限中で時々歩みが止まる。やっと境内へ。それも人を押し分けて拝むような始末。何でこんな無理な初詣をするのか。キャパシティが圧倒的に不足している。かといって分散でということもできない。
 ともあれ、”商売繁盛”を祈願した。農道から振り替えると室町時代以来というにしては天を突く神杉や南宮大社のように威圧するような建築物があるわけでもない。大抵はそれなりの雰囲気があるものだが、何が魅力でそんなに弾きつけるのか。不思議な感想を抱いた。2本つまみ食いした串カツは美味かった。娯楽としての初詣かな。

小高賢『句会で遊ぼう』を読む2013年01月04日

 幻冬舎新書。2012.9.30刊。著者は歌人が本命。俳句は余技でも短歌の素養があるからプロ級と見える。
 副題の「世にも自由な俳句入門」に誘われてしまった。止そう、こんな安直な本は、と拒絶するのだが、誘蛾灯に入った蛾のごとく買ってしまった。
 というのも2010年5月にちょっとしたきっかけで地元のミニコミ誌で呼びかけたら見知らぬ人ばかり、それも70歳代の高齢女性ばかり3名も集まった。4人でどうなるかと実に自由な句会をスタートした。後日もう1人男性と女性が加わり、1人は病弱で出れなくなった。
 最初は実力養成とばかりに10句を募ったがえらい、というので5句に減らした。何しろ、4人の5句を一句一句披講してゆくとたっぷり3時間はかかる。その間に飛び交う人生論、趣味の話、仕事の話、歴史の話がない交ぜになって俳句が自分の意思から一人歩きする。そこのところが脱落者がでない理由と思われる。
 私の役目は宗匠役で、季語重なり、句跨り、韻文論、一句一章、俳句の歴史、虚子の話、先人の名句の引用、模倣と創造、写生、人間探求派のウソ、山本健吉批判、などなど23年間の俳句歴で得た知識、作句理論、鑑賞力を総動員しながら、添削、評価を加える。
 これを最初からいる人はみなメモに取られている。間違ったことは言えないから真剣味を帯びる。そして添削の結果、立派な俳句になれば感動もされる。その方は最初はお花畑的な人だったが、最近は言うことも理論的になってきた。こちらが言いにくいことも代弁してさらっと言われる。2年半でこれだけ上達するのである。
 こんな形式でお茶を飲み、食事をつまみながらやる。女性ばかりなので酒は入らない。たまには遠方や近場で吟行も体験してもらう。すると写生の意義も理解されやすい。高邁な指導者ではないから気楽に発言してもらうことをモットーとする。
 俳句教室や俳句講座を経験された人は権威を振りかざされるようで合わないと言っていた。そして講師の俳句結社に知らないままに誘導されてしまう。結社には出来上がった人間関係もあって入りにくいと言われた。私の経験でも気楽なものいいが嫌われたこともあった。
    甚平や一誌もたねば仰がれず     草間時彦
じゃないけれど、甚平のように肩の力を抜いてやればいいのだが、雑誌を持つ主宰でないと尊敬されない現実があるようだ。名句と言われる俳句でも意味不明、現在では理解できない俳句もある。主宰級でも散文的、平句のような軽い句を好む人もいる。短歌的な叙情を詠む人も居てそれが読む人に好まれる現実がある。叙景が本質とは言っているが・・・・。
 しかしだ。我々の句会は高みを目指し、例えば角川俳句賞を取るとか、結社賞を狙うとかではなく、日々の日常、旅で得た嘱目を書き留める。それでいい。であっても韻文の格はいる。だからレッスンプロとして助言する程度に留める。講師だと威厳をもって体系的に説明することになるだろう。だからカルチャーセンターの俳句からは名句が出ない、という批判をどこかで読んだ。俳句は学問ではないからね。知識先行は形はできているが、感動から生まれる句がない。きちんと教わるには俳歴の長い先生についた方がよろしい。
 それで今いる人たちは私の所属結社に入る気配は殆どない。向上心がないのではなく、ましな俳句を作りたい意欲はある。自分の句を誰かに評価して欲しいのである。形式的な教室ではないコミュニケーションの場が欲しかったんだ、と知った。帯封にも「句会は平等で開かれたコミュニケーションの場」とキャッチがあり、納得。著者は8年で合同句集も編まれた。出版人ゆえの悦楽だろう。
 そういえば、昨年12/10に死去された小沢昭一さんの所属されていた東京やなぎ句会のHPをのぞくと「お蔭さまで,この一月で,東京やなぎ句会は四十周年をむかえることが出来ました.
 まさか,こんなに長く続くとは思っておりませんでしたが,これもみなさまのお蔭と心より御礼申し上げます.
 初めは初心者ばかりでしたから,季語ってなんだ,歳時記ってなんだ,というようなところから始めました.それでも,四十年間毎月句作を続けていると,どうにか形になるもんですね.
 忙しいメンバーが,他の何よりも句会を最優先して,毎月十七日に集まります.
 日常の他愛もないことから政治の話まで,ああだ,こうだと大声で喋りつつ,歳時記片手に句をひねる――風流とは程遠い喧しい句会ではありますが,このひと時がとても心地よく感じられます.」
 正に是です。ここは40年の老舗、著者の句会は8年の中堅、我々は駆け出し。いつまで続くかは分からないけれど楽しくやれればいい。現在進行形の確認をした本でした。

