映画「東京物語」のこと2009年08月01日

 今日明日もぱっとしない天気で白山行きが流れた。午前中はC社で雑用を済ます。栄の丸善で物色するが買う本なし。沢登り用の衣類も各店舗を回り、物色してみたが専用の衣類はないに等しい。ポリ素材ならユニクロのものでも良い感じ。そりゃそうだろう。ネオプレン素材もやや重い感じで山には向かない。川通しならいいが。
 午後新聞を読む。朝日新聞の日曜版に映画「東京物語」のエピソードがかなり長い文章で綴られていた。文を読んで尾道へ行って見たい気になる。今行ってもなにも面影はないだろうが・・・。
 確かに東山千栄子扮する老妻が死んでからの子供達の反応は緩やかな家族崩壊を描いて感動する。畳み掛けるようなシーンが連続して特に長女役の杉村春子は「お父さんが先だったら・・・」とか形見分けの話まで持ち出してウエットな場面なのにドライな感情をさらけ出してそこまで言うか、と思わせる。その演技たるや流石である。
 文のテーマは原節子扮する次男の嫁と笠智衆扮する舅との会話である。深い背景があることを知った。小津映画にはただ見ているだけでも面白いが隠された意図が随所にあることを教えてくれる。それを知ると尚興味が増す。
 夕刻になって遠くから花火の音が聞こえたがこの曇り空では花火は見えず仕舞い。

    雲厚く音のみ聞こゆ遠花火       拙作

梅雨明け宣言2009年08月03日

 本日、記録的に一番遅い梅雨明け宣言であった。
 一時はスコールのような激雨に東海豪雨再来か、と毎日天白川の水位を見ていたが茶色に濁っただけだった。河川の中洲は埋れるほどではなかった。
 堤防道路を歩いていたら生臭い臭いが漂うので河川敷を見たら草が刈られていた。発酵している臭いか。雑草も水の抵抗を受けるから早く流すには刈ってしまえ、となったのだろうか。
 約3週間はずれ込んだがこれから毎日炎天というわけでも無さそうである。要するに今年の夏は冷夏で終りそうな気配が濃厚である。その兆候は冬から出ていたかも。今年は雪が少ないから残雪期も長くは無かった。それでいて白山や北アルプスは雪が多めという。下界は雨でも天空は雪だったのだろう。
 過去にもそんな夏はあった。夏山もどうなるやら。

      扇風機に溜まる埃を水洗い      拙作

新物の秋刀魚2009年08月05日

 たまにスーパーの買い物も雰囲気の違った店へ行きたい。
 日進市のAスーパーは大型店の強みである品揃えが豊富だ。色々物色しながら廻った。新物の秋刀魚が入荷していた。夏らしい暑さがぶり返してきたこともあり、鰻の蒲焼を見たが値がはる。見送って目に飛び込んだのが秋刀魚だった。一時は2尾で400円也、の値段に高いなと考えて見送ったが待てよ、栄養面では鰻のいいライバルであることを思い出して購入した。価格は1尾で6倍の差がある。
 ガスコンロで焼いてしょうがを下ろして食したがやや油が多いい感じがした。北海道産ゆえに海水温が冷たく油の乗りがいいのだろう。炭のコンロならもっとパリッと焼けてより美味しいと思うがマンションのキッチンでは限界がある。昨秋、前夜発で行った沢登りのミニ宴会で山懐で焼いた秋刀魚は安くてほんとに美味かった。夕食後でもぺろりと食べてしまった。もうもうと煙がでるが炭焼きの香ばしさは格別である。
 他に琵琶湖産の鮎の甘露煮も買った。この店では空振りで帰ったことはない。こんなビールにあう安くて美味い食材を提供してくれるのはありがたい。
        
   8月や北の海より秋刀魚来し      拙作

生活習慣病健診を受診2009年08月06日

 すっきりしない天気である。
 天白川は水量が減り、砂州に草が生えているのが見えるくらだ。今日は休暇をとり、中京病院で生活習慣病の健診を受けた。定年前の健康チエックを定年の先輩に教えられて行った。この健診でガンの病巣が見つかることもあるようだ。ガンは早期発見なら治癒率が高いそうなので保険をかける意味もある。
 中京病院は初めてであったが一般病棟とは別に健診専用の建物があった。そこで効率よく健診を受けられるシステムである。予め書いておいた問診シートと検便の容器を渡し、受付を済ますと甚平(作務衣)みたいな簡単服に着替えて身長体重血圧と計測して行く。聴力、視力、血液採取、X線写真、心電図、医師の聴診器をあてての診察と職場の健診と変わりない。
 違うのはバリュームを飲んで、回転しながら胃の内部のX線写真の撮影であった。バリュームは出来たら避けたいが飲まないと胃の内部が分らない。終ると下剤を渡されて終る。約1時間のコースで6820円と安くはない。
 悪くなってから行ってもいいような気もする。自分の健康過信は危ないが神経質に病気を探すことも余りやりたくはない。一年中どこか悪いし、悪くなる可能性がある。山に行けば疲れる。疲れをとるために特にビタミン、ミネラルの多い食事に心がける。汗で失われる微量栄養素は多いから補充が必要だ。それゆえにサプリメントなる食材が販売されている。スポーツマンの早死にが多いのも案外これが原因ではないか。
 たまには下痢もするし、嘔吐もする。つまり万全の健康体ではない。一病息災である。ちなみに広辞苑に意味が掲載されているようだ。「持病が一つくらいある方が、無病の人よりも健康に注意し、かえって長生きであるということ」(広辞苑)。
 風邪の効用を書いた本があった。風邪を引くことで健康体がどんなものか意識できるのだ。疲労した体から日一日と疲れが抜けていく様を自覚するとああ、生きているという実感がする。登山は健康面では体の掃除とも言える。最近も年齢よりも相当若く見られた。これは嬉しい。
 このところの雨続きで私の体内には不純物が滞留していることだろう。今日の健診でも腹囲が数cmオーバーしていてびっくりした。週末は体内の大掃除に行ってみたい。

