俳句談義 ― 2023年07月19日
俳句の話で一杯やろうというのでお誘いに乗って知合いの居酒屋へ行った。ところが世間話の方に話が飛んでしまうこと度々で肝心の俳句の奥義にまでは及ばなかった。素より素人に毛の生えた段階故に深まらないのは当然か。それでもあっという間に3時間が過ぎてしまった。何だかまとまりの無い談話に終わったがアルコールが入れば発散する。今度は素面でやることにしたい。
登山と自然を愛して四季の山歩きをしています。その見聞を綴りました。又、登山や自然に関した俳句、写真、書物、人などのことも折々書いていきます。
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「悪天候は人を死地に追い込むためにあるのではないということである。厳冬1月も寒冷さ、風雪の狂う高所では、人の生存を拒否しているようであるがそこへ登ろうとするものは、それがどのようなものかは、すでに分かっているはずである。また、それに立ち向かう自由と、さける自由は登山者自身に許されている」
「その五体を安全に守ってくれるのが、山の常識であり、山の技術である。知識だけではなく、ことにのぞんで反射的に行使されるまでに身についていなくてはならない。それは何も高度な技術を要求していない。要するに山での危険というものは、山にあるのではなくて登山者自身にのうちにある、ということを、はっきり知っておくことである。」
東海銀行山岳部「さすらい」2号(昭和38年)の寄稿から
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