寒の入り2013年01月05日

 5日は小寒で寒の入りです。一年で最も寒い時節です。朝方、年末よりは日差しが明るかったので蒲団を干しました。しかし、正午過ぎにはもう陰ってしまいますので取り入れです。
 買い置きして置いた年越し蕎麦も今日で食べつくしました。少しばかりのおせち料理も明日には終わり。
 この休み中は政治関係のブログやユーチューブ見まくり、積読の本を乱読、気分転換に外へ出るために古紙を積み出してすっきりしました。お年賀も新たに15名以上からいただき返礼を出しました。新たな交流の人が大半ですが旧知の人からもありました。
 新聞を読むと各地で山岳遭難が多発中です。毎年の事ながら、ちょっと気象が荒れるだけでこの有様です。各山岳会では長い間、若い新人が入会せず、技術の伝承がうまく行かないから、浅い経験のまま入山して対応できずに遭難するのだろうか、と思っています。本来ならベテランが随行して登るだけでなく撤退も含めて伝授されるといいのですがね。30歳代の年齢を見ると本当に気の毒に思います。
 私の観察では大雪はおよそ20年に1回のサイクルでやってきます。それを知っている登山家がいれば指導できるのですが、本格的な冬山を第一線で20年以上も打ち込む人がどれだけいるか、です。
 ある先輩は良い指導者が得られないまま自分たちで工夫しながら登山技術を磨いたといいます。だから無理せず、悪天候にはどうせ勝てっこないのですから中止か撤退すればいいのに、といつも思います。1件の事故の陰には何倍ものグループが中止、撤退をしているはずです。
 山は高いところほど雪が多く積もり、深く、行動も困難になります。まして今冬のように早い時期に積雪があってクリスマス、年末と断続的に降れば弱層もあるわけで雪崩をおこしやすい。降雪中、直後は不安定な状態です。そういう想像力の欠如が事故に結びつくわけです。雪崩れを経験してからでは遅いのです。冬山登山の常識です。
 すでに死亡が伝えられた人もいますが、ビバーク中の人は何とか生き延びて欲しいものです。
 そういえば富士山でも2件の遭難事故が起きています。実は年末に5合目の佐藤小屋までという軟弱なことを考えていました。しかし準備不足と年末寒波で止めました。冬富士は死の滑り台になります。ブルーアイスが発達しアイゼンの爪もようやく引っかかる程度です。独立峰ですから突風、強風、落石もある。夏とはえらい違いです。
 さて、1月後半から山スキー始動します。手始めに流葉山から高山へと計画が送られてきました。ちょっとゲレンデでレッスンしておきたいがはて。

2013年詠み初め!2013年01月11日

本探すついでに埃掃納

鶏がらの出しのうまさよ晦日蕎麦

登山するほかに能無し去年今年(こぞことし)

手にとれば少なくなりし年賀状

新たなる出愛の人に賀状出す

  一昨年11月に結婚した甥に子生まれる予定
身ごもるやめでたき甥の初便り

   昨年の島津亜矢コンサートで知り合った方より
遠方の亜矢友より初便り来る

西濃や牛のごと眠る南宮山

朝早く登りし人や初登山(南宮山)

