食材の在庫整理で調理2020年11月01日

 午後5時過ぎというのにもう夕方になる。調理は17時37分までかかったが、外は真っ暗になっている。日没早し。国立天文台のサイトにアクセスすると、それもそのはずで日の入りは16時57分、日の出は6時13分だった。これから1日につき1分日の出は遅くなり、日の入りは1分早まる。11月30日の日の出は6時41分、日の入りは16時41分とあった。冬至は12月21日であるが、それぞれ、6時57分、16時44分になる。日の入りは11月26日にいったん16時41分で落ち着く。12月1日から9日まで16時40分で安定し、その後12月18日から1分毎に長くなる。
 つまり11月中旬から12月中旬までは日の入りが早いので早めの下山が必要である。

 さて、以前に購入してあった冷蔵保存の食材を調理して惣菜を作り置きした。

1 親鳥の牛蒡と人参の甘辛炒め

 冷蔵中の①親鳥は細かく刻んで熱湯に通し、表面の油を洗っておく。人参1本、牛蒡を2本洗って細かく②ささがきにする。大き目のフライパンに菜種油を少し垂らして熱し、まず①を入れて油をなじませ、②を入れて箸でかき混ぜ、火を通す。砂糖大匙2杯、醤油しゃもじ2杯を掛けて炒める。牛蒡と親鳥の香ばしい匂いがしてくる。火が通ったら出来上がり。
 
2 親鳥と里芋、人参の煮物

 ホーロー鍋に水を適宜入れて、コンロに火を着ける。①の残りを入れる。②里芋と人参を食べやすい大きさに切って鍋に入れて沸騰させる。味付けは醤油と砂糖を適宜。里芋が柔らかくなったら出来上がり。

3 生イカの細切れパックで焼きそばを作る

仕事に目途2020年11月02日

 建設業許可更新の手続きに書類が1点を除いて整い、目途がついた。やっと解放された気分になれる。新規の申請と違って更新は許可の維持であり業務が回転中(開店中)でもあるから遅らすわけには行かない。

 晩秋の雨は寂しさが募る。明日は晴れる見込みなので久々に山へ行こう。行方不明が報道された古城山へ行くか。本当は3月か4月に行くつもりが延期になっていたからだ。不明の人が見つかると良いが。

美濃でフルセット・古城山周回・捜索協力・温泉・関市で鰻を食う2020年11月03日

 朝7時20分出発。名二環・植田から一宮へ、美濃JCTから関・広見まで高速。R418から登山口まで国道、地道で順調に着く。スマホのナビを使っても分かりにくい。明智光秀のドラマの影響で脚光を浴びたにしては案内が今一である。
 9時20分新設されたPを出発。山城研究のグループがたむろ、受付したり、今日は大勢が登るらしい。正規の登山道を行くとすぐ1人になった。登山道はよく整備されて歩きやすい。
 植生は植林である。その中に暖地性のシダ類が繁茂している。照葉樹林の艶々した緑の葉が美しい。落葉樹はなく、紅葉、黄葉は見られず。登ると30分で小休止。2ヶ月ぶりだから心肺も足も相当弱っている。
 尾根に出ると風があり涼しい。今日は木綿のシャツだが少し汗をかいたからひんやりする。高い山だと寒く感じるだろう。上から登山者の声が聞こえてくる。山頂は近いのだろう。登山口で110m、山頂で407mだから正味300mしかないから60分程度である。
 傾斜が立ってきたらまた尾根に出て二股に分かれた。馬場の地名があり、馬を馴らしたというが、馬場が山に多い。猿ヶ馬場山、川上岳の点名は兎番場(馬場)、山中山の旧称はオサンババと呼んでいたが、兎番場らしい。つまり山頂が馬の背のように丸く広いイメージである。こんな急峻な山で馬を馴らすなんて歴史の捏造です。
 そうこうするうちに頂上に着いた。最後はフィックスロープの助けで急な岩場の道をよじ登ると山頂直下のミニ広場に着いた。その先にミニのお城が建っている。またこんなものを。やりすぎである。
 城を経て登頂。三角点はあるが展望は限られる。少し休んで下山。はじかみ林道経由で下った。ここもずっと急でフィックスロープが張ってある。8/22も転落事故があり、カメラマンが落ちて背骨を骨折した事故があった。
 林道の登山口には多数の車が駐車。ここから30分なので登山をしない人はここから歩くのだろう。係りの人が何やらパンフを売っていた。その人に11/2報道された87歳の老人の行方不明事件を聞くとまだ見つからず今日も捜索中という。
 マイカーのPまでは徒歩で下ってもまだ12時前。途中で行方不明の現場へ行ってみる。パン1つをかじって昼食。現地では捜索隊を編成し、本格的なテントを張って本部を置いて範囲を検討中だった。私もボランティアを申し出て地元の人らと歩き出す。12時半。
 地形図で破線路のある一帯を調べていた。昔はここから登られたらしい。今は杉の植林だが、古い田んぼの跡がある。居宅もあったらしい。87歳の老人はこの山一帯で採れるまったけの権利を買ったとかいう。いわば精通者であった。それがどうしたものか。
 まったけは松の生える尾根に出るので適当に尾根を登った。確かに少ないが松が続く。しかし87歳の老人の足にはきつい気がする。それじゃどこへいったやら。別方向から捜索してきた人らと合流して藪の少ない斜面を下って元へ戻った。2時半になっていた。2時間の捜索であった。3時ちょうど本部まで戻り解散。息子さんらしい人が涙ながらに捜索へのお礼を述べられた。
 10/25に入山したが、行方不明となった。10/26から11/1に届けるまでは自力で捜したようだ。11/1に捜索願が出て警察が動き、今日で3日目で公的な捜索は終了した。後は親族とボランティアで捜すことになる。時間の経過でもう存命の望みはないが、ご遺体がないと相続もできない。
 解散後は、武芸川温泉に入浴。祝日は800円だった。その後まだ時間があるので関市のうなぎ屋に寄った。5時過ぎから営業するが、店は1卓を除いて満席だった。人気の店みたい。上丼を注文したが御飯が多かったから鰻が少なく感じた。久々に食ったから旨い。
 今日はフルセットで遊んでしまった。まあ偶には良い。

