JR三ヶ根駅から登る三ヶ根山2015年11月21日

 これまでは大沢から2回登ったが、お散歩程度で下山するので、マイカー登山ではいかにも物足りない。そこで電車を使って、駅から駅へとハイキングを企てた。
 標高14mの海辺に近い名鉄の西幡豆駅から登っても比高336mに過ぎない。三ヶ根駅の標高は60mくらいだから、比高250mから290mなので飛ばせば、ほぼ1時間程度の登りになる。但し、乗り換えの無い三ヶ根駅から登ることにして、西幡豆駅へ下る予定で出かけた。
          各駅停車の鈍行で西三河へ
 金山駅を7時51分の普通に乗車。840円也。快速や急行に追い越されてのんびり鈍行の列車旅を楽しむ。三ヶ根駅には定刻どおり8時59分に到着。人間ばかりの繁華街から田園の広がる田舎に着いた。人は少なく道を問う人さえ見かけない。
 ローソンで若干の食べ物と飲み物を買う。県道41号を行き、深溝苅谷門の交差点から県道322号に左折する。500mほど軽く登ると峠状の乗り越しになる。ホテルを越した先に登山口の道標を見出す。
 9時28分に登り出す。笹が刈られて幅2mくらいの細道が奥へ続いている。すぐに右からの道を合わせるがこれは車道で行き止まりになっている。3台から4台は止められる。周囲は桧の植林の幼木が密生している。山道もここから狭くなり、一旦谷の奥まった所から尾根に取り付きジグザグの急登が始まる。10分ほどで尾根に乗ると照葉樹林の植生に変わった。落葉しないので冬でも見晴らしはなく薄暗い。日光が届かないせいか、地面は笹も草藪もなく快適に歩ける。体が温まっても北風が吹き抜けるので丁度いい加減のコンディションだ。たまにある樹林越しの見晴らしから岡崎市街が見渡せる。
 標高219m辺りから上り下りを繰り返す。前方に三ヶ根山の一角も見える。ここで下ってくる男性に会った。片手に何かの道具を持っていた。多分自然薯掘りの道具だろう。先の方で穴を掘った跡があったからだ。
 10時30分。一旦軽く下って登りかえすとコンクリートの建屋に着いた。これがかつては愛知県で最初に開業された三ヶ根ロープウェイの終点駅跡だ。昭和38年に開業され、昭和51年に廃止された。年間220万人もの観光客を集めた愛知県有数の観光地も今は草深く埋もれる。ネットで見つけた名鉄のPRのユーチューブだ。
 「懐かしの名鉄グループCM」0:30秒辺りから0:55秒までが三ヶ根山観光PRになっている。
 https://www.youtube.com/watch?v=zQmeCbybWRU
 私も十代の頃、勤務先の忘年会で形原温泉に行った記憶があるが、今はどうなっているのやら。
 跡地からは蒲郡市街地や三河湾が見下ろせる。ここで10分間休憩とした。すぐ近くに形原温泉に下る山道の道標がある。やや草深い感じだ。しばらくで三角点へ行く案内板があるので左折。やや草がかぶさるが歩ける。平坦地にはなにもない。2枚目の道標で左の尾根へ下る。すると右にスカイラインと接する辺りに3等三角点が埋まっていた。何も見えない。ネットでは不明という記事を見るがここまで下る前に諦めるのだろう。往復10分で分岐まで戻る。
 すぐにスカイラインに出た。スカイラインは徒歩で歩けないので、車に注意して横断し、「ゆうとぴあ三ヶ根」に行く。観光地としては寂れたが現在も営業中である。山上では唯一の飲食店になる。ここでは慰霊碑のガイドもかねておられるようだ。そのまま三ヶ根観音まで歩く。比島観音や数々の戦争慰霊碑を経て、11時05分、展望台に着く。かつては名鉄グランドホテル・回転展望台が営業していた場所だ。(ユーチューブ参照)今は駐車場とトイレ、ベンチなど簡素な園地に変わった。
 ここからの景色は昔も今も変わらないままであろう。そのまま脇道を歩いて行くとアイシン精機の保養施設の前を通過してスカイラインに合流。アサギマダラ飛来地の案内塔が建つ。ここも通過車両に注意して横断。荒廃した観光施設の前を通り、向こう側の芝の園地に行く。「三ヶ根山」の石碑があり、あじさいや幹の分かれた珍しい桜が植えてある。その先のコンクリートのベンチがある園地で昼食とする。11時20分から40分昼食タイム。
 園地から下ると、目の前に大きな電波反射塔の建つピークが見える。左はスカイラインで、広大なPがある。右へは「殉国七士廟」への案内がある。ハイキングコースもここで西幡豆駅と東幡豆駅とに分かれる。左へは三河湾を見下ろしながら、スカイライン沿いの歩道を下り、東幡豆駅に下る。右は殉国七士廟に立ち寄って、小野ヶ谷下山道に行く。今回は右に振る。電波塔をめざす。
 分岐からすぐ車道の左からの階段の道を急登する。標高350mの最高点に達するが、東半分が開けて、三河湾方面に眺めはあるが360度の大展望というわけではない。車道を下ると元の道に戻れる。
 「殉国七士廟」へは広い車道を歩く。左の林道への分岐に小野ヶ谷下山道の案内板がある。とりあえず、殉国七士墓にお参りする。駐車場から右へ分岐する林道との辺りに四等三角点「三ヶ根」が埋まる。墓地ではボランティアの人が2名掃除中だった。思わぬ珍しい話を聞いた。私もネットで知る限りの断片的な知識で応じたが深い話に感心する。今回はお町さんの碑にも寄らせていただいた。満州の悲話である。
 小野ヶ谷の道まで戻り下る。延々とした林道歩きが続くが、スカイラインで車の排ガスを浴びながら下るよりは良い。地形図通りの曲折通りに下ると小野ヶ谷の山麓に着いた。そこで橋を渡るのが間違いで八幡へ行き、とんだ遠回りになった。素直に川沿いに行けば西幡豆駅の「はず」だった。駅に着いたのは2時28分で29分発の電車に間に合わなかった。約40分はロスしただろう。駅前の店で缶ビールを飲みながら時間を潰すと30分後に電車が来た。ワンマンカーだった。廃線寸前の様相である。山も海も寂れてしまったのか。
 ホテルはグリーンホテル三ヶ根以外はみな廃業。数多の慰霊碑だけが未だ人を呼ぶ。しかし、これとて、戦争体験者や語り部も高齢化して僅かに残るのみという。
 傍らの同行者曰く、中国や韓国から観光客を呼ばないとねえ、という。こんな慰霊碑群を見たら中国人が何と言うやら。左様、反戦をいわずして、反戦の山になったのだ。二度と戦争してはならない。