白鳥に衆山こたへ眠りけり2010年01月30日

定本『普羅句集』焦鈴舎句屑から。
白鳥は白鳥山のこと。新潟富山県境の山で北アルプスで最北の山。検索すると衆山はどうも中国の詩人杜甫の漢詩「望岳」に由来するようである。

「今回から杜甫の人生に従って、若き日からの詩を読んでみましょう。「望嶽」この詩は、開元28年(740)杜甫29歳の作で、杜甫の詩としては、「エン城の城楼に登る」と共に現存する最も若い時のものです。

 望嶽   杜 甫
 岱宗夫如何、斉魯青未了。
 造化鍾神秀、陰陽割昏暁。
 盪胸生曽雲、決眥入帰鳥。
 会当凌絶頂、一覧衆山小。

 岱宗 夫れ如何、斉魯 青未 だ了わらず。
 造化 神秀を鍾め、陰陽 昏 暁を割く。
 胸を盪かして 曽雲生じ、眥 を決して 帰鳥入る。
 会ず当に 絶頂を凌ぎ、一覧 して 衆山を小とすべし。

【通釈】
 泰山とは、そもそもいかなる山か、斉・魯の国にまたがり、山の青さは尽きることがない。

 天地創造の造物主が、比類無き霊妙を集め、陰陽の二つの気が、朝と夜を割っている。

 我が胸を動かすように、雲が生じ、目を開けば、ねぐらに帰る鳥が山の彼方に吸い込まれる。

 いつの日か、必ずこの山の絶頂をきわめ、周囲の山々を一望に見渡し、見おろすことにしたいものだ。

 この時期の杜甫は、夢と希望に満ちていました。この詩が後年の詩と著しい違いを見せるのは、「志」においてです。この詩全体を読めば、杜甫がいかに大きな望みを持ち、天下に名を成そうとしていたかが解ります。全体の詩文は、泰山(山東省の名山、泰山・華山・衡山・恒山・嵩山を五岳という)の壮大な景色を詠んでいます。しかし、詠まれた景色は、皇帝の封禅(天子が天と地を祭ること)が行われた山です。それが前提です。」
「※一覽衆山小:周囲の群小の山々を、一望に見下ろしてやるのだ。(みんなをみおろしてやるのだ)。 ・衆山:もろもろの山。 ・小:ここでは、「(一覽)・衆山小」で「多くの山々が小さいことを…」の意。」

 白鳥山は眠っている。もろもろの低い山ももちろん白鳥山に応えて眠るのである。というほどの意味だろう。