天白・御幸山散歩2008年03月30日

 3/29は土曜日だが締め切り間際の入荷がわっと入り忙しかった。天気は一日中良くて休日の人が羨ましい。やや肌寒いが春としてまずまずの気温であろう。自宅の駐車場に着いてもまだ充分明るいので再び御幸山へ散歩に出かけた。
 天白川沿いの桜並木はもう満開である。ぼんぼりが吊るされて人々が行き交うのも間近である。
  人恋し火とぼしころを桜ちる   加舎白雄
 天明時代の俳人の俳句である。桜が散るのはまだ早いがこの雰囲気を見るとこの句を思い浮かべるのである。天白警察署の裏手から植田川を渡る。そこまでの道端にも植えられた花々が咲き乱れている。サクラ、レンギョウ、コデマリ、などの早春の花が咲く。塩竃神社への道を探りながら歩く。神社への階段を登って行くとロウバイが植え込みに咲いていた。車では一方通行もあってこうは行かない。神社は既に閉鎖されて田舎のように境内をぶらぶら歩けることはない。公道に出て御幸山への急な坂道を登って登頂した。自宅から20分とはかからない。
 山頂からは適当に音聞山方面に向って下山した。道はすべて急で雪でも降れば外出不能ではないかと思えた。高級そうな住宅地を縫って下ると車道でいつか見た道に出た。約50分ほど歩くうちにすっかり日没となった。ちらほら赤ちょうちんが目に付く。その中の一軒にふらふらと入って軽く生ビールなど飲んで帰宅した。
 忙しい思いをした日ほど時間の進行を停滞させたい。仕事の連続を断ち切ってしまいたい。昨夜に続いて市川 崑監督(1915 - 2008.2.13)の映画を観た。
 昨夜は「悪魔の手毬唄」(1977)を観た。今夜は「犬神家の一族」(1976)である。劇場公開された当時は余りの派手派手しさに閉口して観なかった映画である。前者は岡山県の僻村にある旧家の没落、後者は成功者の悲劇を描いている。探偵の謎解き、スリラー、殺人事件を複雑な人間関係を絡ませながら展開する。
 原作の横溝正史は薬剤師だったせいか毒物の使用をうまく織り込んでいる。前者はトリカブト、後者は極秘にケシの栽培に絡んで巨額の儲けを得た話。岡山県の山村、神戸が登場するのも彼の実地体験があるからだろう。山村民俗の話も絡めて怪奇ロマンを演出している。
 加えて前者にサイレント映画時代の弁士松田春翠が登場したことも興味深い。原作にあるのかどうか知らないが芸が細かいと思った。
 いずれも舞台を狭い地域に絞り込んで推理を展開していく。非常に濃密な人間関係は互助には有利であるがひとたび憎しみ合うと執拗で残忍なことになりがちである。
 かの石徹白も形式上支配者がいない原始共産社会であった。厳しい自然と向き合うがゆえに免税をゆるされていた。今は水田もあるが昔は焼畑で生業をたてた食糧事情の悪い土地柄であっただろう。白山信仰に生きた御師の山里であった。そこを攪乱されたのであった。これまで小説の舞台になったことは聞いた事がない。同じ岐阜県と長野県の県境にある山口村も親子で村を二分してきた山村であった。最近になってようやく岐阜県に編入されたと聞いた。ここも余りに生々しくて小説にはしがたいのであろう。どんなに怖くても金田一なる探偵の活躍するお陰で小説の方がまだ救われているのである。