風邪かな? ― 2026年01月02日
丸の内の事務所で年賀状の準備をしていたら激しいくしゃみに襲われた。まだ風邪という自覚はなかったが自宅に戻ると鼻水が酷くなり滅多に使わないティッシュペーパーを連続的に何枚も使って鼻水をかんだ。時には洗面器に行って手鼻で鼻水を出した。どうやら風邪にかかったらしい。安静第一を心掛ける。雑務は多々あるのに何も手に付かず。
謹賀新年 ― 2026年01月01日
皆さま明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。
スキー行の疲れが抜けず年末2日とも休養に勤めた。初登山は中止して初詣に行って来た。年賀状やファックスをチエックするために事務所に立ち寄った。Pの近くの三の丸の愛知県護国神社、東区の富士神社、同金毘羅神社の三ケ所を回った。この時は結構な年賀の参拝客があるものです。
スキー行の疲れが抜けず年末2日とも休養に勤めた。初登山は中止して初詣に行って来た。年賀状やファックスをチエックするために事務所に立ち寄った。Pの近くの三の丸の愛知県護国神社、東区の富士神社、同金毘羅神社の三ケ所を回った。この時は結構な年賀の参拝客があるものです。
歳の暮 ― 2025年12月31日
2025年も今日までで終わる。振り返ると2023年で仕事やボランティアで力尽きるまで頑張ってしまった。2024年も目指していた山に目前で撤退するなど体調も最悪だった。そこで年央からダイエットを開始。2025年4月には80kgあった体重を68kgまで減らせた。内臓脂肪がとれて腹がへっこんで、60歳頃の洋服などがすべて着用できるようになった。
夏頃から出まわり始めた秋刀魚が豊富で形も大きいので毎日食べてきた。毎年晩秋に起きていた虚血性大腸炎が出なくなった。粘膜のビタミンと言われるVAは秋刀魚に豊富と改めて認識した。小便も血尿があったが無くなった。これで内臓(腎臓、肝臓、大腸)に関する老化の一部は改善できた。
心配なのはダイエットで体温が下がり過ぎること。低体温は免疫力を無くし癌にかかりやすくなる。森永卓郎さんなど急激にダイエットしておそらく体温も下がって癌で死亡してしまった。これは回避したい。
今は3kgから5kgの範囲でリバウンドさせている。多少の体重増は保温力のためにも大切だ。今回の風も8kg減量の悪影響かも知れない。良いことばかりではない。但し登山には確実に恩恵があった。行く回数が増えて楽しくなった。
夏頃から出まわり始めた秋刀魚が豊富で形も大きいので毎日食べてきた。毎年晩秋に起きていた虚血性大腸炎が出なくなった。粘膜のビタミンと言われるVAは秋刀魚に豊富と改めて認識した。小便も血尿があったが無くなった。これで内臓(腎臓、肝臓、大腸)に関する老化の一部は改善できた。
心配なのはダイエットで体温が下がり過ぎること。低体温は免疫力を無くし癌にかかりやすくなる。森永卓郎さんなど急激にダイエットしておそらく体温も下がって癌で死亡してしまった。これは回避したい。
今は3kgから5kgの範囲でリバウンドさせている。多少の体重増は保温力のためにも大切だ。今回の風も8kg減量の悪影響かも知れない。良いことばかりではない。但し登山には確実に恩恵があった。行く回数が増えて楽しくなった。
4つの信号 ― 2025年12月30日
1 握力の信号:ペットボトルを開けられるか。心臓、筋肉が弱っている。
スーパーで買い物袋を両手に持つ。血液の流れが良くなる。
2 片足で立つ:10秒以上立てるか。重要な信号。寿命を延ばす。認知症の発症率も低い。足やお尻の筋肉が丈夫でないと不便。
