藤森栄一著「かもしかみち」を読む2006年12月10日

 山岳遭難で一番多発している道迷いのことを考えている。
 松本清張作「黒い画集」には”遭難”という短編があった。北アルプスを舞台にして妻の不倫の相手の山の友人を遭難に見せかけて殺す設定である。森村誠一の「死導標」は道標を故意にいたずらして恋敵を道迷いで遭難させる設定であったと記憶している。他にも新田次郎の作品は沢山の道迷い遭難を描いている。「八甲田山死の彷徨」は余りに有名である。吹雪の志賀高原の一帯で行方不明になったテーマは「シュプール」だったか。何故か引き返さずに進んでしまう遭難者の心理を描く。
 ノンフィクションでは表題の「かもしかみち」の冒頭の1、古道雑聚の”かもしかみち”に南アルプスの鋸岳で死体をみる件がある。藤森は考古学者として知らない人は居ない。しかしこんな文を読むとかなりな登山愛好家でもあったらしい。ザイルを使って鋸岳を縦走する途上、知り合いの猟師の死体を見つけるのである。そして疑問を呈する。長作がザイルなしでよくこんなところまで登って来れた、というもの。彼は多分沢を登攀してきたんだろうと推察している。元々かもしかみちなる名前も長作の云っていた言葉を拝借したようだ。
 長作は地図にない山道、獣道を知り尽くしていた猟師であった。地図も持たず、南アルプス北部の山々を跋渉していたのである。中央アルプス南部の名山といわれる安平路山も御所平に住んでいた安平という山師の作った山道であったというところから名が残った。http://sirakabaalpineclub.hp.infoseek.co.jp/page015.html
昔はこんな山びとがそこかしこに居たのである。彼らを案内人にしてアルプス登山を楽しんでいた時代があった。それは戦前であった。今では町で育った山好きが高じて山岳ガイドになっているが知識や登山技術だけでは心もとない。
 山名にも台高山脈の迷岳がある。ずばり猟師から恐れられてそう名付けられたであろう。西上州の父不見山(ててみえず)も何かしら道迷いで帰らない父親を案ずる家族を示唆している。岩科小一郎著「山ことば辞典」に”ミノハザワ”がある。解説には「遡行しても岩壁や壁などに阻まれて抜けられず結局戻ってこなければならない沢、行き詰まりの沢のこと。」箕輪と書くそうだ。今でこそハーケン、ボルト、ザイルがあるから何とか抜けられるが昔はそうではなかっただろう。遡行出来ても戻ることも出来ない沢もあったかに思う。そのままおろく(餓死)になったであろう。
 奥美濃の雷倉に登山しようと登山口の八谷の山家で道を尋ねたことがあった。先だっても岐阜の会の人が登りなさったとか。世間話するうちに猟師の夫が雷倉で道に迷い村総出で探してもらって九死に一生を得たことも聞いた。獲物を追う猟師山を見ず、という話そのものであった。
 猟師すら道に迷い、命をなくすこともあるのである。まして我々山の素人は慎重の上にも慎重を期するべきである。山には落し穴が一杯あるのである。楽しむことばかりでなくたまにはこんな本でも読み直したい。他に今西錦司「山の随筆」、柳田國男「遠野物語」「山の人生」など枕辺に置いておきたい名著である。

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