映画「小島の春」鑑賞 ― 2007年08月16日
1940年制作。豊田四郎監督。小川正子(山梨県生まれ、1902--1943)原作『小島の春』(1938年)の映画化である。小川正子はハンセン病(らい病)治療に従事した医師。当時は列強の中で一番患者が多かったため国策として長島愛生園においてらい病の治療に当ったり、検診のため各地を歩く。
1942年に死去後出版された『小島の春』はベストセラーになり2年後に映画化された。映画では瀬戸内海の島を訪ねては患者を説得して愛生園に連れて来るシーンが主体となる。
この映画を知ったきっかけは高峰秀子の自伝的エッセー「わたしの渡世日記・上」の中の”にくい奴”と”ふたりの私”で杉村春子扮する患者が病気の為に顔を見せないでする演技に感銘を受けたという文章であった。彼女が16歳の時であった。はたしてどんな演技だろう、と注目したが特別な感動はなかった。
そこは子役時代から女優として10年を経たプロの高峰秀子の求めていたものがあったとしか思えない。主役は夏川静江扮する女医であるが毅然とした彼女の演技の方に私は惹かれる。
この年から14年後の30歳で彼女の代表作「二十四の瞳」が制作される。子供達が飛び跳ねるように動き回る場面や小山医師(小川正子に扮した夏川静江)の姿が大石先生とダブルのである。同じ風光明媚な瀬戸内海の小島を舞台にして。おまけに大石先生の母親として夏川静江も出演している。小島の春は夏川が31歳の時の作品であった。
戦後釣り文学の最高傑作といわれる森下雨村のつり随筆『猿猴川に死す』の中にある”天国と地獄”にも小川正子の「小島の春」が引用されている。ここでは「レプラ」というドイツ語であるが小川正子が訪ねたらい病患者の村である。2005年の春あいつで2冊も出版されたが小学館文庫では割愛され、平凡社ライブラリー版に入っている。但し地名はxxxと伏字である。文を読む限りはらい病患者に対する偏見に満ちた感情ではない。大変な所へきてしまったという揺れ動く複雑な心理が描写されている。
現代ではハンセン病の治療法は確立されたようだ。それでもまだ偏見は残る。小説や映画『砂の器』でハンセン病を初めて知った人も多いだろう。映画『ここに泉あり』にもハンセン病の治療施設で楽団が演奏する場面があった。『小島の春』のような暗い内容の映画はもう作られることはないだろう。
1942年に死去後出版された『小島の春』はベストセラーになり2年後に映画化された。映画では瀬戸内海の島を訪ねては患者を説得して愛生園に連れて来るシーンが主体となる。
この映画を知ったきっかけは高峰秀子の自伝的エッセー「わたしの渡世日記・上」の中の”にくい奴”と”ふたりの私”で杉村春子扮する患者が病気の為に顔を見せないでする演技に感銘を受けたという文章であった。彼女が16歳の時であった。はたしてどんな演技だろう、と注目したが特別な感動はなかった。
そこは子役時代から女優として10年を経たプロの高峰秀子の求めていたものがあったとしか思えない。主役は夏川静江扮する女医であるが毅然とした彼女の演技の方に私は惹かれる。
この年から14年後の30歳で彼女の代表作「二十四の瞳」が制作される。子供達が飛び跳ねるように動き回る場面や小山医師(小川正子に扮した夏川静江)の姿が大石先生とダブルのである。同じ風光明媚な瀬戸内海の小島を舞台にして。おまけに大石先生の母親として夏川静江も出演している。小島の春は夏川が31歳の時の作品であった。
戦後釣り文学の最高傑作といわれる森下雨村のつり随筆『猿猴川に死す』の中にある”天国と地獄”にも小川正子の「小島の春」が引用されている。ここでは「レプラ」というドイツ語であるが小川正子が訪ねたらい病患者の村である。2005年の春あいつで2冊も出版されたが小学館文庫では割愛され、平凡社ライブラリー版に入っている。但し地名はxxxと伏字である。文を読む限りはらい病患者に対する偏見に満ちた感情ではない。大変な所へきてしまったという揺れ動く複雑な心理が描写されている。
現代ではハンセン病の治療法は確立されたようだ。それでもまだ偏見は残る。小説や映画『砂の器』でハンセン病を初めて知った人も多いだろう。映画『ここに泉あり』にもハンセン病の治療施設で楽団が演奏する場面があった。『小島の春』のような暗い内容の映画はもう作られることはないだろう。
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