     甚平やバリューム一気には飲めず        拙作

盆踊り2009年08月07日

 今夜は地域の盆踊りの日である。
 6日はその打ち合わせであったがうっかり忘れていた。山行しか頭に無く都会では遊べなくなっている。様々な準備や片付けはあるが失礼することにして夜逃げ同様に都会を脱出するのだ。
 忘れていたが隣の組の人が持ってきてくれた。敬老会の準備のあれこれであった。地域に根ざすということは簡単じゃないな、と思う。見知らぬ人らとのコミュニケーションの場である。やがて老いれば我もまた仲間にしてもらうことになる。
 そうはいうものの7月の海の日以来3週は計画が流れた。腹囲も4cm増え、体が鈍って来つつある。今度は曇りでも行かねば。
 
    山恋し夜立ちすなり普羅忌かな    拙作

別山敗退!2009年08月08日

 8/7夜、7時30分Hさんと合流して出発。白鳥ICを出て一旦町のコンビニでビールを仕入れる。油坂からまたR158を走る。対面走行はホントに神経を使う。九頭竜を過ぎて、霧の小便のような粉糠雨のところを通過するとしばらくで大野市街へ着いた。勝山市を抜けるともうR157の車もまばらとなる。夜12時が近づいてくるともう限界である。隣りのHさんは夜11時就寝を日課としているらしくもう仮眠状態である。
 結局12時を若干回った所でR157の谷トンネル手前にある取立山登山口への分岐にある大きなPでテント泊した。
 8/8の朝はHさんの声で4時45分に目覚める。外は曇り空で暗く鳥も鳴かない。小雨が降る。大雨になる前にとテントを畳んだ。再び薄暗いR157を走り、石川県入り。白峰村も今は白山市となったが特に何も変わらず。街中を抜けて県道を市ノ瀬に向った。
 市ノ瀬はうそ見たいに車がびっしり止まっていた。そこをすり抜けてPを確保。すぐに大雨となった。傘を差してビジターセンターへ向うが途中でS君らのパーティーに出会う。彼らは夜通し走ったようだ。午前3時頃に着いたらしい。
 さてセンターで天気予報の情報を見ると今日は珍しく晴れのマークだった。今は大雨でも晴れるというのだ。S君らにも話し、決行した。彼らは白山南竜で泊まり、釈迦を経巡る予定である。我々は別山であるが待機した1時間がもったいない。6時45分に出発した。
 工事現場への車道を経て交互に歩きながら猿壁なる地名の入口から完全に登山道に分け入った。このルートは昔登ったがもう記憶にはない。但し、登るにつれて見えてきた栃の大木への感動は覚えていた。割合緩く登るので高度は稼がない。山腹を巻きながら急登しだすと何箇所かの水場が現れてくる。案内板の立つ水場が広くなって休み易い。
 欝蒼としたブナ林を登って行くと主尾根にいつしか合流して行く。大木も無くなり、樹高が低くなってくる。岳樺が現れた。笹の斜面になるが高い山の稜線はガスで見えない。足元にはギボシ、ツリガネニンジン、イワシャジン、シモツケソウ、マツムシソウ、アザミなどが咲く。しかし、ニッコウキスゲはすでに開花期を終えて結実していた。ハクサンフウロも一切見えない。マツムシソウは秋の花だから山上はもはや秋なんだと思う。暦の上では8/7に秋だから当然であるが。
 グングン高度を稼ぐが睡眠不足の体調、4週間ぶりの本格的登山、曇天、無風と言い訳したくなる材料だらけの登山ではピッチは上がらずじまい。避難小屋に着いて昼食と大休止した。その後、再び別山を目指すが13:00ジャストに降雨があり、撤退を決める。山頂まであと1時間はかかる。今から下山しても5時である。強行すれば午後7時下山となる。名古屋へは午前様であろう。
 雨具も着けず、グングン下った。樹林帯までは意外に早い、といっていたが水場までは長かった。栃の大木に再び見とれながら猿壁に着いた。4時37分である。車道を歩いて5時前に市ノ瀬のPに戻った。
 