重ね着を脱ぐや山路のベンチにて

初登山濃尾平野を見晴るかす

身動きのできぬ参道初詣(おちょぼさん)

お年寄りばかりが目立つ初湯かな(海津温泉)

挨拶を終えてかかりし初仕事

  山岳会の仲間12人と 
長老が気焔をあげる新年会

  俳句仲間より手編みの靴下を頂く
俳諧が縁のわが為毛糸編む

冬山の遭難記事や寒の入

トムラウシ遭難の顛末とは?2013年01月13日

 昨夜も山岳会の新年会だった。1/10のは社会人山岳会で、登山活動の拠点、こちらも同じ年齢層であるが、文筆活動が主になっている。長い間にそんな色分けができてきた。
 東海学生連盟の諸君らの海外遠征がいよいよ実を結びつつある。関係者には曙光が見え始めた。壇上に並んで挨拶を聞くと若々しい。南山大学の学生が多かった。まだトレッキングのレベルにあるが、6000m級の登山もこなすようになった。これをスライドで報告された。あっと驚く意外性はないが、地道に経験を重ねることだろう。
 今回の目玉の講演はトムラウシ遭難の事故原因追及の座長を務められた元山と溪谷社の編集長だった節田節郎氏。トムラウシの登山ルートをスライドで展開しながら彼らの辿った軌跡を追う形でいかに遭難に至ったか、を説明された。
 登山技術的に問題になる箇所は無かった、と最初に断言された。それでは何だったのか。結論は非常に長丁場のコースを何があっても歩き通す体力が無かったのである。死亡原因は急性低体温症であったが、遭難の原因は体力不足だった。
 当日、同じルートを辿った静岡県の山岳会のパーティーとの対比もあった。6人の編成で、1年前から毎月のボッカ訓練を通じて、体力と忍耐力を養った。中高年登山者には一番嫌われる訓練である。反復練習は辛いものがある。雨の日もわざと登ったらしい。縦走中には雨もあるからだ。誰かが不調を訴えれば別人がザックを担がねばならない。実際そのアクシデントがあった。高齢女性が歩けなくなってザックを分担してもらっている。約13時間かかったらしい。
 死亡された人の装備を調査したかったらしいが、警察の意向で(捜査の秘密)見させてもらえなかったそうだ。本当は下着類まで調べれば何かをつかめた可能性がある。(例えば、下着が木綿ではなかったか、という疑問をもっておられたのだろう。極限のところでは下着の良し悪しで命運が分かれる)生存者については全く問題はなかったそうだ。風の強いところでビバークをやればどんどん冷えていく。暖房もないところでは低体温症は必然だったと思われる。
 山岳会は日ごろから訓練を通してチームワークを養う。本番前に協調性のない人、弱い人は脱落する。しかし、ツアー会社の登山では商品であり、随行員とお客様の関係であり、必死で任務遂行のために頑張ってしまった。引き返すか、停滞しか道は無かったのである。
 ガスの中、行けるところまで行こう。しかし、「ここまで来てしまった。これはミスリードだった。遭難した。救助を待つ。」という判断。リーダーも出来合いならお客も出来合いでは正しい把握と判断は無理。
 アミューズ社は万里の長城ツアーでも素人同然のリーダーで死亡者を出してしまった。廃業も已む無し。数ヶ月先まで予約はあり、恐らくア社は黒字経営だったようだ。
 だからといって、ツアー登山は危険ということでもない。むしろ山岳会より、事故率は少ないそうだ。ツアー会社のリーダーも業として経験を重ねれば山岳会などよりも短期間に熟達者になれる。但し、お客の資質の把握が難しい。
 お客の立場で考えるならば、日ごろから鍛錬し、何があっても動じない落ち着いた行動が取れるようにしておきたい。暖かい衣服と充分な食料、それを担ぐ体力を養うことだろうか。
 講演は尽きないように思えたが、空腹を覚えたころ、途中で打ち切り、懇親会場に移り、遅れて会場に駆けつけた尾上会長の乾杯で宴会となった。懐かしい先輩と歓談、長い間の病魔から回復した先輩を連れて安曇野の別宅を訪問する約束をした。

