リーダー研修の座学事始め「真の登山者を目指す」2007年10月18日

 17日の夜は支部ルームでリーダー研修として座学を担当した。昨年依頼されてから考えたテーマは「先人に学ぶ」ということであった。昨今は登山歴の長いベテランリーダーでも遭難事故を起こすことからかねてから考えていたことをまとめるためにも引き受けた。
 主に今西錦司の著書から引用した要点をもって金言とした。
①本当の登山家とは山のことをよく知っている人であり、それゆえ登山家になろうと思えばまず山を知ることから始めなければならぬ。(今西錦司「山への作法」から)
②経験者といえども都会生活を送る者が、わずかの暇を盗んで得たぐらいの経験はどうせ大したものではない。われわれは山に対してはいつになっても初心者であるという謙譲な気持ちを、つねに持っていたいものである。(今西錦司「山岳省察」から)
③道がない場合も、あっても迷い易い場合も、藪や滝や岩場の記号があっても目的とするところを完登できる力があれば本物の自然は喜んで迎えてくれる。(西尾寿一「鈴鹿の山と谷」から)
④出来るだけ先輩と接して見、聞き、そして学ぶことになる。結局は会を仲介として、個人的関係に依存することになるから、教えを受けようとするものの積極的な意欲がなければ成績を勝ち取るわけにはいかぬ。(岳人No126「山岳会」特集の跡部昌三「入会ということ」から)
⑤会として成り立っている以上、その行くべき道がある。その一つとして完全な(真の)登山者への育成の問題がある。(登山靴を履いての)岩登りはその技術は登山の技術のエッセンスのように考えられるし、そこに登山の真髄を見出す。従って好むと好まざるとに関わらずある一定のところまでは必ずやってもらわなくてはならぬ。(跡部昌三「岩登りの目的」から)
以上のことを経験をまじえながら1時間ほど話した。
 山を知るには本から得られる細切れで矮小化された知識や技術では理解が難しい。登ってみることである。登ってみてどんな山か知ることによって登山術ではなく登るための作法が身につく、というのである。
 遭難事故が報道されると必ずや海外遠征の経験のあるベテラン、登山歴20年の熟練者などの形容で語られる。それでも事故を起こした事実は完全な真の登山者ではなかったことになる。常に初心者であると思いなさい、という言葉には重みがある。
 山に住む人は雲の動き、肌に感じる湿気や気温、風の動きなどをいやおうなく毎日観察している。それゆえこれからどうなる、という予測も可能になる。遊びで山に行く人には到底及ばないわけである。
 真の登山者への道は永遠ということである。うなぎやでさえ割き何年、串打ち何年、焼きは一生、という。うなぎを焼くにあたってはちょっとした油断も出来ないということだろう。もうこれでいい、ということがない。

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