秋思(愁思)2007年10月21日

 今日は小寒い朝を迎えた。天気は上々でやっとこさ秋日和を見た思いがする。山も紅葉が進むだろう。
 特に予定を定めてなかった。まどろんでいたら朝方から細かい振動がする。何だろうと不審に思っていたら火災報知機の取り付けの日であった。自宅にも電話があり今なら取り付けられるから・・・と勧められたが煩わしい思いがして断った。各戸の判断はない点がおかしい。しかしこれは2006年6月に改正消防法で設置が義務化された。来年5月までに設置の義務がある。管理組合でいち早く対応したものらしい。機器だけはまとめて購入したそうだ。
 老人の単身生活者が激増することからボケて火災も増えると見込んでいるのであろうか。しかし朝日新聞の日曜版で読んだ老人ホームの経営者の話では至れり尽くせりの老人ホームに住んでいる人よりも単身生活者の方が生き生きしている、との談話が印象的であった。危機感をもち知恵をめぐらすのは単身生活者である。スキーの大家三浦敬三さんは長男の雄一郎宅に一時身を寄せたが読書以外することがなくまた元の単身生活に戻り、自炊したり雑用もこなした。100歳迄ボケずに全うされた。
 何はともあれ火災は恐い。すべてを灰にしてしまう。地震も火災がなければ倒壊だけで済む。火災が伴うから震災となる。しかしそれでも各戸に設置するだけで有効な対策になるのだろうか。
 先週は20日も締切日ゆえにフルに働き疲労が溜まっていた。昼近くまで寝てから近くの喫茶店でゆっくりコーヒーを味わう。新聞も斜め読みしただけであったから古い新聞を読み返した。なんとも残念なのは赤福のリパック問題であった。連日の報道で当初の発覚から次第に悪質な再利用まで分かってきた。あの菓子だけは有るまいと信じていたが・・・。
 有名人では黒川紀章さんが亡くなった。若いころ「ホモ・モーベンス」という変った本を読んだことを思い出す。ホモ・ルーデンス(=遊ぶ人)をもじったのである。現代人は動く人の意味であろう。木原美知子さんが亡くなった。59歳、クモ膜下とあるのは身にしむ。昨年秋も定年退職直後の元上司が60歳で同病で急死した。
 他に富山県で起きた冤罪事件も長く尾を引きそうだ。昔豊橋市でも母子を殺し家を焼き払った事件が起きてそこにかつて住んでいた若者が犯人にされた冤罪事件があった。これは真犯人が分からないままであるが富山県の場合は真犯人が名乗り出た点が異例であった。
 国選弁護人の対応が被疑者の立場にたっていない点が問題視されている。無罪の判決を下した裁判長も被疑者に対してはあっけないくらいで誠意ある謝罪はなかったらしい。
 富山県は日本一単身赴任者が多い県として知られる。国家公務員の裁判官、検察官、警察署の署長などみな任期であちこち回るから任期中に片付けたい意思が働くことは察しられる。30%くらいは地元県の人を配置すべきであろう。地元に長く住んで精通した人材を配置することで防止できないだろうか。
 被疑者の立場よりも自分の立場で早く自供をとり、迅速に裁判で有罪を勝ち取りたい。弁護人も(自供に持ち込むために)早く真実を述べれば罪が軽くなる、などと持ちかけていたらしい。これでは三者三様仕事とはいえない。まるでルーチンワークの事務員の仕事である。刑事訴訟法という権力を行使するものは書類上の手続きではない。罪なき服役で2年間の人生を棒に振った柳原氏の心痛を思い猛省すべきである。