咳喘息2013年01月18日

 どうも空咳が喘息みたいに連続して出るようになった。それで今日は出社を控えて静養にした。体温は36.6℃と平熱だ。
 検索で調べると、 以下がヒットした。
監修/北村 聖
東京大学医学教育国際協力研究センター 教授
 かぜは治ったはずなのに、咳はちっとも治まらない、といったような状態が数週間続いたら、それは咳喘息かも知れません。
 咳喘息は、慢性的に咳が続く気管支の病気です。一般的な喘息と同様、気道(呼吸をするときに空気の通る道)が狭くなり、いろいろな刺激に対して過敏になって、炎症や咳の発作が起こります。
 室内外の温度差や、たばこの煙を吸う受動喫煙(※)、運動、飲酒、ストレスなどのほか、ホコリやダニなどのいわゆるハウスダストが発作の要因になるといわれており、患者数は年々増加しています。この病気は、特にアレルギーのある人に多いとされています。アレルギー反応によって、気道が炎症を起こしてしまうためです
  かぜに併発して起こることが多く、かぜをひいたあとに2~3週間以上、咳が続くことがあれば、この病気の可能性があります。女性に多い傾向があり、しばしば再発を繰り返します。
 気になる症状があれば専門医(呼吸器科・アレルギー科・耳鼻咽喉科)で詳しく診てもらうことをおすすめします。
※受動喫煙…喫煙者の周囲の人が、そのたばこの煙を自分の意思とは無関係に吸わされること。

咳喘息にかかると、一カ月以上、空咳(からぜき)が続きます。ひどい場合は咳が一年以上続くこともあります。ただし、喘息に見られるゼイゼイ、ヒューヒューといった喘鳴(ぜんめい)や呼吸困難はありません。また、発熱や痰(たん)などの症状はほとんど出ません。
 夜中から明け方に激しい咳が出たり、寒暖の差や喫煙で咳が出やすくなるのが特徴です。のどにイガイガ感を伴うこともあり、長話をした際、のどが渇いたり枯れたりもします。咳の発作が激しい場合は、胸の痛みを感じたり、嘔吐、失神したりすることもあります。
 咳喘息は、喘息の前段階ともいわれています。咳喘息を放置すると、本格的な喘息に移行してしまうことがあるので、そうなる前に正しい治療をし、健康管理を続けることが大切です。

◆かぜやインフルエンザに注意
 かぜやインフルエンザかかると、気道の粘膜が炎症を起こします。その結果、わずかな刺激にも反応し、気道が収縮して咳喘息が起こりやすくなります。かぜの流行シーズンには、外出時はマスクを装着するようにしてください。できるだけ人ごみは避け、外から帰ったら、手洗いとうがいを徹底しましょう。

◆喫煙・副流煙(※)に気をつける
 たばこの煙は気管支を刺激し、咳の回数を増やします。特にたばこの副流煙は、受動喫煙といって、咳喘息を悪化させる原因になります。患者さん本人の禁煙は当然として、家庭や職場など、周囲の人にも禁煙や分煙を徹底してもらいましょう。
※副流煙…たばこの先端の火のついた部分から立ち上る煙

◆飲酒を控える
 アルコールは原則控えることが望ましいでしょう。お酒を飲むと、体の中にアセトアルデヒドという物質ができます。この物質は、気道を収縮させて咳を起こしやすくします。日本人は欧米人にくらべてアセトアルデヒドを分解しにくい人が多いため、飲酒の影響を受けやすいといわれています。飲みすぎには十分に注意してください。

◆アレルギーを起こさない環境をつくる
 咳喘息の患者さんにとって、アレルギーを引き起こす原因となるハウスダスト、カビ、ペットの毛、花粉などのアレルゲン(※)の排除は不可欠です。週に数回、布団や枕などの寝具を干したり、室内をこまめに掃除しましょう。
※アレルゲン…アレルギー反応を引き起こす物質のこと

◆気温の変化に気をつける
 急激な気温の変化は、咳喘息の発作を招きます。春や秋は常に気温の変化に注意を払い、外に出るときには服装による温度調節を心掛けましょう。エアコンを使う場合は、室外との温度差を大きくしすぎないよう注意してください。また室内の温度はいつも一定に保つようにしましょう。