老いの身で行方の知れぬ茸採り 拙作2020年11月04日

 昨日11/3は10/25に勝手知ったる山の松茸採りに行ったまま帰らざる人の捜索に協力した。山城の廃墟、奥山田も廃田となり杉が植えられた。小さな山なのですぐに発見されるだろうとの楽観は打ち消された。
 この山に精通しているはずなのだが山は広く深く、人の知らない部分はあるということだ。家族を残して忽然と消えた老人の足跡は分かっているのにつかめなかった。昔から獲物を追う猟師山を見ず、という。知っているようで知らないのが精通者というものである。
 父不見山という山名がある。由来は
http://www7a.biglobe.ne.jp/~n-baba/s-tetemiezuyama.html
にある。
「それにしても不思議な山名である。父不見と書いて「ててみず」「ててみえじ(ず)」「ててめーじ」等呼ぶ。この山にはいくつかの伝説がある。何れも、「父が見えない」と云う山名に由来する物語である。
 
  (1)昔、中平の寺僧が子供を捨てて逃げ、後を追った子供がこの山
    で父を見失った。(埼玉大百科事典    埼玉新聞社)
  (2)神流川を挟んで北側の桐ノ城にすむ武将の妻子が、戦いに出か
    けた父をいつ帰るのかと眺めていた方向にあった山である。 
              (群馬県百科事典 上毛新聞社)
  (3)平将門が戦死し、その子がまだ見ぬ父を慕って嘆いたと云う伝
    説による。(角川日本地名大辞典)」
 昔から猟師、茸採り、鉱山師など山に入った人は多かったから下山できない人も多かったであろう。マタギ、木地師、木こりなどは短期間でも場所を定めるから余程のことがないと帰れないことはなさそうだ。

諸行無常2020年11月05日

 WEB版岐阜新聞から
https://www.gifu-np.co.jp/news/20201104/20201104-288797.html
大見出しの「土屋嶢大垣共立銀行会長が死去 新型コロナ感染で入院」
に驚いた。「大垣共立銀行会長の土屋嶢(つちや・たかし)氏が死去したことが4日、分かった。74歳。新型コロナウイルスに感染し、入院していた。」まだ74歳の若さと9月にコロナウイルスに感染して入院中だったということ。こんなにあっさりと死んでしまうものか。コロナの感染力の怖さを思い知らせる記事だった。
 諸行無常の言葉を浮かべるのに時間はかからなかった。
 頭取は昨年中にバトンタッチしていたから業務には支障はないだろう。にしても大勢の人に会うのが銀行員の仕事だから或いは感染者に会っていたかもしれない。
 岐阜県はこのところ感染者数も増えている。経済活動が再開されて、4月以来の低迷を挽回する矢先であった。今後冷えて乾燥してくるとインフルエンザも増えるだろう。コロナも増えるに違いない。警戒しつつ経済を進めてゆくことになる。

