奥飛騨・天蓋山を歩く2015年05月01日

 朝3時、自宅を出発。東海・北陸道から中部縦貫道の高山ICへ。古川から羊腸の大坂峠への県道76号を走る。すると、見座に着き、R471に合流。高原川と金木戸川の落ち合う所から山之村へ行く山吹峠にすぐつながる道に入れる。登山口のある「夕顔の駅」に着いたのは7時半。7時50分に出発。天気は上々でピッチも早まる。
 バンガロー村を終点まで行くと登山標識があり、白樺の森に入る。途端に残雪を踏む。沢沿いの道にはたっぷりの残雪があった。少しづつ高度を上げながら奥へ登る。途中で沢から離れて急な尾根を辿る。まだ葉をつけていないせいか、林内がとても明るい。残雪が増えて、解けた水が尾根道の真ん中を流れている。左右どちらかに流す「土木工事」をしながら歩く。
 急登が終わると別の尾根を乗り越して先ほどの沢の源流部へ下ってゆく。一面の雪になって道が消えた。踏み跡もなく、自然にしたがって歩く。沢の凹みを渡って傾斜の緩い源流部を回りこみながら登りきると山吹峠からの踏み跡に出た。右へ行くと1380mの雀平の標があるコブに着く。雪が付いていないので初めて小休止。ここからの眺めも秀逸で、笠ヶ岳はすぐ東に聳え、槍穂高連峰が近い。本来の道筋は、沢を登り切らずにまたいで直登するようだ。
 雀平からはまた残雪の平なところを高みに向かうが道標はないので山勘である。それでも雪の切れた地面には登山道が見えているので方向は間違っていない。急登を登りきると山頂の手前のコブに着いたが、ちょっと下ってまた登り返すと天蓋山だった。
 この眺めは何十年ぶりだろうか。
 山之村の周辺の山では大鼠山が未踏であるがちょくちょく来ている。最近では折立から薬師沢小屋を経て赤木沢経由で北ノ俣岳に登り、夜の神岡新道を下った。メンバーの強者が車を回収するためただ1人で折立に下ってくれた。翌朝、車を見てほっとした。
 山頂からの眺めは360度の大展望であった。飛騨国の展望台でもある。飛騨国を囲む山々のすべてが見える。

 雪付けし飛騨の国見ゆ春の夕    前田普羅
 乗鞍のかなた春星かぎりなし
 てり返す峰々の深雪に春日落つ
 山吹や根雪の上の飛騨の徑
 
等々、句集『飛騨紬』の中の名句である。飛騨は山国との思いが深まる俳句である。
 展望を堪能後、下山。夕顔の駅で聞くと今年は雪が多かったそうだ。
身支度を終えて、名作『天の夕顔』の文学山歩に移る。今までのブランクの間に大きな変化が見られた。作品のモデルとなった不二樹浩三郎の記念碑が道沿いに建立されていた。実姉への恋心を忘れるために有峰に行くが、なじめず、薬師岳を間近に見るこの地に引っ越したという。
続く

奥飛騨・天蓋山を歩く~文学山歩2015年05月01日

~不二樹浩三郎在住之地碑~
不二樹浩三郎は明治三十年二月十八日、
実業家 不二樹熊次郎の三男として大阪に生れ、
同志社大学を卒業した。
柔道を好む一方で、茶道や華道にも通じていた。
大学時代に知った「あの人」への思慕は、
時を経ても忘れられず、自己を高める為、
昭和九年晩秋、ここ山野村を訪れ、
以後西邦本等が新造した小屋で、二回の厳冬を過した。
数奇な運命、二十年にわたる恋愛譚を、
後に作家、中川与一に口述したことが、
昭和十三年発表の小説「天の夕顔」の誕生のきっかけとなった。
不二樹は後に自らも小説「冷たき地上」を書いたが、
平成二年四月十四日、神奈川県で、その浪漫に満ちた生涯を閉じた。
享年九十三歳。
以上
 地元の関係者の尽力で建立。モデルとしても存在感を示したい意思が強かった。それが実現して天国で満足しているかも知れない。
 美しい姉への恋、姉の結婚で、下宿屋の娘に恋するのは姉と同じ美人だったから。やがて娘も結婚し人妻になってしまう。葬儀での出会いをきっかけに20年にわたる悲恋になったのは事実だった。中河与一は姉のことは省略して人妻だけに単純化したことが大きい。
 それでも、彼の口述筆記の通りだったと主張し、印税の分け前を要求した。名作『天の夕顔』はベストセラーになったが故の作品のモデルと作家の確執になった。

 本作を何度も読み返し、研究書なども読んでみたが、私は作家中河与一の流麗な淀みなく滑るような文体と文学的な修辞の巧さに尽きると思う。編集されないままだったら作品ではない。あの柳田國男の『遠野物語』も別人の下書きがあったが、簡潔な文語文体にすることで昔話が文学になった。但し、原作があると、ことわりを入れている。

 第5章からの岐阜県神岡町の山之村での冬篭りの場面、薬師岳登山の物語は口述どおりにするほかなかったようだ。中河与一は日本山岳会会員だが、入会は57歳で、戦前は病弱な文学の徒だったという。
 P65からP95まではこの作品の圧巻ではないか。第4章までは求愛しても拒絶される、の繰り返しであることがもどかしい。そりゃそうだろう、人妻ゆえに生活を破壊するわけにはいかない。7つ違いというのも躊躇うだろう。

 P65の名文は原文通りなのか、中河の創作なのか。
 
 いっそ天に近いところに行って自分の悲しい生命を終わったほうがいい。

 天に近い清浄の雪の中に、自分の身と心を置いて、自分は自分の思いを高めよう。

 この名文は昭和24年発表の井上靖の作品『通夜の客』にも影響を与えたかも知れない。処女詩集『北国』には「そこは山奥というより、天に近いといった感じの部落で・・・」とある。

 詩の一節を『通夜の客』に取り込み、P198には
 「天に近い天体の植民地のような村の、悲しみも喜びもみんな揮発してゆくような虚しさは・・・」

 剽窃とまでは言えないが、偶然でもないだろう。

 モデルの不二樹浩三郎は登山が好きだったようだ。ただ富裕層なので案内人を雇ったり、小屋を作らせたりしている。作品には生活臭が一切ないのでそのためか。