木曽山脈・横川山(湯舟沢山)を歩く2014年05月02日

 自宅を出たのは朝8時。遅いのはどこへ行くのか迷っていた。先日、カメラのバッテリーが上がり、量販店で買おうとしたら在庫を置いていない。もう1店も同じだった。沢山あるカメラの消耗品でもあるバッテリーは在庫を抱えにくいと知り、アマゾンで注文。着荷するまでは遠出はできず、日帰りの範囲で探したのが横川山だった。
 今日はまだ平日なので中央高速道路は通行量多め。恵那SAはトラック、バス、マイカーで大混雑だった。中津川で下りて、R19から清内路峠を越えるR256を走る。整備されて走りやすくなった。峠を越えるとすぐにふるさと自然園の看板が目に付き右折。園内はバンガローが建ちリゾート地に成っている。それでもGWにしては静かである。駐車料金500円を求める看板があるので受付で支払う。登山道の様子を聞くが地図がない。、登山道は沢コースと尾根コースがあるが尾根コースを勧められた。園内の道を走るとすぐに大蔵貢の胸像があった。
 大蔵貢(1899~1978)は南木曽町の南沢で木地師の家に生まれた。後に清内路村に移る。兄弟は9人もいたが5人が貧しさの中で死んでいった。一家は東京へ移住。働きながら小学校へ通ったが、無声映画の弁士になる仕事を得て成功した。トーキーの時代を見越して、蓄財し、映画興行に転じ、これも成功。後に大蔵映画を創業。村では成功者として顕彰。大蔵貢も大蔵公園を寄贈した。
 東京でも弟が生まれた。大蔵敏彦(1918~1992)というが、歌手の近江俊郎で知られる。先祖が近江・永源寺町から出た木地師なので芸名には近江をつけた。そうと知って「山小屋の灯」を聞くとしみじみとした味わいがある。

https://www.youtube.com/watch?v=yIQvIgZa3wg

 園内を流れる稗畑沢を左折し、橋を渡ると駐車場に着く。稗畑なんていう地名も何となく木地師の焼畑農業を思わせる。冷涼な高原では米作は不可能だったから主食として栽培された。かつて宮崎県から市房山を越えて熊本県の人吉に着いた。そこの旅館で初めて稗飯を食べた。宮崎県椎葉村にはひえつき節があり、稗畑山なる山名もある。だからといって稗が貧しさの象徴かといえばそうではなかった。当時としては当たり前の生活であった。そして飽食の今は健康食品になっている。実は豊かさの象徴でもある。

 標高1000mの登山口にはすでに10台以上が駐車。すぐに身支度する。10:45に出発。笹に覆われ気味の浅い谷の山道を登る。桧の植林帯なので見通しは悪くしばらくは忍従の登りに耐える。笹が多いので最近は刈払いされていないようだ。道は左の尾根へと続く。枝道が意外に多いのは園内の散策道だろうか。といっても道標はない。
 高みに来ると赤いテープをぐるぐる巻いた辺りに来た。ここは尾根コースとの分岐(合流)のようだ。Pからのルートが笹が多いのは歩かれていないせいか。文字通りの尾根コースは笹も開かれている。尾根コースがあるなんてPには案内がなく、ただ、南沢山の登山口の表示があっただけだった。Pからもう少し走れば尾根コースだったのである。しかし、この赤テープは明らかに駐車場へ下るように示唆している。
 合流地点を過ぎると中間地点の表示があった。どうやら1440mのコブに達した。すぐに下ると鞍部からまた道が分かれていた。これが沢コースのようだ。笹は刈られている。そして南沢山への道を登りかえす。1414mの鞍部から登りきったコブが木曽山脈で、逆L字形に北へ分かれてゆく。南沢山へは西進する。ここからは植林帯を脱し、雑木林になる。標高も1500mになり、細い岳樺の林になる。時々、落葉松も混じる。山道は尾根にに忠実ではなく、山腹を巻くようにゆるやかに付けられて歩きやすい。
 やがて、恵那山が東西に根張りを広げて待っていた。南北にも東西にも大きな恵那山である。12:30、待望の南沢山へ着く。かつて登った南木曽町からの道は笹が深そうだった。今では歩かれていないように思える。ここには三角点もなく、引き返すのは欲がなさ過ぎるので横川山へ足を伸ばした。笹原の高原の山道を気持ちよく歩く。急登だが比高150mほどなので頑張ることもなく、あっけなく登頂した。 
 横川岳1620mへは500mほどを25分だった。意外なほどの大展望に酔う。残雪の御岳、乗鞍岳、南アルプス全山、中央アルプスなど360度の大展望の山道である。休んでいるパーティも3パーティ10名はいただろうか。恵那山は何度眺めても素晴らしい。中央アルプスは北からも南からも眺めたが木曽駒ヶ岳が統べている。大きな山塊に見える。
 この横川岳は以前は湯舟沢山と言ったが、今は横川山で定着したものか。ここもかつて富士見台から自然園へ縦走した際に踏んでいるはずだが記憶はまったくない。ただ既登のみ記憶している。岐阜県側に落ちる水が湯舟沢川というので美濃側の山名であろう。地形図では無名になっているのが不思議だ。ここも昔は良材の宝庫で御料林だったと思う。
廃線奇行から
http://nishimiyaushiro.web.fc2.com/haisen/yubunezawa1.html
 そういえば、山道の途中で、宮の字を8の字に彫った御料局の標石を見かけた。丁寧に歩けば御料局三角点も見つかるだろう。
 往路を戻った。途中、同じ会の女性に遭遇した。女性ばかり4名できていたらしい。しばらく同行し、沢コースを下った。彼女らは高山植物の愛好家らしく色んな草花を知っていた。エンレイソウなんて気がつかなかった。稗畑沢へは急降下する。右岸の怪しげな道を辿ると朽ちた桟橋や道標があって廃道と知った。沢身に下ると、踏み跡も少ない。ピンクのテープの目印があって何となく沢を渡渉できた。左岸に廃道があり、朽ちた桟橋、ハシゴをやり過ごして林道に着いた。そこで別れた。
 林道を延々あるいてPに着いた。すでに3台となっていた。
 R256に出て、次は流浪の俳人・種田山頭火の句碑を訪ねるドライブになった。6箇所の句碑のうち、3箇所を訪ねた。旧清内路村のHPから
【七々平】
山深く蕗のとうなら咲いている

【長田屋商店前】
おだやかに水音も暮れてヨサコイヨサコイ
死ぬるばかりの水は白うながれる
なんとかたいつぼみでさくら音頭で

【一番清水】
山しずかなれば笠をぬぐ

 ただ、飯田市へ行くために徒歩で、清内路峠を越えて、一泊しただけのことだが、それが観光の拠点にもなった。山頭火も有名に成ったものである。熱心な支持者(ファン)がおればこそである。

 1番好きな句は

 分け入っても分け入っても青い山

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