足助晩秋2009年11月11日

有洞で見た渋柿
  綿虫の飛ぶや足助の谷間にも

  秋深し葛沢の千年の杉

  実南天足助のここもあの家も

  余りある地の勢いの穭(ひつぢ)かな

  禰宜さんも高きに登る村祭り(白鳥山祭り)

  秋の日や老いも若きも集うべし

  天高く祝詞の声の響きけり

  干し柿を吊るす有洞の山家かな

  渋柿や熟するまでは待機して 

  秋の朝読経の主は嫗(おうな)なり(平勝寺)

近藤信行編『山の名著』(自由国民社)2009年11月11日

 丸善でふと目に入った本。編集者の顔ぶれにどこかで見た気がした。自宅に帰って探すとあった。『日本の山の名著』(1984)の後継の本である。およそ25年ぶりに装丁もあらたに刊行された。大森久雄、岡沢祐吉、片山全平、近藤信行(責任編集)、滝川清、中村純二、平井吉夫、松屋晋、横山厚夫各氏の執筆者は同じ。旧著の皆川完一氏は新著では田辺則夫、節田重節(ママ:郎か)に入れ替わった。写真に羽田栄治氏が加わった。
 旧著ではⅠ近代登山のあけぼの、Ⅱ山に憑かれた人たち、Ⅲ戦後の山の本の3部構成であった。基本的に1冊を1ページから2ページで解説を試みた。約130冊もあったが今回は78冊に絞られた。解説もページ数が増えて詳細になった。字のポイントも大きくて読みやすい。旧著からはナンダ・コット登攀がヒマラヤの旅の次に入り、西蔵旅行記がW・ウエストンの極東の遊歩場の後ろに入れ替わった。
但し、副題に明治・大正・昭和戦前編とあるので旧著のⅠとⅡを集成した。おそらくⅢの昭和戦後編も用意されていると思う。海外遠征、日本百名山、山靴の音、風雪のビバーク、等々が収録されないと画竜点睛を欠くからだ。
 近藤信行氏は岩波文庫からも『山の旅-大正・昭和編』と『山の旅-明治・大正編』をアンソロジーでまとめた。この種の本はなるだけ買っておきたい。

区政協力委員会と地域委員会2009年11月11日

 今夜は区政協力委員会の会合であった。
 この仕事も4月からかれこれ半年を経過したが未だにしっくり行かない。なぜだろうか。原因は組織のあり方が旧態以前で民主的でないことが大きい。上意下達そのもので合議ということはない。管理社会にがっちり組まれている感じで息苦しい気がする。
○愛知県は教育の面でも管理教育で名を馳せた。その結果生徒の自殺が相次いだ時期があった。今は大人が自殺する。
○名古屋は偉大なる田舎と揶揄されるが区政に関しては「偉大なるムラ社会」である。
○地域のボス的な存在の人が行政に阿るのだろう。だから地域委員会の選挙制度を嫌がる。落ちたら恥ずかしいだと。
○議論して纏め上げていく仕組みを軽視する。
○区政協力委員会で扱っているものは生活に密着したことが多いがどうしても必要なことではない。たとえば敬老の日に配布する饅頭の数の把握、防災訓練の念の入れ様は大したことではない、実際の事故は想定外で起きる。訓練の指揮をとる委員長も75歳を越えている。事故が起きれば指揮は無理だ。
 つまり、行政が生活にうるさいくらいに干渉している気がした。敬老の日でも「私はまだそんなお世話にはならないわ」という人もいた。盆踊りの準備と片付け、小学校の学芸会の参観、成人式への参列、卒業式への参列、神社への参拝、などみな雑用の範囲を出ない。
 保護の必要な人を除いてほっとけばいいし、野垂れ死にしたって何も行政の責任ではないのだ。納税者はすべては自己責任で生きている。
 熱田神宮へのカネ、地元神社へのカネ、赤い羽根募金のカネ、町内会組織で1戸辺り1000円の事実上の税金を取って払っている。それなのに人の温かいつながりは感じられない。それはお上から否応なく押し付けられているからだろう。
 かつて若い頃大企業に在籍していたがそこでもフォーマルの組織とインフォーマルな組織を組み合わせて社員をがんじがらめに管理していた。職制だけでなくと出身県、出身学歴、住まう寮、社宅、町内などあらゆる縛りを設けた。これらの組織ごとに毎週のように行事を設定して外部社会と断絶していた。選挙になればフルに組織が動員された。創価学会、公明党、共産党も驚く結束ぶりであろう。息が詰まる気がしたものである。
 愛知県はどうしてこうも管理社会が好きな風土なんだろと考えた瞬間に思ったのは徳川家康の思想であった。家康は朱子学を熱心に学んだという。いわゆる孔子の思想である。為政者にはまことに都合がいいので熱心に取り組んだであろう。
 三河武士の特質としてお上には逆らわない、見返り、褒美を要求しない、貧しさに耐えてよく働く、というもの。これを社員とか生徒や市民に強いれば非常にうまい政治になる。この土地の土壌である。だからというわけでもないが自殺者、過労死が比較的多い。
 河村市長が提案する地域委員会は愛知県の管理社会的な風土を破れるだろうか。自治をいうのは優しいが。かつて岐阜県の石徹白が自治社会だったという。しかし、実際には割れた。外部の刺激に弱い点がある。
 土着の市民はムラ社会が居心地がいい。勤労者は転勤、異動で全国を動き回るから地域には疎い。年をとってから地域社会に馴染むのは難しい。歴史的に考えても自治は難しい。
 様々な人生を生きる市井に答えは一つではないということだ。行政(経営も同じ意味)とは市民への干渉ではない。自治という言葉がそもそも政治的である。平安な治世が誰のお陰か分からないうちに死んでいくのが理想である。