山を想えば・・・2012年04月01日

 昨夜は朧月だった。珍しくもないのだがなぜか見入った。
 山岳会の50年史の執筆に着手してから約1ヶ月たち、終極に近づいて安堵の心が見させたのかな。御池岳の捜索も気になって中々入れなかった。どっちも気になるが代わりの利かない仕事を優先することになる。掲示板などチエックするとまだ発見されない。一段落したら再開したい。それまでに見つかればいうことなしだ。
 今日の天気はどんよりしている。天白川を見下ろすと河川敷の緑が増えてきた。桜並木も心なしか芽が膨らんで淡いピンク色に見え、今にも開花しそうである。対岸にはぼんぼりが何時の間にか設けられていつでも点灯できそうだ。もう今夜には点灯するか。昨年は3.11でそれどころではなかった。短時間で消灯された。それもやむなしだった。
 新聞を読めば・・・。
 名古屋市の市民税が5%減税される。一方で消費税はアップする方向で国会審議が始まる。社会保障を消費税でまかなうのは無茶だ。本来は所得税と法人税が本筋である。
 消費税に比重を置くと貧乏人は益々貧乏に陥って行く。それを改善すると課税システムが複雑になる。免税事業者を撤廃するのも一つの論点になろうか。免税売上以下の事業者に分割すれば課税を逃れられる。そんな知恵者が一杯いるはずである。法人税、所得税はアップすることだ。簡単には決められない。そのままでは沈没してゆく。
 社会を明るくする政策が欲しい。景気の気。気持ちの持ちようで変わる。増税などしなくてもいいようになる。

もう夜桜?!2012年04月01日

 今日午後から栄・丸の内にでかけた。天白川の橋を渡っていくと区政協力委員時代にお目にかかった人なのでちょいと会釈して過ぎた。しばらくすると思い出したように名前を呼ばれたので振り返る。するとあの写真展に行ってきたよ、という。
 あなたの一の壁の写真には感動したといった。撮影位置も「壁に張り付いて撮るんですよ」と言ったらやはりそうかと一言。その人も高齢ながら写真が好きでいつも一眼レフを構えている。もう一つのトラス山も「あれはあそこに行った者でないと撮れないからね」という。要するに誰にでも撮影できない場面だから価値がある、とこの人はいいたいのだろう。
 絵葉書的なかっちりした構図や光で優劣を競い、プロに近づこうという趣旨ではない。こんな素敵なところへ行ったよ、珍しい風景をみたよ、というパフォーマンスなのである。それをこの人はよく理解して楽しんでくれたのである。嬉しいではないか。
 懇親会で奨められたキャノンG1Xを見に大須を覗いたがない。家電量販店にもない。売れ筋で在庫はないようだ。大須界隈はものすごい人手である。ヤバトンには20mくらい行列ができている。丸の内の事務所まで徒歩で行く。
 今日は50年史の最終仕上げである。2月初旬から資料の『東海山岳』1号、3号を購入。みな北海道の古書店にあった。マカルーは天白区の無店舗古書店で購入できた。2号は先輩から借りた。それを読み込みながら、構想を組み立ててゆく。
 周辺の図書も傍らに置く。深田久弥『ヒマラヤの高峰』『ヒマラヤ登攀史』はどんな山かを知るため。『日本登山史』はおおよそのできごとの把握。川喜多二郎『鳥葬の国 チベット』『パーティ学』『発想法』梅棹忠夫『知的生産の技術』は原真がマカルー隊員に学ばせたKJ法の参考書。『岳人50号』は伊藤洋平の岳人誕生秘話。『快楽登山のすすめ』は原真の考え方、『絶対に死なない 最強の登山家の生き方』は加藤幸彦の考え方、『屏風岩登攀記』は石岡繁雄の登山記。尾崎隆『果てしなき山行』は亀山の人の登山記。『戦後値段史年表』は昭和30年代のコーヒー一杯の値段を調べるため。東京では60円でしたがワダコーヒーに問い合わせ中だ。分かるかな。初任給が1万円くらいだった頃の話。
 以上を頭に沁みこませて、時系列で出来事を書き進めて行く。その間にエピソードを挿入し、本文からも引用して膨らませる。400字詰めで60枚分。つぎはぎだらけだがやっとできました。
  ”ヒマラヤの雪と氷の高峰に命をかけて挑む若者”  拙作
 帰路、天白川に差し掛かるとぼんぼりが点灯されていてきれいでした。

