東三河・越戸大山を歩く2016年05月09日

 5/5は大渋滞を予測できず、田原市内で昼過ぎになり、山に登るモチベーションがなくなった。それで写真撮影のみで帰名したのである。今日は気合を入れて朝6時に出発した。東名は込まないが、一般道に出てから混むので早朝の走行しかない。
 自宅からR302、R23に入ると高速道路なみに走れる。この道路は豊田市、刈谷市、田原市のトヨタの工場群と下請け企業を結ぶ産業道路だから休日は空いている。連休の最後とあって家族ドライブも少なくなったようだ。1時間ほどで豊橋市に着いた。
 天気は今日もゼロ%であるが、田原市に来ると半島の先が霞んでいる。太平洋側から海霧が流れているようだ。また悪い予感がしてきた。近づけば薄い霧が流れている。それでも上空は青空であるから、朝霧は女の腕まくりという天気の俚諺を思い出して、気を取り直す。登山口には8時に着いた。
 大山トンネル北口に登山口があり、Pも以前と変わりない。まだ誰も居ない。支度を整えて出発だ。登山口の目印から山側に沿った古い林道の廃道に入る。道は雨で荒れている。右に沢の音を聞くようになると細い山道になる。杉の植林であるが、林床にはシダ類がびっしり生えて、西南日本の植生を思わせる。傾斜が強くなると水音もはっきりしてくる。本流は右に分かれ、枝沢はもうお湿り程度しかない。この分かれ際に何とフィックスロープが張ってあった。ここからは大山と椛峠(なぐさ)を結ぶ稜線まで喘登を強いられる。
 夢中で上り詰めた稜線の植生もいつしか照葉樹に変わっている。ウバメガシに代表される西南日本の樹種である。樹高は高くないが、多分、原生林であろう。分岐からも急登は続くが広いので歩きやすい。小さな岩の突起に名前を付けて展望台になっている。すぐに小広い平地に着いた。昔のヘリポート跡地だろう。左から大山神社の参道が登ってくる。山頂はすぐ先にある。一等三角点本点である。
 かつて、柳田國男が旧姓の松岡國男だった頃、この山に登ったことを「遊海東記」に書いている。
 以前は通信施設の向こう側に行けば好展望が得られたが、今は、防護ネットで行けず、その代わりに鉄骨の展望台が建っていた。2011年3月に建ったらしい。標高も古い地形図では327.9mであるが、国地院のHPには328.0mとあり0.1mアップしている。あの自衛隊ヘリ離着陸問題の時も反対運動が盛り上がり中止になった。わずかな期間に小さな変化はあったのである。
 そのうち、4人パーティーが登ってきた。聞くと大山神社からで35分かかったとのこと。懐かしい三河弁の会話についつい話の輪に入った。やはり豊橋の人らだった。会話の中身や所作が初心者とかハイカーではないので、どちらからともなく、山岳会を名乗る。東三河山歩会と知って、三ッ瀬明神山の尾根や谷のルート16本を踏査した地域研究書『私たちの明神山』の本の件になる。その本買いましたよ、と急に話が弾んだ。
 その後、『東三河の山』、『本宮山』も出たとのこと。『本宮山』はまだ豊橋市内の山用具店「モンタニア」に在庫があるとのことだった。HPからも買えるらしいが、折角なので、帰名のついでに「モンタニア」に寄り道することとした。
 次は雨乞山へ向かうというので、椛峠まで同行することとした。山頂からは一気に下る。ところどころの突起した岩場で眺めを楽しむ。狼煙山で彼らは昼食タイムになったので、そこで分かれた。およそ山中にふさわしくない鉄塔に出会うと椛峠はすぐだった。約15分でシデコブシの自生地に着いた。
 途中で雨乞山に直登する登山路があった。これも以前には無かった。椛峠からも踏み跡は登っていたが、雨乞山に登った後で、どうするか。以前は148m三角点を経て用水路施設付近に下り車道を歩いて大山トンネル北口まで戻った。この新ルートを下りに使えば椛のシデコブシ自生地に下り、徒歩15分で北口に戻れる。