3 階段上り:休まず登れるか、二階分の階段を登れるか。心臓病で亡くなる確率が高い。肺が酸素を早く送る機能のチエックになる。
4 1日で笑う回数:1日一度も笑わないのはダメ。1日に3回笑う。免疫力を高める。
スーパーで買い物袋を両手に持つ。血液の流れが良くなる。
2 片足で立つ:10秒以上立てるか。重要な信号。寿命を延ばす。認知症の発症率も低い。足やお尻の筋肉が丈夫でないと不便。
3 階段上り:休まず登れるか、二階分の階段を登れるか。心臓病で亡くなる確率が高い。肺が酸素を早く送る機能のチエックになる。
4 1日で笑う回数:1日一度も笑わないのはダメ。1日に3回笑う。免疫力を高める。
御嶽スキー行2~三笠山の三角点を探す ― 2025年12月29日
29日も宿を出て御嶽スキー場で遊ぶ。昼食を食べるレストランでまったりとくつろぐ。もう今以上にスキーをうまくなろうという意欲はない。そんな雰囲気の中でゲレンデスキーに飽きた1人が三笠山に登ろうと言いだした。山やだけにすぐ決まった。
最終の第七リフトを降りてすぐ田の原に滑走。ここに三笠山への歩道の入り口がある。雪に埋まっているが山スキー専用靴でラッセルしながら登った。やがて山頂の神社に登拝できた。
ヤマップのGPSを見ると三角点は別の場所に埋設されている。そこでラッセルしながら倒木を跨いだりして三角点の埋まる場所に着いた。雪に埋もれているので盛り上がりを蹴って保護石に当たった。三角点は直ぐ発見できた。思いがけない登山の喜びを味わった。
三角点探しで約1時間も三笠山でさまよっている内にスキー場の終了時間も迫って来た。車道を滑ってゲレンデをゆっくり滑走。終点でスキーを終えた。帰り支度をしていると雪がパラついてきた。
帰名の途についた。同行の人が木曽の銘酒を買っていきたいというので牧尾ダムの下流の土産物店に寄る。木曽の銘酒といえば七笑、中乗さん、御嶽山、杣酒など結構ある。水田はないので伊那谷から米を取り寄せて豊富にある水で酒を造るのだろう。木曽には中山道も通っている。旅人も多かったから米の需要もあった。旅人に飲ませる酒も必要だった。
私は木曽の醤油と味噌を買った。酒とともに醸造、発酵食品である。他の客は百草丸を買っていた。薬も土産になるのだ。
日没が早い時期は高い山に囲まれた木曽谷はすっかり暗くなった。R19へ戻っても交通量は少なく、店も開いていない。どこか飲食店はないか、大桑に目当ての店を検索したが閉店後だった。近くに台湾料理の店があったので空腹を満たせた。道の駅大桑で1名と別れた。後は中央道を走って休み休みしながら春日井ICで降りた。勝川駅南のコインパーキング(1泊で1000円)でマイカーに荷物を積み替えて友人と別れた。
最終の第七リフトを降りてすぐ田の原に滑走。ここに三笠山への歩道の入り口がある。雪に埋まっているが山スキー専用靴でラッセルしながら登った。やがて山頂の神社に登拝できた。
ヤマップのGPSを見ると三角点は別の場所に埋設されている。そこでラッセルしながら倒木を跨いだりして三角点の埋まる場所に着いた。雪に埋もれているので盛り上がりを蹴って保護石に当たった。三角点は直ぐ発見できた。思いがけない登山の喜びを味わった。
三角点探しで約1時間も三笠山でさまよっている内にスキー場の終了時間も迫って来た。車道を滑ってゲレンデをゆっくり滑走。終点でスキーを終えた。帰り支度をしていると雪がパラついてきた。
帰名の途についた。同行の人が木曽の銘酒を買っていきたいというので牧尾ダムの下流の土産物店に寄る。木曽の銘酒といえば七笑、中乗さん、御嶽山、杣酒など結構ある。水田はないので伊那谷から米を取り寄せて豊富にある水で酒を造るのだろう。木曽には中山道も通っている。旅人も多かったから米の需要もあった。旅人に飲ませる酒も必要だった。
