鈴鹿・三子山に登る 忘年山行2013年12月10日

 明星ヶ岳を登り終えて、国道1号に出た。鈴鹿峠に行く。最近の工法は山を削らず、橋とトンネルで理想のカーブを描きながら建設されるから結構早く滋賀県に着いた。トンネルを出てすぐに左折し、茶畑に登る農道をUターンすると目指す石灯篭があった。旧東海道時代の名残だが、工事に伴いここに移設したと説明板にあった。トイレもあってちょっとした園地になっている。ここでもう1つの仲間のクルマを待った。
 渋滞で大幅に遅れてしかも行き過ぎたりで遅れに遅れたという。13時半過ぎ、冬の花咲く茶畑の中の道標に従い、北への登山道を歩く。茶畑を過ぎると植林帯に入り、一切眺めはなくなった。その上に長くきつい階段道が続き、いかにも東海自然歩道に来たという気がした。
 ab500mの最初のコブに達すると東海自然歩道は左折し、西へ下り、近江の山里の山女原(あけびはら)を通り、安楽峠を越えて再び三重県へ下り、石水峡を下る。まるでこの三子山を迂回するようなコースになっている。我々は三子山を目指す。一旦下り、また登り返すと最初のab540mのピークに立つ。個々も眺めはないのですぐにパス。ところが、西へ尾根を下るので、おかしい、と気づいた先行者が戻ってきた。これは鉄塔巡視路で鉄塔で行き詰まるか、関坂下に下るだろう。
 やっぱり、最初の分岐の赤テープのところが縦走コースであり、目の前に中間のピークが見えている。ここも急坂を下りすぐに登りかえす。556mの独立標高点であるが、何も見えないのでパスして先へ行く。三子山の北峰が568mの最高点になる。ここには山名板もあり、四方草山も指呼の間であるがギャップが大きい。指導標には約70分とある。今までの60分以上もかかるのだ。出発が遅れたこともあってここで前途中止とし引き返した。登山口に戻ると3時半になっていた。宿に向かうには丁度いい時刻だ。それに1日で5つもの山に登った。小山でも数を稼げば満足感はある。
 国民宿舎関ロッジは以前、山岳会50周年記念行事の会場として探りにきたことがある。山の中の山荘という雰囲気は悪くない。宿は3室を確保。6時半からの宴会までに入浴など済ます。名古屋から直接会場へ来た会員らも続々着いた。宴会時には全員揃った。メニューは石狩鍋という。初体験の味だった。ビール、焼酎も出て飲んだ。終わる頃には鍋もきれいに片付いた。山やさんの宴会はこうでなくっちゃね。
 会場の座敷からは目の前に池を挟んで関富士が見えた。ははん、これがウリなんだねえ。

「山女原」(あけびはら)考2013年12月10日

難読地名考
山女原  
 仲間内がどう読むのか、と聞くので、「あけびはら」と言った。しかし、そのわけは知らなかったのでこの際検索でググって見た。

 どうしても”やまめはら”としか読めないが、”あけびはら”という。あけびならば、WIKIPEDHIAによると
「アケビ(木通、通草)は、アケビ科の蔓性落葉低木の一種(学名: Akebia quinata)、あるいはアケビ属(学名: Akebia)に属する植物の総称である。」と、立派な漢字が当てられているが、これも知らないと読めない。

ある人のブログには
「山形では、秋のお彼岸には、先祖の御霊が<アケビの舟>に乗ってこの世に戻って来るという言い伝えがあり、その頃になると山からアケビを採ってきて、仏壇にお供えする風習があるそうです。また、東北地方では、アケビを<山女>とか<山姫>とも呼びます。」
 うんうん、山形では山女でもあけびと読むのだそうだ。

検索を続けるうちに牧野富太郎先生の記事に出会った。全文はクリックして読むとして、一部を転載すると

「その口を開けたのに向かってじいっとこれを見つめていると、にいっとせねばならぬ感じが起こってくる。その形がいかにもウーメンのあれに似ている。その形の相似でだれもすぐそう感ずるものと見え、とっくの昔にこのものを山女とも山姫ともいったのだ。なお古くはこれを、※[#「くさかんむり/開」、85-15]と称した。すなわちその字を組立った開は女のあれを指したもので、今日でも国によるとあれをおかい又はおかいすと呼んでいる。これはたぶん古くからの言葉であろう。そしてこの植物は草である(じつは草ではなく蔓になっている灌木の藤本だけれど)というので開の上へ草冠を添えたものである。こんなあだ姿をしたこの実から始めてあけびの名称が生まれたのだが、このあけびはすなわちあけつびの縮まったもので、つびとは、ほどと同じく女のあれの一名である。」

 山姫とか山女と読んだのは女性器に見立てたからだったのだ。ちょっと、下品な発想をすると、山女というは余りもダイレクトなので漢字では地名にしか残らないのだろうか。

「あけびの実はなかなかに風情のあるものであるから、俳人も歌よみもみなこれを見逃さなかった。昔の連歌に山女(あけび)を見て「けふ見れば山の女ぞあそびける野のおきなをぞやらむとおもふに」と詠んでいる。」

 この戯れ歌?も、女が(股を開いて)遊んでいる。それを見た野のおきながやりたい、というのである。野のおきなとは野老(ところ、山芋の一種)のことで、芭蕉の句に
  山寺の悲しさ告げよ野老掘り
がある。アケビとヤマイモの取り合わせとは楽しい歌だこと。

「これは自分の拙吟だが「なるほどと眺め入ったるあけび哉」、「女客あけびの前で横を向き」これはどうだと友達に見せたら、そりゃー川柳へ入れたらよかろうと笑われた。」とまあ、牧野翁も自作を楽しんでいるのは笑わせる。
 
 全文は以下で
http://www.aozora.gr.jp/cards/001266/files/47237_29243.html

 もう一つ思い出した。映画「雪国」の冒頭の場面に、池部良がアケビの一房を持って山を下るところがあった。それを岸惠子がもらって食べるところもあった。あの川端先生のことであるから、ただの描写とは思えなくなった。越後の山奥の女、即ち山女である。
 「雪国」は決して清純な映画ではなく、色恋の強い文学であった。「女を世話してくれ」などというセリフがあるのを見ても性への傾斜が強かった川端康成の暗示かも知れないと思った。練達の文章が文学たらしめている。

 いやはや、地名をまじめに探る目的で調べたら、週刊ポストとか週刊現代のお色気記事になりそうな話で落ちがついた。