菜の花や・・・2012年04月02日

桜花ちらほら一分二分咲きし

菜の花が一面埋めし堤かな

    地下鉄車内にて
入学の子に付き添ひし母着物

詰め襟にあら懐かしき金ボタン

ビル街のオアシスシダレザクラ咲く

春の嵐2012年04月04日

 昨日は天気予報で予め警戒する旨、予報が出ていたのでぎりぎりまで外出を控えて待機した。低気圧が近づいて、降雨が続き、天白川が増水し出した。そのうちに土砂降り状態になった。春雷が鳴ったと思ったらスコールのような雨が連続的に襲ってきた。そして、すっと弱まる。それっとばかりに外出できた。
 山岳会の総会の日なのでうっちゃるわけには行かない。市外の人の出席を心配しながら来て見るとみなさん揃った。普段見ない人まで出席し、総会らしい体面を保った。年末の50周年記念行事が肝になろう。大手、老舗山岳会とちがってこちらは二十数名の弱体な懇親会的な集まりである。
 JACの50年史を編纂すると「やりたい奴がやる」歴史である。街の会でもそれは同じであってヒマラヤだけが崇高な登山だから継続できたわけではない。続かなくて解散寸前まで追い込まれている。街の会でも解散風は常に偏西風のように吹いている。どちらも良くぞ続いたものである。
 JACの50年と街の山岳会の50年と何が違うかといえば、きちんとした文書を残すという一点である。街の山岳会でも文書を発行するが昔はガリ版、今はワープロ入力後のコピーと手作りである。JACは一貫して印刷会社による印刷物としている。

藤原岳の雪2012年04月06日

 所用で三重県津市役所に向かう。津の城跡は桜が満開であった。週末は花見客で賑わうだろう。
 帰路、風が強く伊勢湾岸道路では横風に煽られる。往きは鈴鹿山脈も雲に閉ざされていたが北部が良く晴れて雪をいただく藤原岳が見えた。まだあんなに雪があるのかと思う。今年の春は寒いわけである。
 昼頃、名古屋へ戻ると天白川沿いの桜が満開になっている。気の早い向きはシートを広げて、宴会である。幼児と散歩しながら花見と洒落ている主婦もいた。昨夜は花の雨だったからだれ一人そぞろ歩く人も見なかった。ぼんぼりが風に揺れて、今夜から賑わうことだろう。花冷えにご留意あれ。
 
 人恋し灯とぼしころを桜散る    加舎白雄
・・・江戸時代の俳人。長野県上田市上田城跡公園入口の道路沿いにこの句碑があるという。

  ちるさくら海あをければ海へちる 高屋窓秋
・・・名古屋市生まれ。法政大学卒。商社マン。馬酔木同人。現代俳句の世界16『富澤赤黄男 高屋窓秋 渡邊白泉集 』1985、朝日文庫から。

 まさをなる空より枝垂れ桜かな   富安風生
・・・三河一宮、金沢の生まれ。豊橋・時習館中から一高、東京帝大法科を卒業後、逓信省に入省し、逓信次官まで登りつめたエリート俳人。

 花衣脱ぐやまつわる紐いろいろ  杉田久女
・・・鹿児島市生まれ。夫・杉田宇内の赴任地の北九州市小倉北区堺町公園内に句碑があるという。英彦山とともに訪ねたいところ。
 