私は木曽の醤油と味噌を買った。酒とともに醸造、発酵食品である。他の客は百草丸を買っていた。薬も土産になるのだ。
日没が早い時期は高い山に囲まれた木曽谷はすっかり暗くなった。R19へ戻っても交通量は少なく、店も開いていない。どこか飲食店はないか、大桑に目当ての店を検索したが閉店後だった。近くに台湾料理の店があったので空腹を満たせた。道の駅大桑で1名と別れた。後は中央道を走って休み休みしながら春日井ICで降りた。勝川駅南のコインパーキング(1泊で1000円)でマイカーに荷物を積み替えて友人と別れた。
御嶽スキー行1~おんたけ休暇村に泊まる ― 2025年12月28日
山のクラブのスキーが好きな3人が「年末はゲレンデスキーに行こう」と相談してたちまちまとまった。行き先は御嶽スキー場。名古屋市民休暇村に宿もとれた。28日は朝早く出発。R19を走る。道の駅大桑で1名をピックアップ。途中、前方に真っ白な中央アルプスが現れた。三ノ沢岳である。道の駅木曽福島を過ぎるとすぐ元橋で木曽川を渡る。ここからは王滝川に沿う、狭く羊腸の道が続く。牧尾ダムの下流を橋で渡って御嶽信仰の拠点のある里宮を経て御嶽高原の北部にある名古屋市民休暇村に一先ず立ち寄って着替えを済ます。道路にも雪が覆うようになってスキーに来た実感が湧く。
何年振りかで御嶽スキー場でゲレンデスキーを楽しんだ。幸い晴天に恵まれてスキー場から中央アルプス全山、恵那山、乗鞍岳、穂高岳の吊り尾根もすっきり、遠望すると蓼科山と八ヶ岳も見えた。林道コースに周ると阿寺山脈の小秀山も見える。
体がスキーというスポーツに慣れないので中々板に乗る感覚が戻らない。午後終了間際になってから谷側に向かって板を向ける感覚を取り戻せた。12/28のハイキングの疲れがとれないまま連ちゃんでスキーというのは老躯にはちと厳しかった。
名古屋市民休暇村に投宿、豪華な夕食を囲んだ。特注でイワナの骨酒を注文(1500円)した。こんな会食も久々の楽しいものになった。思い付きで決まったことだが歳をとっても良いものである。
何年振りかで御嶽スキー場でゲレンデスキーを楽しんだ。幸い晴天に恵まれてスキー場から中央アルプス全山、恵那山、乗鞍岳、穂高岳の吊り尾根もすっきり、遠望すると蓼科山と八ヶ岳も見えた。林道コースに周ると阿寺山脈の小秀山も見える。
体がスキーというスポーツに慣れないので中々板に乗る感覚が戻らない。午後終了間際になってから谷側に向かって板を向ける感覚を取り戻せた。12/28のハイキングの疲れがとれないまま連ちゃんでスキーというのは老躯にはちと厳しかった。
名古屋市民休暇村に投宿、豪華な夕食を囲んだ。特注でイワナの骨酒を注文(1500円)した。こんな会食も久々の楽しいものになった。思い付きで決まったことだが歳をとっても良いものである。
厳寒の鞍掛山を歩く ― 2025年12月27日
名古屋を朝早く出発。ものすごく寒い。日進市で朝飯を食う。R153、R301、R420、R257と走った。新段戸トンネルを出てすぐの橋は凍結していた。他は順調に飛ばして道の駅したらに着いた。
先週に引き続き、設楽町清崎の山を探って見たくなった。そこで図書館で明治時代、戦後、高度成長期の五万図をチエックして見た。清崎からかしやげ峠に突き上げる郷沢沿いの地形が緩斜面なので水田でもあろうか、記号が破線路なので歩けるならトレースして見たかった。かしやげ峠に突き上げて鞍掛山に登頂も悪くない。と大まかな案を立てて出発した。
