行く春や2012年04月19日

 昨日から何だか異様に暖かい。ウールのやや厚めの上着が野暮ったい気がする。気分転換にサマーウールのスーツを1着、イージーオーダーで新調した。あるにはあるが、ウエストがきつくて着られない。タンスからサマー向きの上着とズボンも出して、冬物と入れ替えた。
 忙中閑あり。今日は朝から片付けに終始した。明日以降、天気が悪そうだ。このところ毎週山行で溜まる一方の新聞も片付けた。久々に洗車して、タイヤをきれいにしてからスタッドレスタイヤも夏タイヤに履き替えた。16インチのタイヤは見た目以上に重い。一汗かき、ぐったりするほど疲れる。こんな作業もいつまで続けられるやら。
 夕方になってから本を買いに栄・丸善に行く。お目当ての本を抱いて書店内の喫茶店で読み耽る。幸せなひと時。あらら!原節子の写真集が出ている。この前、朝日新聞にも珍しく原節子をテーマにした軟派な記事がでていた。往年の美人女優の本もある。その後、事務所へ行く。錦三を通るとやたらに中国人女が目立つ。8頭身のスレンダーな体型でそれと分かる。会話でも分かる。最近この界隈で売春も横行、と新聞にあった。偽装結婚して、こんなところで稼いでいるのか。中国の不況が影響しているのか。
 S君が突然やってきた。4/22はどうする、という相談だ。雨天決行。蛭も山の上なら遠慮するだろう。

ハイキング講座開催2012年04月21日

天白生涯学習センターにおけるハイキング講座の一こま
 午前中は顧問先へ臨時出社した。このところ仕事が急増し、その上、派遣の経理担当が目まぐるしく交代するので大事な日は指導に当たることになった。仕事のコツは要領と段取りである。
 午後は天白生涯Cで3回目となったハイキング講座を開催した。2009年は7名、2011年は3名、今年は名古屋だよりに加えて中日新聞にも掲載してもらって、天白区外からの受講生も多かった。何と20名近い受講生が集った。JAC東海支部でも中日、朝日、NHKの登山教室を受け持っているが少しレベルが高い。
 遭難防止のためにはその前段階のハイキングでの啓蒙が必要との認識から定年退職後、自由業開業と並行して天白テニュアに登録してもらって始めたのである。但し、講師の方は会のKさんが引き受けてくれた。大企業で培ったパワーポイントを活用し、分かりやすく、視覚的に講義された。こちらは補足だけに留めた。強調したのは登山計画書の届けである。これを書くことで山に向き合う自分が何者かを否応なく意識することになる。
 こうした地道な取り組みで名古屋市民、未組織登山者、単独行のハイカーや登山者に山を知る、仲間を得る機会を与えて、鈴鹿山系の遭難や遭難騒ぎが減っていくことを期待したい。

春尽きて・・・2012年04月24日

朧夜の人里離れテント張る

藪尾根を攀づや4月の福寿草

春泥にたちまち軍手汚れけり

少しばかり濡れても渉る春の谷

山深くキブシ垂れたり君が畑

山霞いつまで続く捜索行

駅一つ過ぎし蛙の目借時

春尽きて女(ひと)麗しく装ひぬ

春惜しむまだ知らぬ地へ山旅へ

 ヤマボウシの仲間のハナミズキ咲く
ハナミズキ咲いたか山に誘うごと

御池岳・ゴロ谷の捜索情報続報2012年04月25日

 4/21の本部による冷川谷捜索も実らず、4/22は低気圧接近による雨であり、私も仕事を入れて、捜索は断念した。4/22はさすがにどなたも捜索は休止だったとみえる。

