高きに登る2006年10月26日

 講談社学術文庫の『菜根譚』を読んでいたら”高きに登らば・・・”の語句に当った。すなわち高いところから眺めると人の心を広々させる、と解説する。まったくその通りである。ことに秋は空気も澄んでいてすがすがしい。
 俳句の季語にも中国の重陽の節句に因んで「高きに登る」という季語が生まれた。中国人も山登りは好きなのであろう。というより日本人の無類の登山志向は中国伝来のものかも知れない。元々日本古来の伝統なるものは大抵中国由来であろう。
 春よりも秋の方がよろしい、と詠じた万葉歌があった。
                 秋
     冬ごもり 春さり来れば
     鳴かざりし鳥も来鳴きぬ 咲かざりし花も咲けれど
     山を茂み入りても取らず 草深み取りても見ず
     秋山の木の葉をみては
     黄葉をば取りてぞしのぶ 青きをば置きてぞ歎く
     そこし恨めし 秋山われは


       冬が過ぎ 春がやってくれば鳴かなかった鳥も
     やって来て鳴くし、咲かなかった花も咲くけれど
     山が茂っていて入れないし、草が深くて取って
     見られない
     秋の山に木の葉を見るときは 紅葉を手にとって
     偲ぶしまだ青い葉は そこに置いて悲しくおもう
     心残りのそっとした思いがある
     だから私は秋の山が好き
              額田王 (万葉集 1-16)
同じく『菜根譚』の後集のP270にある

鴬花茂くして山濃く谷艶なるは、総て是れ乾坤の幻境なり。水木落ちて石痩せ崖枯れ、わずかに天地の真吾を見る。(漢字は当て字あり)

或いはP316にある

春日の気象は繁華にして、人の心神をして駘蕩ならしむるも、秋日の、雲白く風清く、蘭芳しく桂馥(にお)い、水天一色に、上下空明にして、人の神骨をして倶(とも)に清らかならしむるに若(し)かざるなり。

どちらも原典は不明である。菜根譚の成立は江戸時代より古く万葉集よりは後である。内容的には様々な古典の選集であるから万葉集よりは古い。共に春は春でいいのであるが秋の方がよりいいのだ、と語っている。額田さんの歌はそれらの踏襲か換骨奪胎に思える。四季のはっきりした日本のいかにも情緒的なお歌であるがこうした中国の詩句を知ってしまうと土屋文明の歌ではないが芭蕉の俳句を日本古来の歌と思うなよ、と歌った短歌が真実味を帯びて思い起こされるのである。