道の駅からしばらくは車道を歩く。野々瀬川沿いの道を行くと赤松神社を過ぎて郷沢に出合う。適度に踏み込まれた山道を想定していたが、なんだすべて舗装された林道である。橋を渡ると未舗装になる。あそこもここも水田の廃田が続く。
林道の終点で郷沢沿いから離れて境界尾根と西尾根の間の緩斜面に作られた新しい林道を歩く。この林道からは立派な石組みが見えて来た。(下山後、地元の人に聞くと昔は渡邊いっけいさんの母親が住んでいたそうだ。)かつて生活があったという断片は一切なかった。石垣の上に入っても何も見当たらない。
林道は石垣の下で終わった。そのまま散乱した上を行くと土管が見えて小代からの林道に突き当たった。白いガードレールも見える。林道歩きから境界尾根474に合うとかしやげ峠の道標があった。ここを登ると踏み跡があり辿ってゆくと鞍部を越えて左折。そのまま歩くと棒沢の源流部が見下ろせる。植林下、ゴーロはないので歩けるだろう。まもなくでかしやげ峠に着いた。
ものすごく寒い中で一休み。早々休んでも居れず鞍掛山に向かう。ここから坂道が急峻になった。ゆっくりゆっくり高度を上げる。北風がまともに当たって寒い。足元には霜柱が立っている。急登をこなして883mに登頂。三角点が見当たらない。まあ良いか。最高所で一休みするが寒いのですぐに立つ。
びわくぼ峠までも凍結で固い土をやり過ごしながら下る。峠からは荒れた山道を下る。断崖絶壁から氷柱が下がっている。下部に下っても傾斜がゆるくならず、東海自然歩道にしては手強い。やっと塩津の村に出た。あいにく県道、町道とも工事中だったが人間だけなら通れるよ、と地元民のアドバイスで車道を歩く。塩津温泉の宿が二ヶ所ひっそりと営んでいる。
植林に囲まれてた車道歩きに飽きた頃、やっと清崎の外れに来た。棒沢の対岸の家に人が居たので聞いたら「郷沢」との回答。あそこが鞍掛山だよ、というので仰ぐとかぶさるような山容だった。郷沢から上って今、あそこから下って来たんです、と。再び道の駅へ歩み始めた。清崎まではいくらもない。
先週に引き続き、設楽町清崎の山を探って見たくなった。そこで図書館で明治時代、戦後、高度成長期の五万図をチエックして見た。清崎からかしやげ峠に突き上げる郷沢沿いの地形が緩斜面なので水田でもあろうか、記号が破線路なので歩けるならトレースして見たかった。かしやげ峠に突き上げて鞍掛山に登頂も悪くない。と大まかな案を立てて出発した。
道の駅からしばらくは車道を歩く。野々瀬川沿いの道を行くと赤松神社を過ぎて郷沢に出合う。適度に踏み込まれた山道を想定していたが、なんだすべて舗装された林道である。橋を渡ると未舗装になる。あそこもここも水田の廃田が続く。
林道の終点で郷沢沿いから離れて境界尾根と西尾根の間の緩斜面に作られた新しい林道を歩く。この林道からは立派な石組みが見えて来た。(下山後、地元の人に聞くと昔は渡邊いっけいさんの母親が住んでいたそうだ。)かつて生活があったという断片は一切なかった。石垣の上に入っても何も見当たらない。
林道は石垣の下で終わった。そのまま散乱した上を行くと土管が見えて小代からの林道に突き当たった。白いガードレールも見える。林道歩きから境界尾根474に合うとかしやげ峠の道標があった。ここを登ると踏み跡があり辿ってゆくと鞍部を越えて左折。そのまま歩くと棒沢の源流部が見下ろせる。植林下、ゴーロはないので歩けるだろう。まもなくでかしやげ峠に着いた。
ものすごく寒い中で一休み。早々休んでも居れず鞍掛山に向かう。ここから坂道が急峻になった。ゆっくりゆっくり高度を上げる。北風がまともに当たって寒い。足元には霜柱が立っている。急登をこなして883mに登頂。三角点が見当たらない。まあ良いか。最高所で一休みするが寒いのですぐに立つ。