 桜を詠んだ俳句の名作が次々浮かぶ。週末は名城で花見句会と行きますか。そして日曜日は御池岳の捜索活動を再開したい。

名城お花見吟行!2012年04月07日

花冷えや待ち人探す東門

城跡のお堀に花の枝長し

ユキヤナギ花に負けじと咲き誇る

名城の花の下にて食ぶ団子

桜餅葉もそのままに食べるなり

  中国人の二人連れのシャッターを押す
  (支那には花見の文化はないという))
花を背に支那の二人を写しける

碧眼の花見客や名古屋城 

名城の花見に引きもきらずなり

花の下より仰ぎ見る金の鯱

花の昼輝きの増す金の鯱

さながらに花の回廊そぞろゆく

  天守閣の中にて
花見客エレベーターに列をなす

  天守閣上階から四囲を眺める
北は花曇りなれども伊吹見し

花衣宴たけなわの中に座す

  能楽堂の食堂にて
花冷えの身をきしめんで温めをり

花の宴能楽堂の裏庭に

  喫茶店「さくら」(三の丸)にて散会す
さくら散るごとくみんなと別れけり

御池谷左又捜索行2012年04月08日

 2月16日以来6回目の捜索行となった。土日で数十名とすると延べ350名が捜索行に加わったことになる。そのお陰で捜索地図を見ると実に緻密な捜索が行われてきたことが分かる。それでも手がかりが一切ない。手袋、ストック、帽子、ゴーグルなど何でもいい、その断片でも見つかれば集中捜索ができるのだが。
 名古屋を6時過ぎに出発。藤原岳のセメント工場の煙がまっすぐに登っている。今日は無風快晴だろう。
 7時半前には着いたが大貝戸のPは満車だった。藤原岳はもう花の山になり、大勢のハイカーで賑わっていた。NHKのカメラが何やら録画中だった。「花の百名山」として4/13に放映するらしい。
 またいつものように居村さんを中心に割り振りをして出発する。R306はまだ冬の通行止めから解除されていなかった。おまけに路肩決壊で2箇所工事中だったからタテ谷で通行止めにされた。
 そこから歩いてトンネルを通過し、滋賀県側に出ると路上まではみ出した関西ナンバーの車が溢れていた。Pの中を通って、左岸を下り、堰堤を2箇所下ると鞍掛尾根への登山道がでてきた。それを下ると林道に出た。林道を歩くと御池谷登山道に合流した。
 登山道を行くと最初に出合う大きく顕著な谷は1056へ突き上げる。そこを見送ると暗い谷芯を登る。すると鞍掛尾根への道がでてきたが見送って右へ行く。再びの大きな明るい谷が左又の出合いとなる。標高650m付近になる。破線路は膨らんでいる。
 道のない谷芯を登ると谷は急斜面の扇形に広がる。地形図では等高線が詰まって急斜面を表現する。這いながら、或いは昨日までに積もった雪をキックしながら行くと大きな岩の衝立がでてきた。下部を捜索するが雪の厚みが50センチもあり、道具をもたないのでパスした。岩、木の根などに足場をやりながら慎重に登った。そしてやや平らな尾根にトラバースした。
 尾根を直登するとまた雪が出てきた。右の谷底を俯瞰して捜索する。鈴北の空の上を何羽ものカラスが鳴きながら飛んでいく。他に春禽の鳴き声も多い。コガラが枝を飛び回っている。雪の上に足跡が残っていた。捜索隊の人か。この尾根は鞍掛尾根の1056mの鞍部に着いた。捜索はこれで終わった。
 峠から三重県側に下った。大貝戸センターでも報告を済ます。また家族の方がお茶やお菓子でもてなしてくれる。顔なじみになったメンバーも何人かできた。
 捜索はもう手詰まり感は否めない。2ヶ月に亘る大捜索にもかかわらず、見つからないのでお父さんは憔悴の様子だった。これは異例の事なんですとお慰めするしかない。
 下草が生え、万緑の季節になると見通しも悪くなり、もうこんな大捜索はやりたくてもやれない。いつまでもやれることでもない。不快な蛭も出没する。5月上旬が目処となろうか。これから雪解けが一気に進むだろう。草が生えるまでがその時だ。残り時間は少ない。以降は捜索の空白部分の沢登りが一つの手段となろうか。
 阿下喜温泉に入湯後、西の空を仰ぐと金星(宵の明星)が上がっていた。1ヶ月前は藤原岳の左上に位置していたが今ははるかに高い。

御池岳・ゴロ谷捜索の情報2012年04月14日

 Nさんの2/13以来の捜索の実施された痕跡を示す地形図を眺めると御池岳頂上部と三重県側に重点が置かれてきたことが分かる。大貝戸に車があるので往復するか、白船峠から木和田尾を下山するか、しか思い浮かばない。これに皆さん納得して地べたを這うような捜索を続けてきたわけだ。その結果である。それでも見つかっていない。
・それではどうするべきか。発想の転換が必要になったと思う。地形図をじっと眺めてみると御池岳の南西面はT字尾根とアザミ谷くらいしか痕跡がない。今となってはこの辺が空白地帯である。
・Nさんは初心者だから、慎重な性格だから余り大胆な行動はとらなかったはず、というネット上の書き込みも見たことがある。
・そもそもどこでテントを張ったかも不明である。・1241mと・1194mの中間辺りか?.
・携帯メールで下山を知らせてきたのがどこかも不明である。
・そこで御池岳に至ったルートを白船峠から真の谷経由で奥の平と想定した。2/11は登頂せず、2/12朝、テントを撤収してとりあえずメールで下山の連絡を済ませた、と想定する。
・2/12起きてみるとホワイトアウトであった。
・ホワイトアウトは天地が分からない。登山家の小西政継もヒマラヤで行方不明になったままだ。じっと晴れるのを待つしかない。
・ホワイトアウトにも関わらず、NさんはGPSかなんかで御池岳登頂を目指して出発した。
・1241mの乗り越しを避けてボタンブチ側に迂回するようにコース取りした。概ね破線路通りだ。
・転落事故が起きたとするとボタンブチ周辺が可能性が高い。GPSには誤差もあり、断崖に近寄り過ぎたという推理も成り立つ。
・ホワイトアウトの中でその一歩が谷とも知らずに進んでしまった。ナイロンヤッケを着用して雪の斜面を滑ると勢いがついて止まらない。100Kg以上の人体とザックがどんな転がり方をするのか?何m滑ってどこで止まっているのか。首の骨を骨折、頭部の打撲、全身打撲か?
・ボタンブチ辺りから下部は覘かれているとは思う。写真で見ると低潅木で当日は積雪があったにせよ、ごろごろ転落することはないだろう。視野に入らない場所に入っているのか?
・台地から落ちても標高900m近辺で止まるか?

