句集『風狂の徒』を恵贈2024年11月22日

 作家は金沢市の俳人で「辛夷」所属の太田硯星氏。「辛夷」は今年1月に創刊100周年記念を迎えた。作句を始めたのは平成13(2001)年から。俳歴23年の集大成になる。
 風狂というのは俳人芭蕉にならう言葉だろう。名古屋のテレビ塔の足もとに芭蕉の蕉風発祥の地のモニュメントがある。
 句碑には

 狂句 木枯の身は竹斎に似たる哉  芭蕉

 句意はググると「狂句を詠みながら、冷たい木枯しに吹かれ諸国を流浪してきた。枯れ木のようにみすぼらしいこの身は、かの狂歌好きの竹斎とそっくりだ。」とある。
 竹斎とは藪医者のことで下男を連れて諸国行脚をした物語。それに自分の旅をなぞらえた。これが風狂である。
 当時の尾張俳壇は外連味がないことが特徴と言われる。つまり写生である。
 テレビ塔の場所は当時加藤荷兮という商人の家があった。荷兮も弟子であるが、長崎の出島で中国の古典の杜甫の漢詩集を購入して芭蕉に提供したらしい。 杜甫の漢詩に学んでから芭蕉の俳句も言葉遊びから人生を詠う詩になった。これが蕉風である。
 太田さんは句集に「風狂の徒」と命名されたのは芭蕉と普羅への憧憬があるのかも知れません。どちらも旅に生きた俳人だが作者は定職を持つ家庭人なので住まいのある金沢市を中心に行住坐臥で得た句が中心になる。
 それは自ずと地貌を詠んでいる。地貌は前田普羅の俳論であるが、登山家の小島烏水も地貌について書いていた。普羅の地貌はその学習かも知れません。