◆ストレスをため込まない
 ストレスも、気道を過敏にさせる要因となります。日ごろからストレスの原因となる過労を避け、睡眠や休養を十分にとることが大切です。水泳など適度な運動を行い、抵抗力をつけることも咳喘息の予防につながります。

◆食生活に注意する
 バランスの良い食生活を心掛けましょう。食物アレルギーのある人は、アレルギーの原因となる食品を避けるようにしてください。食べ過ぎにも注意が必要です。
引用は以上。

 思い当たるのは断続的にあった新年会での飲酒である。ご馳走を腹いっぱい食べて、酒を飲むから胃腸にも負担をかける。新年会は食生活と生活のリズムを乱す。それは分かっている。ご馳走を前にすると胃腸の卑しさについ負ける。病は口からの言い伝えどおり、胃腸が弱って、免疫力が衰えるのだろう。
 2007年も1月末まで空咳に悩んだ。あの時は、三河湾のフグ料理に舌鼓を打って帰宅後、すぐに治った。毎日きちんと服薬していたのにちっとも効かなかった。それが何で治ったのか、今も不思議。フグ鍋のポン酢が体に良かったのか、体内の不完全燃焼に一気に火を点けるごとく血液が循環し、薬が効いたのか、と思ったりした。素人考えでは・・・。
 山を登っている間は不思議と咳が治まる。この記事にも気管支拡張剤を用いる、とある。呼吸が頻繁になる程度の軽い散歩やハイキングは或いは理に適った対応かも知れない。但し、体力を消耗しないことと空気の綺麗な野山に限るだろう。
 このしつこい咳も早ければ2月、3月には自然に治っている。そんな意味で春が待ち遠しいと思う。

大鵬さん死去!2013年01月20日

 今朝の朝刊は名横綱の大鵬の死去を一斉に報じた。時代とともに歩んだ人だけに惜しいと思う。享年72歳だった。
 1/18~1/20まで3日寝込んだ。体温は1/17が平熱で安心していたら夜に38度台に上がって下がらない。そんなぼうっとした頭でも大鵬の死去の報は身にしむ。評伝を読むと名横綱とはいえ、必ずしも幸福ではなかったと思う。そうであればこそ、彼が好きな言葉だったという「忍」が理解できる。育った北海道時代の境遇を思えばどんな苦難にも耐えられる。艱難辛苦が汝を玉にする、そんな言葉が良く似合う人生だった。ご冥福を祈る。

春よ、来い♪2013年01月21日

 俳句仲間の作曲家があの人は天才と言った松任谷由実の歌。ピアノの軽やかなリズムが耳に心地よく響く。寒いときにこそ聞きたい名曲。英詩人・シェリーの「冬来たりなば春遠からじ」の詩句の断片とともに記憶された。
 まだ見ぬ春、ふかふかの雪に戯れる予定だった来週の山スキー行きも体調不良を告げて中止にしてもらった。
朝一で聞くこの歌
http://www.youtube.com/watch?v=sfUAbinfsCA

第33回天白川俳句会2013年01月27日

俳話会作品。13時30分から17時まで。

雪やみて鼓星の音はるかより    和子

 鼓星はつづみぼしでオリオン座の別称という。雪がやんで夜空に真っ先に見えたオリオン座をあたかも鼓を叩く音が聞こえ来るごとくと詠んだ。

障子穴ぽっかりと開く六日かな    且行

 息子夫婦が孫を連れて来て、一時は喧騒の中にあった正月三が日も過ぎた。片付けも終わった六日にふと障子に開いた穴を見つけた。静けさは寂しさと思う老夫婦の心境にも似て。

裸木や百舌の眼差しキラリとす    宏子

 自宅の庭の枯れ木に飛来した百舌。それと分かるのも鳥に詳しい友人がいて説明を聞けるからだ。作者の心を射るごとき百舌の鋭い眼差しにフォーカスした1句。

寒満月雲移ろえば己が影       順子

 老境にある作者にとって雑事に追われた年末年始であった。新年を寿ぐ余裕もなかった。孤影に包まれた寂しい句である。嫁がない娘が意外にも母思いであることを知って却って客観視できた。

金華山冬日に憩う人だかり      拙作
 
 登りにして1時間もかからない小山であるが、眺めは抜群によろしい。こんな山の近くに住む人は幸せである。