9年ぶりの東海豪雨再来か2009年07月27日

 振り返れば9年単位で豪雨(異常気象)があるのでしょうか。91年、00年、09年と変な夏の再来です。
 1991年に豪雨があり天白区野並地区が水没しました。元々天白川の河原を堤防で区切り、出来た土地です。
 想像するといわゆる池袋形であっただろうと思われる。天白川本流は広い河原で蛇行を繰り返し、今の勤務先のある辺りまでは河原だったと思われる。実際周辺はすべて砂地である。池袋の部分が洪水を防ぐ役目をしていたと思う。溢れた水の一時待機箇所だったわけだ。
 そんな自然の地形を人工的に狭めてしまった。河原だった辺りを埋め立ててしまえばいいがそのままだから水が溜まりやすい。そこでポンプ場を設けて排水をする体制でいた。ところが豪雨はポンプ場の燃料タンクを水没させてしまい、エンジンが止まると排水が出来ず、水は溜まる一方である。これは後に改良された。この時は音聞橋が壊れた。これも後に新設された。
 2000年9月に東海地方を未曾有の豪雨が襲った。これが東海豪雨である。この時も野並は水没した。10年を待たずに2度も水没した。このときもポンプ場までの道路が水没したかで作業員が入れず、排水が出来なかったようだ。再び野並は広大な池になり、小船で往来する姿を何度も目撃した。後に名古屋市に対して訴訟が起こされたが原告は敗訴となる。水害は予測できないのだ。
 2回ともマンションの12階から川の流れを見ると堤防すれすれまで来ていた。堤防と地面の高さの違いはここから始まるので溢れたら大規模な水害が発生するだろう。
 堤防で囲い込んでいくと長年の土砂の堆積で天井川化して行く。水位は上がる一方である。一戸建ての住宅では2階辺りを川が流れている感じである。溢れたら一階部分は水没するだろう。大変なことになる。
 今日までの降り方をみていると2回の豪雨時を思い出させる。車を高台に引越ししようかと真剣に考えたものだ。
 かつてなかったことが何故起きるのか。推測では日進市や上流地域の市街地化の促進であろう。かつては水田の水利に用いられた溜め池も今は埋まり,新しく住宅地となった。雑木林も切開かれて造成されて住宅地になった。日進町から日進市に昇格したのも人口増であり、住宅、ビル、コンクリートの道路などが新設されてゆく。
 野並より高い場所の住宅地化も見逃せない。大規模団地がかなり建っている。周辺には大小の池がまだ残る。埋めた池もあるだろう。住宅地では降った雨はコンクリートの側溝から直ちに排水し、河川に流れ込む。おまけに本流に流れ込んだ雨水は狭くなった川幅を猛烈な勢いで海に流れていく。
 もし、満潮で豪雨となれば伊勢湾台風並みの被害の再来もありうる。自然の林、水田、ため池も減った現代では都市は危険になっていく気がする。治山治水は永遠の課題であるが治街治水も重要な課題となった。治水対策として野並に近い公園の下に大規模な貯水池を建設していたが機能するだろうか。