東三河・衣笠山から滝頭山を歩く2016年05月09日

 今日は渥美半島の山をダブルヘッダーで歩く予定だ。前半は首尾よく終わり、後半は衣笠山から滝頭山を歩くために田原市に向かう。
 大山トンネル北口は11時30分に出発。R259へ戻り、馬草から県道2号に左折。この道路は初めてであるが、三河湾の渚に沿うドライブウェイである。地形図「野田」はこの界隈の地名であった。仁崎町から海を絡めて衣笠山が均整のとれたコニーデ型の山容で迫る。
 白谷の交差点で右折、更に滝頭公園への交差点を直進すると公園のPに着く。12時30分に出発。登山口まで徒歩7分ほど車道を戻る。道標に導かれて薄暗い照葉樹の林の中の遊歩道を登る。階段道が辛いので脇を登る。ジグザグを切りながら高みを目指す。松尾岩を通過すると山道はますます急になった。地形図の等高線はほぼ同じに見えるが、上になるほどジグザグを切れなくなり直登になるからだ。
 右からくる殿様云々のルートと合流すると山頂はすぐだ。山頂も樹林におおわれているが、大山と同じサイズの展望台が建っていた。あいにく霧が薄くただようのですっきりしない。蔵王山や三河湾の俯瞰はできるのがせめてもの慰めだ。木立の中の三角点を確認。おにぎりを1個食べる。暑いのでお茶の方が美味しいくらいだ。
 山頂を辞して白谷林道と桟敷岩の道標の方へ行ってみる。すぐに分岐になる。白谷林道は山の北へ下りてしまうので左の桟敷岩を巡る。岩に立つと三河湾が俯瞰できた。下りは桟敷岩の付け根を左へ回り込みながらいい道が下ってゆく。途中で衣笠山への直登路と合流する。すぐに車道のような道に合流。仁崎峠に導かれる。峠へも二岐があり、一方は急坂、左はなだらかな道とあり、もちろん左を選ぶ。
 峠からは滝頭山を目指した。植生は照葉樹ながらも樹高が高い。そのためか少し明るい感じがする。衣笠山は細幹の灌木類が密生して風も通らないのに滝頭への道はやや明るい。
 その違いは衣笠山に松尾岩の地名があるように、一度燃料確保のために皆伐されたと想像する。ウバメガシは紀州備長炭で知られるようにいい炭の原料になる。ところどころ松の古木が残っていたのは地味が痩せると松しか生えないからだ。話は飛ぶが、戦中は石油も輸入ができないから身近な燃料の木炭はいい値で売れた。戦後すぐの写真があれば見たいものである。おそらく兀山だったに違いない。
 滝頭山へは急登で喘がされた。こんなにもきつかったかなと思う。今はここにもフィックスロープがある。頂上は樹木に囲まれて衣笠山が少し見えるにとどまる。道標は藤尾山へ向かうものと滝頭不動へ下るものと分かれる。左へ下る。恐竜の背という岩場を経る。そこに寄るが足場はあるが樹木の密生で下が見えにくく、迂回路の分岐に戻って下った。滝不動までは急降下する。やがて立派な神社があり石段を下ると滝頭公園の奥に立つ。車道を下れば駐車場までは10分。2時間ほどのハイキングだった。
 公園からR259へ、久々に豊橋市街に行く。目指すは松葉公園。登山用具店「モンタニア」さんだ。記憶を頼りに行くがなかった。近所の老婦人に聞くとあそこ、と立派なビルを指差して教えてくれた。
 40年前の20歳代半ば、初めてこの店でニッカーズボンなどを買った。腰回りがだぶだぶなのでぴったりするサイズをいうと、主人はそのうち体の方が合ってくるというのだ。疑心暗鬼で購入したがなるほどウェストは68センチから80センチを越えた30歳を過ぎても愛用していた。10年は使えた。こんな細々したことを覚えているのも大金をはたいたからだ。
 間口の狭い店から立派なビルを建てるまでに発展していた。代替わりして今は息子さん夫婦で切り盛りしている。私の山暦のこの40年で名古屋でも一貫して発展した店は「駅前アルプス」だけだ。身の丈にあった規模の店に変わりながら広げてきた。サンコージツは一旦撤退後、好日山荘になり、IBS石井スポーツは休業期間を経て再開、いくつもの登山用具店が生まれては廃業してく消長を見てきた。東三河の中心の地方都市とはいえ暖簾を守るのは大変なことだっただろう。
 『本宮山』はありますかと用件を告げると在庫を出してくれた。駅前の精文館にも寄り山書を物色するが購入する本はない。帰路はR23を経た。右手の大きな山は本宮山だった。