中村保『最後の辺境 チベットのアルプス』(東京新聞2012年)購入2012年06月06日

 JACの会報等で著者の名前は知っていたが、遠いヒマラヤへの関心は薄かった。私などは国内でもまだまだ未踏峰が数多ある。この3月東海支部の50年史を編纂中に中村保氏の名前もちらっと見て、息の長い人との思いを隠せなかった。
 表題の本から16年前の1996年には『ヒマラヤの東』を山と渓谷社から出版されて話題を呼んだ記憶がある。その後は『侵食の深い国』『チベットのアルプス』(いずれも山と渓谷社)を出版し、三部作完成とされた。
 ヒマラヤの地域研究としては屈指のスケールの大きさ、と広さ、深さに尊敬の念を込めて購入した次第。『ヒマラヤの東』は古書店に注文しておいたのが、今日届いた。どちらも立派な装丁である。
 支部の50年史の最後には「テラ・インコグニータ(知られざる土地)」の語彙を含ませた。山屋とは困難を克服する垂直の登攀のみならず、こうした行き方もあるという意味である。
 若い頃に一時的に熱を入れて活躍するも、壮年になるともう盛りを過ぎて、ただのおじさんになってしまう口先だけの登山家を何人も見てきた。この著者も「キセル登山家」と自虐的に言われるが、定年後も実行することはもっと尊いものだろう。そして書くことはもっとも尊敬に値すると思う。
 まさにパッピーリタイヤメントである。
 今西錦司さんも『私の自然観』(講談社学術文庫)-よい地図よいガイドブック(1960)-の中で「しかしまた、ヒマラヤにも初登頂のなくなるときが、早晩なくなるときがやってくるにきまっている。そのときがきても、登り古されたヒマラヤに登ろうと思って、中略、時間と金とを工面して、ヒマラヤへ出かける人のあったほうが、世の中は楽しいであろう。」と提言されていた。必ずしも登り古された地域ではないが、中村氏の行き方を示唆されたのではないかと思う。

 改めて今西さんの本書を読み直すとまた発見があって嬉しくなる。沢歩きこそは登山の神髄、登山というより冒険に近い、など、お説のとおりと首肯するのである。

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