びわくぼ峠までも凍結で固い土をやり過ごしながら下る。峠からは荒れた山道を下る。断崖絶壁から氷柱が下がっている。下部に下っても傾斜がゆるくならず、東海自然歩道にしては手強い。やっと塩津の村に出た。あいにく県道、町道とも工事中だったが人間だけなら通れるよ、と地元民のアドバイスで車道を歩く。塩津温泉の宿が二ヶ所ひっそりと営んでいる。
植林に囲まれてた車道歩きに飽きた頃、やっと清崎の外れに来た。棒沢の対岸の家に人が居たので聞いたら「郷沢」との回答。あそこが鞍掛山だよ、というので仰ぐとかぶさるような山容だった。郷沢から上って今、あそこから下って来たんです、と。再び道の駅へ歩み始めた。清崎まではいくらもない。
地形図に残された交通史~森林鉄道 ― 2025年12月26日
設楽町の資源は森林と水である。昭和の初めの地形図には明治時代にはなかった田口鉄道のトンネルが印刷される。後には豊橋鉄道田口線に変わる。戦後の石油輸入が盛んになると自働車用に改良されて稲目トンネルに変わった。1958年頃にはスバルのテントウ虫が発売、続いてトヨタのパブリカ、日産のサニー、トヨタのカローラでモータリゼーションの波が来ると鉄道は衰退する。
田口線の終点は田口から寒狭川に下ったところに田口駅があった。昔は津具村で算出した金鉱山も運んでいた。田口線田峯駅から当貝津川沿いに森林鉄道の支線が張り巡らされた。更に栃洞線、最奥の鰻沢線が伸びた。鰻沢の源流は出来山という。鰻沢を遡行して出来山に登った。この時も源流部には森林軌道の跡が残置されていた。橋脚、沢沿いの軌道は美しいアーチを描く石垣が続いていた。これを見ると伐採作業員、鉄道の機関士、石工等多くの働き口を提供したであろう。
トラックの時代になるとこれらは一気に何事も無かったかのごとく消え去った。古いトンネルだけは壊さずに残っている。
田口線の終点は田口から寒狭川に下ったところに田口駅があった。昔は津具村で算出した金鉱山も運んでいた。田口線田峯駅から当貝津川沿いに森林鉄道の支線が張り巡らされた。更に栃洞線、最奥の鰻沢線が伸びた。鰻沢の源流は出来山という。鰻沢を遡行して出来山に登った。この時も源流部には森林軌道の跡が残置されていた。橋脚、沢沿いの軌道は美しいアーチを描く石垣が続いていた。これを見ると伐採作業員、鉄道の機関士、石工等多くの働き口を提供したであろう。
トラックの時代になるとこれらは一気に何事も無かったかのごとく消え去った。古いトンネルだけは壊さずに残っている。
地形図に残された交通史~伊那街道 ― 2025年12月25日
あいにくの小雨模様だが三の丸のPに停めて、愛知県図書館に向かう。三の丸の道路は南へはしばらく歩かない。これまでは幕で閉ざされていたが知らない内に白いビルが姿を現して来た。耐震補強をしたのかどうか。
城跡の蔓性の植物も枯れている。そんな風景が枯れ葎の季語を引き出す。小雨で暗い感じが如何にも生命力の衰えた感じを引き出している。
さて、久々の愛知県図書館に来た。警備員が以前から居たとは思うが強い警戒心を感じさせるのは不審な入館者をチエックしているのだろうか。
目的は戦前戦後の地形図の閲覧である。3階に上がって地域資料のコーナーに行く。ここには明治時代からの地形図が閲覧できるのでたまに来る。今日はこの前歩いた新城市から設楽町を貫く歴史の山路である伊那街道の資料探しだった。
まずは設楽町誌の絵図だけを集めた書籍を調べた。明治時代初期までの本格測量の地形図がなかった時代は鳥観図のような手書きの絵図で村の様子を記録していた。以前にも名倉の仏庫裡の古名を調べたら「ぶくりこや」となっていた。段戸山も後に鷹ノ巣山に変更されたが根拠は古名の「たかのす」である。宇連山の古名は「がんどぅ」であり、振草村誌の古名は「がんぞもちふで」というわけである。鳳来湖の奥地は振草村だったが合併で最奥は設楽町に編入、外は東栄町とまたがって整理された。
