東三河・衣笠山から滝頭山を歩く2016年05月09日

 今日は渥美半島の山をダブルヘッダーで歩く予定だ。前半は首尾よく終わり、後半は衣笠山から滝頭山を歩くために田原市に向かう。
 大山トンネル北口は11時30分に出発。R259へ戻り、馬草から県道2号に左折。この道路は初めてであるが、三河湾の渚に沿うドライブウェイである。地形図「野田」はこの界隈の地名であった。仁崎町から海を絡めて衣笠山が均整のとれたコニーデ型の山容で迫る。
 白谷の交差点で右折、更に滝頭公園への交差点を直進すると公園のPに着く。12時30分に出発。登山口まで徒歩7分ほど車道を戻る。道標に導かれて薄暗い照葉樹の林の中の遊歩道を登る。階段道が辛いので脇を登る。ジグザグを切りながら高みを目指す。松尾岩を通過すると山道はますます急になった。地形図の等高線はほぼ同じに見えるが、上になるほどジグザグを切れなくなり直登になるからだ。
 右からくる殿様云々のルートと合流すると山頂はすぐだ。山頂も樹林におおわれているが、大山と同じサイズの展望台が建っていた。あいにく霧が薄くただようのですっきりしない。蔵王山や三河湾の俯瞰はできるのがせめてもの慰めだ。木立の中の三角点を確認。おにぎりを1個食べる。暑いのでお茶の方が美味しいくらいだ。
 山頂を辞して白谷林道と桟敷岩の道標の方へ行ってみる。すぐに分岐になる。白谷林道は山の北へ下りてしまうので左の桟敷岩を巡る。岩に立つと三河湾が俯瞰できた。下りは桟敷岩の付け根を左へ回り込みながらいい道が下ってゆく。途中で衣笠山への直登路と合流する。すぐに車道のような道に合流。仁崎峠に導かれる。峠へも二岐があり、一方は急坂、左はなだらかな道とあり、もちろん左を選ぶ。
 峠からは滝頭山を目指した。植生は照葉樹ながらも樹高が高い。そのためか少し明るい感じがする。衣笠山は細幹の灌木類が密生して風も通らないのに滝頭への道はやや明るい。
 その違いは衣笠山に松尾岩の地名があるように、一度燃料確保のために皆伐されたと想像する。ウバメガシは紀州備長炭で知られるようにいい炭の原料になる。ところどころ松の古木が残っていたのは地味が痩せると松しか生えないからだ。話は飛ぶが、戦中は石油も輸入ができないから身近な燃料の木炭はいい値で売れた。戦後すぐの写真があれば見たいものである。おそらく兀山だったに違いない。
 滝頭山へは急登で喘がされた。こんなにもきつかったかなと思う。今はここにもフィックスロープがある。頂上は樹木に囲まれて衣笠山が少し見えるにとどまる。道標は藤尾山へ向かうものと滝頭不動へ下るものと分かれる。左へ下る。恐竜の背という岩場を経る。そこに寄るが足場はあるが樹木の密生で下が見えにくく、迂回路の分岐に戻って下った。滝不動までは急降下する。やがて立派な神社があり石段を下ると滝頭公園の奥に立つ。車道を下れば駐車場までは10分。2時間ほどのハイキングだった。
 公園からR259へ、久々に豊橋市街に行く。目指すは松葉公園。登山用具店「モンタニア」さんだ。記憶を頼りに行くがなかった。近所の老婦人に聞くとあそこ、と立派なビルを指差して教えてくれた。
 40年前の20歳代半ば、初めてこの店でニッカーズボンなどを買った。腰回りがだぶだぶなのでぴったりするサイズをいうと、主人はそのうち体の方が合ってくるというのだ。疑心暗鬼で購入したがなるほどウェストは68センチから80センチを越えた30歳を過ぎても愛用していた。10年は使えた。こんな細々したことを覚えているのも大金をはたいたからだ。
 間口の狭い店から立派なビルを建てるまでに発展していた。代替わりして今は息子さん夫婦で切り盛りしている。私の山暦のこの40年で名古屋でも一貫して発展した店は「駅前アルプス」だけだ。身の丈にあった規模の店に変わりながら広げてきた。サンコージツは一旦撤退後、好日山荘になり、IBS石井スポーツは休業期間を経て再開、いくつもの登山用具店が生まれては廃業してく消長を見てきた。東三河の中心の地方都市とはいえ暖簾を守るのは大変なことだっただろう。
 『本宮山』はありますかと用件を告げると在庫を出してくれた。駅前の精文館にも寄り山書を物色するが購入する本はない。帰路はR23を経た。右手の大きな山は本宮山だった。

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