大村知事リコール署名、必要数に届かない見通し 高須克弥氏らの団体2020年11月06日

大村知事リコール署名、必要数に届かない見通し 高須克弥氏らの団体
https://news.yahoo.co.jp/articles/651c6786882cd56d8e4b4ca0308aef75988ff8c9

 愛知県の大村知事のリコールを求めている「高須クリニック」の高須院長らが集めた署名の数は、目標数に達しない見通しとなりました。

 「高須クリニック」の高須克弥院長らの団体は、愛知県が去年開催した「あいちトリエンナーレ」の展示内容が不適切だったとして、大村知事のリコールを求めています。

 10月25日までの署名期間を終え、64地区の選挙管理委員会に提出された署名の合計は43万5231でした。

 住民投票に必要な86万5000には来月まで署名活動が続く岡崎市など5つの地区の有権者のうち半数以上の署名が必要となり、事実上、目標数の達成は難しいとみられています。
以上

 ヤフーのコメントの反応
①むしろこんなに署名が集まったことのほうが驚き。
そう思う   13763
そう思わない 2409
②かつて民主王国と言われ、実利主義として知られる愛知県民が、87万票もの署名を集めるのは無理だろうと最初は思っていた。しかし50万署名は集められるのか。政治的な運動や浮ついた観光業には目もくれず、実利を追求する愛知県民がここまで署名をしてる事に驚く。TVも新聞もほぼ全部中日系左派が抑えてる中でこれは凄いムーブメントだと思う。
③予想してたよりも集めていて驚いた。
大村知事が選出された2019年の知事選の投票率は35.51%。得票率が83.32%だったから、愛知県内有権者の29.6%に支持をされて当選したといえる。(対立候補は共産党推薦の1人だけ)
一方、発表された現状の署名数は、愛知県内有権者の約7%。元々知事選にいかない人は、政治への興味が薄いためわざわざリコールに署名するとは考えにくいし、今回は共産党がリコール反対のため知事選で対抗馬に入れた人もリコールに署名する可能性は少ないはず。
と考えれば、単純計算で既に大村知事に入れた人の24%近くがリコールを求めているとも言える。
もちろん、制度上リコールは成立しないが、大村知事にとっては無視できない数字だと思う。

・・・・署名数が100万人に達しないことは下馬評どおりでした。数々の妨害行為、報道しない地元有力紙、TVなどの盛り上がりのない環境を鑑みると健闘した数字だと思う。当の知事はどう受け止められるか。

にんにく入りカレーの効用2020年11月07日

 朝方は見えていた猿投山も午後過ぎの今は霧にかくれてしまった。天気予報通り雨になってきた。夕方になって強く降りそうな気配である。

 今日はストックの野菜と冷蔵庫の肉を使ってカレーにした。具材は鶏肉、人参中1本、ジャガイモは中1個、玉ねぎ中1個、ニンニク3片、カレールー2/1個。
①まず人参を油で炒める。ニンニクを刻んで香り付けする。
②刻んだ玉ねぎを①に追加する。
③鶏肉も適当に切って単独で炒める。塩コショウで下味をつける。
④別の鍋でジャガイモを煮ておく。
⑤ジャガイモが煮えたら②を入れて煮込む。
⑥⑤にカレールーを入れて溶いていく。
⑦隠し味に鮭の中骨の缶詰(塩味)を開けてカレーに入れた。
⑧トロトロになったら出来上がり。