 藤原岳・御池岳・鈴北岳捜索情報WIKIによると巻頭に以下の4/24付けの見出しがある。
 ☆        ☆        ☆
4/28〜 御池岳西南面で捜索活動を行います。
二重遭難予防の為、このエリアへの入山は控えて頂きますよう、宜しく御願い致します。
(20120424 管理人)
http://www50.atwiki.jp/hnagashi/pages/1.html
 ☆        ☆        ☆ 
 捜索本部でもいよいよ三重県側から滋賀県側の西南面に重点を移すと見られる。4/15に滋賀県側から入った感じではボタンブチ付近が濃厚と見ていた。近づくほどに急傾斜になったからだ。
 ただ、この西南面はすべて危険領域である。我々もハーネス、50mのザイル、ヘルメットを準備して入山した。浮石が大変多く、落石に気を使った。落石は一旦どこかで止まるようなものではなく、どこまでも落ちて行く。複数が入ればもっと危険が増す。一般登山道を歩くだけの登山者、藪山経験者でもクライミングをやらない人は入山しないことだ。
 以下の4/18のヤマレコの記録は3/28、4/8に続く3回目の個人での捜索活動である。この中に赤いオーバー手袋が1040m付近で発見された写真が掲載されている。この方はそれをいなべ署に届け出ている。これが手がかりになっていると考えられる。又、記録写真の中にボタンブチ付近の11:17撮影の写真を分析すると漏斗状の地形が見られ、ここから転滑落したものと推察される。この地形は八ヶ岳の阿弥陀岳付近の中岳沢にもあるが雪崩れの出やすい所で12人が亡くなっている。 
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-183278.html
 どんな方針がとられるかは本部の合議次第であろう。御池岳の台地から手分けして懸垂下降するやり方が落石事故の危険も少ないだろう。約100mから150mも下れば見つかる可能性が高い。50mザイル3本分である。
 地質を調べると古生層となっている。侵食を受け付けない硬い岩盤である。斜面の一部で崩落が始まっており、これから谷が形成されてゆくだろう。上部の樹木の根は浅そうだ。枯れ木に体重をかけて持たないことだ。つまり確保が大切である。本部が懸念する二重遭難は落石事故とバランスを失った際枯れ木を掴んで転落事故になることだろう。心したい。

俳誌『辛夷』届く2012年04月26日

名古屋のテレビ塔ーこの足元に蕉風発祥の地のモニュメントあり!
 普羅の言葉(14)から
「嵐雪、其角より蒼虬、梅室、川柳と堕落した原因が、俳句採択の基準に於いて、一に「泣き落とし」又は「人情落ち」である点は現今の俳壇と一致して居る、悲しむべきことである」
「主義、主張の小さな殻を脱ぎ捨て、赤裸々の人間になって大自然を見なければ、此の俳壇を堕落傾向から救い出すことは出来ない、木刀や竹刀で剣術の型ばかり上手でも、真剣を振ふことが出来ない様では、戦闘は出来ない、不易の俳句は出来ないのである。」
 
 蕉風とは、自己凝視の徹底、深い思索性と超俗的姿勢などが漢詩文調の緊迫した強いリズムと結びつき、マンネリ化した談林俳諧を打破した。
 不易流行とは新しみを求めて変化する流行性が俳諧の不易の本質であると。不易とは時代が変化しても変わらないもの。
 この蕉風は名古屋発の俳句理論であった。「冬の日」が編まれたことを記念してテレビ塔の足元に以下の句の記念碑がある。
 ”狂句木枯しの身は竹斎に似たるかな”
 意味は「狂句を詠み、冷たい木枯しに吹かれながら、諸国流浪の末、枯れ木のようにみすぼらしい姿で名古屋入りするこの身は、まさにかの狂歌好きの竹斎とそっくりであるよ。」

 恐らく戦前の論考であろう。昭和14年に若干28歳の「俳句研究」誌編集長の山本健吉が「人間探求派」を唱える。これに乗せられたのは加藤楸邨ら3名であった。特徴は俳句というよりも短歌的である。この時に普羅は40歳位だったがこっぴどく批判されているからそれへの反論だろうか。しかし、ジャーナリズムの力は恐ろしい。間違いであれ、ウソであれ伝播してしまう。人間探求派は駄句の山を築いてきたのだ。川柳へと堕落してしまったのである。「俳句研究」誌が廃刊になるのもむべなるかなである。

 前田普羅は富山大空襲で焼け出され、三重県いなべ市鼎の弟子・佳山の住む竜雲寺に落ち着く算段であったがインフレでかなわず、東京へ転居していった。今も風呂釜が残されている。
   春更けて諸鳥啼くや雲の上     普羅

天白区・相生山緑地で猪出没!2012年04月27日

 今朝はまずまずの晴れ間である。窓から見下ろすと桜並木も葉桜から緑一色になった。天白川の河川敷も緑に染まる。”水と緑の街”とかいったと思う。そのとおりの季節到来である。
 朝日、中日各紙が地域情報として天白区相生山でイノシシを目撃したという情報を報じた。以前にケーン、ケーンと啼く雉は見たことがある。イノシシほどの大きな野生の獣が生息できる環境なのだろうか疑問である。緑地の中には外からは見えない畑も耕されているから作物もある。食うには困らないということか。
 しかし、大都市の緑地にしてはまだ自然が残っている方だろう。ここには標高40m級の三角点が2箇所あり、探し周ったこともある。放獣した疑いもあるようだ。何せ、周囲は都市化されて山地につながるエリアではないからだ。