    青い実を結ぶニッコウキスゲ見し    拙作

休養宣言2009年08月09日

 午前中は昨日の汚れ物の洗濯と片付けに終始。午後遅い昼食では焼肉とビールで一杯やる。御飯は食べず。するとしばらくして便意があり、大量の白っぽい排便があった。やっと8/6の約200ccは飲んだバリウムが抜けた。これも昨日のおろし蕎麦の効用かな。体の大掃除に満足した。
 次は雑用をこなし、区政の仕事にかかる。準備しておいた敬老会の案内を各戸訪問して配布。7戸不在。ある人は私はまだ老いず、と自負を見せられてびっくりしたが貰えるものは貰って下さいと渡した。その意気や元気でよろし。
 夜は突然グラグラ揺れる。おまけに雨ときてはこの世の終末観も漂うか。遠方のS氏から嬉しい電話を頂く。ついつい長電話となるが相手も楽しかった、と電話を置かれた。何れ面談したい。
 一昨日市ノ瀬で別れたS君の3人パーティは白山から釈迦の縦走に成功したと下山の報あり。クロユリ多し。他にも高山植物が多かった由。
 健診で引っ掛かった気になる高血圧だが運動不足が原因と断定する。今年は明らかに運動不足つまり登山不足である。そのため高山では血中に酸素を取り込むためにゆっくり登ることが肝要と知る。

    手取川白山削る秋出水     拙作

駿河湾を震源とする震度4の地震2009年08月11日

 寝ているところを大きく揺れてびっくりした。
 台風は来るわ、地震が発生するわで不安な今夏。

黒部源流展望の山旅・俳句編2009年08月16日

  吹き上げる黒部の風のさわやかに

  立山(たち)からの風さわやかに吹きにけり

  秋天や赭(あか)い巨艦の薬師岳

  霧深き水晶小屋に着く安堵

  身に入むや雲ノ平の縦走路

  鰯雲また来る日まで奥黒部

  秋の空ここぞと黒部五郎岳

  道脇の食えるキノコは見逃さず

  霧が降るごとく流れる弥陀ヶ原

  宿もなき秋の夕べの迫るなり

  澄む水のままに流れる薬師沢

  山霧や数多咲きをるチングルマ

奥黒部の句碑(遭難碑)2009年08月17日

 8/14の朝はかなり冷えて寒かった。水晶小屋を出発したのは午前5時の予定が5時30分になってしまった。トイレが混んでいたこと、快晴の空に感動して呆然となってしまったのだろう。
 黒岳の縦走路に入り、黒岳に登頂する。続いて赤牛岳であるがゴロゴロした岩屑の道から急に地質が変わり、赭(あか)い色になる。隣りの薬師岳も同じ色である。素晴らしい展望の山旅に遅遅として歩が進まない。
 昨日は一日中霧の中を歩いた雲の平も今日は黒部五郎岳に平伏すごとく広大な高原を見せる。右隣は野口五郎岳である。正面は立山であり、奥には剣岳が顔を覗かせる。
 赤牛岳は何の変哲もない山頂に過ぎないが結構な人数の登山者で賑わった。何と行っても北アルプスのど真ん中である。展望が半端じゃない。途中、赤牛沢を遡行して登頂を果たしたパーティとすれ違った。上の廊下を経由して遡行しても登れるのである。
 さて読売新道の長い下りには閉口した。ガレ場の下りはまだしも樹林帯は風も無く、ぬかるみがあって歩きにくく難儀させられた。
 穏やかな樹相のぶな林の中の道が平坦になり、奥黒部ヒュッテの手前に長い間見たかった遭難碑があった。山に登って俳句を詠んだ俳人の福田寥汀が建てたもの。そこは令息の福田善明が鉄砲水で消息を絶った場所であった。昭和44年8月11日奥黒部東沢出合にて同行の岡部浩子と共に遭難死した。15日から捜索行、10/10に現地で慰霊祭。寥汀64歳であった。
  秋雲一片遺されし父何を為さん    寥汀
とある。
この句に続いて
  秋風や遺品とて磧(かわら)石ひとつ
  稲妻の斬りさいなめる真夜の岳
  しばたたく露双眸の涙星
  流木に凭(よ)りまどろめば風は秋
  晩夏湖畔咲く花なべて供華とせん
  焚火消す葬るごとく砂をかけ
などの一連の7句の追悼句を含む「秋風挽歌」で翌年45年の蛇笏賞を受ける。昭和56年の13回忌まで奥黒部へ通ったという。75歳になっていた。以上は岡田日朗編『福田寥汀の世界』(1989年梅里書房)による。
 帰宅後、すぐに読んだのは冠松次郎『渓』(中公文庫)の中の「赤牛岳に登る」である。東沢からも登っている。もちろん遡行してであろう。