旧友の話2006年12月04日

 今夜突然10代の頃の旧(級)友のYが電話を寄越してきた。何と40年ぶりの声である。
 彼とは年賀状を交わす程度である。何の用かというと何と「愛知県の山」の本のことであった。登山をやるのか、と聞けばそうではなく、奥三河の川の写真を撮影するのが最近の趣味であるという。しかし川と山は一体のものだからつい山の本にも目が向いたらしい。表紙の写真に惹かれたという。概説を読むとどこかで聞いた名前で、(同一人物と見て)すぐに思い出してくれて電話を寄越したのである。
 余りにも綺麗な写真だなと誉めるのでリバーサルフィルムを使用したと明かしておいたがすぐに理解してくれた。彼も利用しているからだ。2010年には写真展を開催するのが目標らしい。特に設楽ダムが着工の運びになることを懸念していた。寒狭川のことを気にかけているようだ。
 彼は自然美を狙っての撮影ではなくリアリズムでいくらしい。ありのままを撮るのである。ドキュメントと言った。それなら東松照明の世界だね、と返した。今年愛知県美術館で初めて鑑賞した。単なる絵葉書的な美意識で撮影されたものではない。いかにも彼らしい。微かに脳裏に刻まれた彼の性格を思い出す。
 写真談義が続いたが登山の方へは興が向かないようだった。最後はまた会おうと電話を切った。義理で無理に買ってもらったわけではない、書店でふと手にした山の本に旧友の名前を発見した。ほお、あの男がねえ、というその驚きが伝わってきた。かつては同じ職場にいたが30人ほどいる仲間に勧めておいてくれるという。ありがたい。
 懐かしき電話の主は旧友か本に我が名を見つけて寄越しぬ
 嬉しさは格別なりきわが著書の読者として古き友の健在
 偶然にお買い下さるありがたさ本でつながる数々の話
 夢のごとき思いに浸る今宵なりたかが山書されど山書    以上拙作