御池岳・ゴロ谷捜索隊の無事を祈る!2012年04月28日

2012.12銚子岳からの御池岳盛上りが丸山で前面が捜索範囲の南西面
 2/12に行方不明になって以来、捜索が続けられて今日で75日。ご家族の精神的疲労は限界だろう。一方、捜索隊の方も体力的、日数的、又物理的にも限界に近づいたと思う。それでも4/18にゴロ谷を捜索された人の手袋発見で隘路は開かれた。
 但し、ここは危険領域で、滋賀県でも奥深く、遠回りもあって、一番行きたくなかった地域でもあった。まさかあんな危険な断崖に近づくこともあるまいという思い込みも強かった。
 今日、明日共所用で捜索に加われないが参加される方は今まで以上に注意を払って欲しいものだ。昨晩、三重岳連のN氏に電話で聞くと谷から攻め上がる戦略らしい。
 一に落石、二に転落の二重遭難の恐れがある。午後にも発見の報を聞きたい。発見されても嬉しい話ではない。しかし、ご家族は葬式を出せるし、次の人生に区切りを付けられる。辛く悲しいが人生とはそんなものだろう。捜索隊も苦労から解放される。こんな辛い捜索は今までになかったのではないかと思う。
 安全第一で無事を祈る。

御池岳・ゴロ谷捜索活動は終結2012年04月28日

 Nさんはゴロ谷四の沢で遺体で発見されたと連絡があった。心よりお悔やみ申し上げる。
 これで長かった捜索活動に終止符を打つことができた。活動に参加された皆さん、Nさんの関係者の皆さん、この拙ブログに激励のコメントをお寄せいただいた皆さんにもお礼申し上げる。モチベーションを持続するのにコメントの一言に励まされた思いであった。捜索情報の拡散にもブログは有効に役立った。社会的なツールとして有益なことを再認識した。

5/1、このブログでは4/16以来実名の新聞切抜きを、要望もあって、転載してきました。本部のWIKIにあるとおり、ご家族への配慮から実名を伏せました。コメントにつきましては非公開にしました。ご了解下さい。

タンポポの絮2012年04月29日

昭和の日近現代史学ぶべし

昭和の日どこで買うのか日章旗

たんぽぽの絮(わた)に吐く息止めにけり

てふてふのあみ妹の頭(ず)にかぶさる

野遊びの子らをいつまで眺めけり

菜の花の黄色砂州まで埋め尽くす

都市の空飛行機めく春の星

桜蕊降る堤をランナー走り去る

行く春や捜索行の荷を下ろす

春惜しむ吟行の日を顧みし

「捜索終了のお知らせ」を転載2012年04月30日

 藤原岳・御池岳・鈴北岳捜索情報WIKIをチエックすると以下の文が掲載されて、遺体の収容と搬送が無事に終わったことが正式に宣言された。中日新聞の(名古屋)市民版にも掲載された。
 アドレスはいずれ削除されると思うので文をコピーし、転載しました。これで完全に終わった。あるはずがないと思われたボタンブチからの転落の事実に、しばらくは精神的に立ち直れない人もいるかも知れない。本来の楽しい山歩きに戻り、自分を取り戻して行きたいものである。
http://www50.atwiki.jp/hnagashi/pages/22.html

Nさん捜索終了のお知らせ
 2月12日に消息を絶たれてから2ヶ月半を経過してしまいました。
この間多くの方々の献身的な捜索と、情報収集のおかげで昨日(4月28日12時半)ようやく所在確認に至りました。
 本日、管轄の東近江警察署員と捜索隊員とで収容、搬送が終了しましたのでお知らせします。本当なら心がけを頂いている方々に対し、昨日速報でお知らせするのが筋ではございましたが、確認できた場所が浮き石落石の危険が非常に高い場所であったので、本日の収容完了まで伏せさせて頂きました。 お詫びいたします。
 これまでの間、名簿に記載されただけでも600余名の方に参加者頂いています。これほど多くの方々に協力頂いたこと、また、事故もなく継続できましたことを心からお礼申し上げます。 しばらく時間がかかりますが、いずれ関係下さった方に報告をさせて頂きたいと考えています。 末尾ですが、ありがとうございました。

平成24年4月29日 三重県山岳連盟遭難対策委員会 事務局 居村年男
(20120430 転載 管理人)

三重県山岳連盟を中心としたボランティア捜索隊員の方々を始め、捜索活動に携わられました全ての皆様に深く感謝致しますと共に、彼のご冥福をお祈り申し上げます。
(平成24年4月30日 捜索情報Wiki管理人 山口)