 そこで捜索地図に反映されない個人的な情報を検索で集めてみた。少ないがあるにはあった。捜索目的では以下の2件のヤマレコがヒットした。名古屋の同一人物である。
①4/8 これは最新情報だ。ゴロ谷から天狗尾根を登って御池岳台地に達している。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-181007.html
7:30御池橋→9:05ゴロ谷大滝→10:10ボタンブチガレ沢出会遡行直登→12:00ボタンブチ12:30帰路→13:50T字尾根分岐→14:50御池橋

大滝巻は右側から巻いた。

②3/28 ボタンブチ直下を登っている。私の想定に近いルートである。  
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-179115.html
7:00御池橋→7:20アザミ谷出合→7:45天狗尾根と取付休憩7:45→8:30二本松→9:57天狗の鼻→ボタンブチ休息10:40→11:07(P1182)→11:40(P1165)→12:35鈴ヶ岳13:15→13:23伊勢尾根P894→13:52(P806)→1420御池橋駐車場

感想/記録:(by westkapp)
2月12日から行方不明のNさんを探しに3月20日.28日御池橋から→ゴロ谷に入り、ボタンブチ直下のガレ沢を遡行→ボタンブチ 手がかりなしT字尾根で帰路に着く

③樹林の回廊のハリマオさんの記録で標高1000m付近のトラバース行がヒットした。
.http://www.cty-net.ne.jp/~toyo-k/sanko/2007/hatimaki3/hatimaki3.htm

上記を参考に台地までは登りきらないでハリマオ方式のトラバースしての捜索が良かろう。4/15は彦根地方は快晴の予報である。行く。

御池岳ゴロ谷捜索行2012年04月15日

 7:12御池橋を出発。ゴロ谷に入る。水量はやや多めに感じたが少し上流で渡渉が可能で登山靴を濡らさずに済んだ。谷の名前どおり、ゴーロ状の夥しい土砂で平に埋まる。もはや谷というよりは川である。
 以前は下ったことはあるが再びこの谷に向かうとは夢にも思わなかった。御池岳から藤原岳にかけて行方不明のNさんの捜索のために入山することにした。気になるところを捜索して、捜索済みの線が随分うまってきたがゴロ谷はまだ少ないのが理由である。
 まず635mで高度計を修正して、最初の枝谷を溯る。ここも土砂の押出しで本谷に堰きとめられた土砂が堆く積もって、伏流になっている。最初の二俣でザックをデポし、左の谷を探るが傾斜が立ってきて尾根に上がった。右の山抜けしたような谷を上から捜索する。右の谷の左岸尾根を下降して、ザックをとり、再び登り返す。
 標高870m付近の炭焼き窯跡でまたザックをデポして、今度は右の山抜けの上部に上り、急斜面の疎林内を捜索した。標高1000m前後の斜面を横断しながら捜索したわけである。ボタンブチへ向かうと急にヘリが浮上して上空を飛んでいった。きっと発見されたか、と期待した。それでも1時間半は捜索を続けた。13時30分、ボタンブチ手前で引き返した。多数の鹿が急いで下っていく。
 こちらは二本足なので急斜面をそろりそろりと下る。今はまだ芽吹きも抑えられて、見通しが良い。GW頃には新緑に覆われるし、下草も伸びる。蛭も歓迎してくれる季節になると迷い易くなり、自分自身の命が危ない。樹林の山の捜索は別の難しさがある。
 下山後は大貝戸の捜索本部に寄って報告した。ヘリは滋賀県の捜索のためのフライトだったようだ。今日も手がかりは無かった。どこに居るんでしょうか。

御池岳ゴロ谷捜索行異聞2012年04月18日

 4/15のゴロ谷の枝尾根を登って標高1000m付近で地面を見渡していた。その時、木の上に2本の枝を支点に人間大の黒っぽい物体があってはっとした。よく見るとどうも倒木が上部から転落した勢いで木の枝に乗りかかってしまったようだ。
 つまり、急斜面を転がってもんどりうって弾みで枝に乗ってしまったのだろう。同じことは人体でもありえないか。今度行ったら、地面だけでなく、木の上も注視したい。もう一つはザックのウエストベルト、肩ベルトが木の枝、または岩角にひっかかることも考えられる。すると宙に浮いた形であろうか。
 これだけ探しても見つからないのは通常でない状態で隠れていることも想定したい。上を向いて探せ、ということだ。4/22は70%の確率で雨とある。降らないでくれ。