つまり地図は散文ではないが、歴史が凝縮されている。見たのは五万図の「田口」。明治44年版、昭和の戦前、戦後の4枚を見た。
与良木峠は記載されていたが、設楽町側に下った辺りから・412の南の鞍部を越えて、四谷の大代と小代を結んだ旧伊那街道に連絡する破線路がつながっていた。かしやげ峠を経ないで海老へ行く近道のイメージである。四谷には仏坂峠付近に古宿という地名があった。ここは宿場があったのだろう。小代から塩津、荒尾までも険しい山路である。与良木峠経由清崎経由の新道もすでにあって現在のR257の道に伊那街道とルビが降ってある。なおかつ隣の破線路は石畳の道も残っている。
江戸時代から明治時代になると人口も増えた。輸送する塩の運搬の回数や量が増えてなるだけ楽なルートへと改良が続けられたと読める。
城跡の蔓性の植物も枯れている。そんな風景が枯れ葎の季語を引き出す。小雨で暗い感じが如何にも生命力の衰えた感じを引き出している。
さて、久々の愛知県図書館に来た。警備員が以前から居たとは思うが強い警戒心を感じさせるのは不審な入館者をチエックしているのだろうか。
目的は戦前戦後の地形図の閲覧である。3階に上がって地域資料のコーナーに行く。ここには明治時代からの地形図が閲覧できるのでたまに来る。今日はこの前歩いた新城市から設楽町を貫く歴史の山路である伊那街道の資料探しだった。
まずは設楽町誌の絵図だけを集めた書籍を調べた。明治時代初期までの本格測量の地形図がなかった時代は鳥観図のような手書きの絵図で村の様子を記録していた。以前にも名倉の仏庫裡の古名を調べたら「ぶくりこや」となっていた。段戸山も後に鷹ノ巣山に変更されたが根拠は古名の「たかのす」である。宇連山の古名は「がんどぅ」であり、振草村誌の古名は「がんぞもちふで」というわけである。鳳来湖の奥地は振草村だったが合併で最奥は設楽町に編入、外は東栄町とまたがって整理された。
つまり地図は散文ではないが、歴史が凝縮されている。見たのは五万図の「田口」。明治44年版、昭和の戦前、戦後の4枚を見た。
与良木峠は記載されていたが、設楽町側に下った辺りから・412の南の鞍部を越えて、四谷の大代と小代を結んだ旧伊那街道に連絡する破線路がつながっていた。かしやげ峠を経ないで海老へ行く近道のイメージである。四谷には仏坂峠付近に古宿という地名があった。ここは宿場があったのだろう。小代から塩津、荒尾までも険しい山路である。与良木峠経由清崎経由の新道もすでにあって現在のR257の道に伊那街道とルビが降ってある。なおかつ隣の破線路は石畳の道も残っている。
江戸時代から明治時代になると人口も増えた。輸送する塩の運搬の回数や量が増えてなるだけ楽なルートへと改良が続けられたと読める。
漏水事故の方向を伝える ― 2025年12月24日
12/23の理事会の結果を別の工事会社に伝えた。言いにくいがお断りのメールを書いて送信した。調査では結果3社になった。1社目は辞退してきた。2社目は待機してもらっていた。結果管理会社が連れて来た業者に依頼するので2社目は断った。しかし、また別の機会もあろうか、と丁重に伝えた。老朽化した建物はトラブルが次々出て来る。老人が高齢になると病気のデパートみたいになるのと同じだ。今後はメンテナンスに対応してくれる人脈作りも重要だろう。
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