静かなるさくらも墓もそらの下2010年04月03日

同じく高屋窓秋の作。さくらの風景から。
 今日は久々にふるさとに帰ろう。祖父の50回忌である。明治27年生まれ。中国の戦線では戦死した兵士が水を求めて頭を突っ込んだままの池の水で飯を炊いたという。血で濁った水だったらしい。
 戦後無事帰還して農業のかたわら石屋を生業とした。納屋に鞴(ふいご)を設けて村の鍛冶屋もやった。牛も飼育した。田を鋤くためである。文字通り百姓であった。百の仕事をこなしたのだった。
 大正末期28歳のころは村長も務めたらしい。独身の青年村長だった。その頃一人娘だった十七歳の祖母と恋愛結婚した。婿養子だった。5人の子に恵まれた。江戸時代は庄屋だったというが祖母の父が酒好きで身上をつぶしたらしい?まるで映画で見た「小原庄助さん」じゃないか。
 子供の頃は祖父とウナギを捕る仕掛けをするために川に入った。石屋だったから当時の河川はみな石垣で固められていてウナギの居場所はよく知っていたのだろう。よく捕れた。夏の間、生簀に貯めておいて2回から3回はウナギ丼を食べた。天然ウナギである。あの当時7人家族だったから相当な数がいる。
 隣の畑にことわって餌のミミズをとらせてもらった。収穫があるとおすそ分けした。家の鍵などかけない長閑な時代であった。血縁と地縁で生涯を終えた社会であった。
 今、自民党の失政、民主党の悪政で国が壊れつつある。生まれた家も人手に渡り、ふるさとも安泰ではないが弟が一人墓を守る。「国破れて山河あり」の心である。命がけで日本を守り、家族を守り育てた明治男の供養に行こう。

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