 食べたらすぐに便意を催した。やっぱりニンニクのフルスルチアミン(VB1誘導体)がよく効いたのか。

古城山捜索行2020年11月08日

 出発は遅くなり朝9時。古城山の北麓の青波には10時50分。11/3には捜索本部のテントがあったゲートボール場に駐車して11時丁度に歩き出す。目的は87歳のきのこ採りの老人の捜索である。とはいえ、10/25に入山、その日に下山せず、息子さんが自力で10/31まで捜索したが、11/1に県警に捜索願を出して大掛かりな捜索が行われた。
 11/2は雨で警察だけで捜索したらしい。11/3に私が古城山を下山後に青波に回り、ボランティアで参加、警察10人地元民40人で行われたが手がかりなし。そこで公的な捜索は打ち切りになった。
 人生は自助、共助、公助の順だが、山岳遭難は逆で、まず警察に捜索願いを出すことに始まる。そのためにはルートなどを書いた入山届、登山届けが必須だが、山菜採り、きのこ採りには喧しく指導されない。この人もまつたけのよく獲れる自分の知っている場所へ行ったのだろう。勝手知ったる裏山だから本人以外に居場所は分からない。
 赤の他人だからほうっておいても良い。しかし、捜索後の解散のあいさつできのこ採りの長男氏(61歳)の涙ながらの話は身につまされる。ご遺体が発見されないと死亡届も出せず、相続も始まらない。長いこと山歩きをしてきた身には何とか本人の捨てたゴミでも落ちてやしないかと来てみた次第である。
 まずは地形図にある破線路を歩いてみた。分岐までは17分、ここで熊鈴が良く鳴るように位置を変えた。先回来たところからさらに奥まで車道の廃道が伸びていた。終点からも踏み跡程度の道が続く。廃田も残る。こちらの方が歴史的には古いのだ。
 登山道の稜線が見える。風が騒ぎ、木立が揺れると、はて、熊か、野猿かとどきっとする。単独は心細い。源流部には廃墟があったが曲輪(郭)だ。正しく古城である。稜線には12時ジャスト。標高360m。ゲートボール場(100m)から比高260mだから大したことはない。
 目的は伝「馬場」から西の日当たりの良い稜線か尾根を探る予定だったが、370mのコブからの北西尾根も気になる。北の直下にはきれいな道が見えるので注意して見ていると踏み跡が下っていく。よしここだと降りてみたら連続した曲輪の平地がここまで延びていた。どんどん下ると、がさごそと音が摺るので見上げると人だった。やれやれ。この人も捜索だった。Kさんという。
 付かず離れずで交互に捜索を続けた。この尾根は松が大変多い。日当たりも良いのでまつたけが出そうだ。そして飴を包んだゴミを発見。末端までに3枚撮影。加えてバナナの皮を入れた紙袋もあった。これがきのこ採りの老人のものなら一帯を集中捜索することになる。
 結局末端まで一緒に下ったがゴミ以外はなかった。Kさんは南へ林道を行き、馬場へ戻ってはじかみ林道の駐車場へ行くというので別れた。青波に戻って、老人の自宅を尋ねてみた。丁度実の弟さんが畑仕事の最中で話を聞いてみた。
1 行方不明の兄は独居ということ。妻は施設に入居。つまり兄の自宅は今は留守。
2 11/3のあいさつされた長男は名古屋市に住んでいること。
3 入山経路は青波ではなく、はじかみ林道の登山道からということ。
4 弟さん自身もまつたけのよく出る場所は分かっているので後日行くという。
5 北西尾根のゴミは兄のものじゃないということ。
6 近年は山に入る人が居ないのでよく知った人も居ないという。
 その他立ち話であるが、長々と世間話をして別れた。87歳の老人が長男と同居ではないことがちょっとショックだった。4月以降の外出禁止、面談禁止などで6月頃の兄はおかしかったとも言われた。他人と一切話をしないとそりゃおかしくなる。
 私が4月以降道迷い事故(山菜、きのこ採りを含む)の報道を集めてきたが、高齢者が多かったことは確かである。中には山の精通者もいるから精神的に参っていたのだろう。
 古城山の捜索は今は縁のある人らの自助と何も関係はないが心ある人の共助だけになった。もう一回だけ、山やとして気になる場所を探ってみたい。それまでに発見されることを願う。

建設業許可更新の申請2020年11月09日

 丸の内の事務所から徒歩で10分の自治センターに建設業許可更新の申請に来た。名古屋市の官庁街の街路樹はきれいに色づいた。多分、欅の類いか。自治センターの待機のところから見ていると時折強風が吹いて落葉が風に舞う。それなりに美しい。13時きっかりに呼び出されて、今日は正副本を受理されただけだ。不備がなければ無事更新される。

建設業許可変更2020年11月10日

 更新の申請について朝一で県から連絡あり。書類不備が何箇所もあり、1日対応に終始した。役員の任期変更と定款変更がリンクするものの届けがないため登記を促されたがこれはコピー提出で済んだ。過去の株主の変更が未届けが判明し、その書類作成で手間取った。依頼者側の申告がないと変更届は出せない。建設業法下の経営者は何か変更があれば登記か変更届が伴う。やっぱり一発では通りません。