多度山系・狐平山散策2007年02月25日

 かねてから依頼されていた狐平山の約束をようやく果たした。雪が多ければ北の山に向っていたはずである。柴田さんの「相場振り山」を読んで行かねばならないと思っていた。とは言っても何を差し置いても、というわけではない。
 まず多度山に登る。今日は高曇りである。遠望は効かない。北よりは南の方が雲が厚い。眼下は木曽三川の悠揚たる流れが目に入る。多度山麓の家並みがマッチ箱のようだ。そして石津御岳に向うハイキングのコース(林道)を北上する。
 道々慰めになるような花などの風物は誠に少ない。ガードレールの外側に花らしくない緑色の花を咲かせているのはヤシャブシか。夜叉五倍子と書く。荒廃した日当たりの良い荒地に咲くという。いち早く春を告げる暖地性の植物である。小林一茶には

  ハンノキのそれでも花のつもりかな   一茶

 という句があった。ハンノキもヤシャブシもかばのき科ハンノキ属で同じ仲間である。こんな目立たない花を江戸時代の俳人は花と知って俳句に詠んだ見識の高さに現代人はどこまで迫れるだろう。Nさんですらネコヤナギと間違えた。

   花らしく見へぬヤシャブシ咲く山路 

 周囲は桧の植林であるが照葉樹も侵入している。むしろ落葉樹は少ない。温暖な気候の影響である。鉄塔巡視路のNO33から確認しつつ急な林道を歩く。ところがもうNO31の道標が見える。どこかで見落としたようだ。
 一旦は下ってみた。よく見ると巡視路の道標はないがよく踏まれた山道が右へ登って行く。そして途中にNO32を確認した。これはどうも下からここへ移設したかと思われる。
 いくらも歩かずに狐平山に着いた。多度山頂よりも山頂らしい風情に私達は喜んだ。かつて相場の情報の伝達基地であったことを伝える案内板が建っていた。大阪堂島の米相場の価格を手旗で名古屋方面に伝えたのである。同行のNさんの勤務先の創業者は米相場を当てた数少ない成功者なのである。現在は株式市場に上場する堅実経営の会社に発展した。明日は4代目となる社長に報告すると大喜びである。
 多度山から下山して多度大社に詣でた。前を通ったことはあるが本殿は記憶にないし上げ馬もニュースで知るのみである。参拝後社務所に寄ると投句箱があったので3句を即興で作句して投函した。

    上げ馬の坂の注連縄春の風

    本殿へ行くや清めの水温む

    如月や多度山上は高曇り

 上げ馬の坂はかなりな急で一気に蹴上がる感じで最後は壁になっている。隣は観客席で神事とはいえ見世物である。以前は動物保護団体から中止の声も上がった。動物虐待というわけだ。その坂のスタート地点と上がりきった土盛の上に注連縄が張られシデがゆらゆら揺れる。それは間違いなく春(張る)の風が目に見えるのである。
 多度を辞して名古屋に帰った。山上から眺めた木曽三川と治水神社の横を通過するとき幕府の犠牲になった薩摩義士を思った。豊田穣著「恩讐の川面」はここが舞台である。長良川と木曽川を分流する難工事は宝暦治水と呼ばれる。この難工事にあたっては薩摩藩士900余名の内53人が割腹自殺し家老の平田靭負も割腹したという悲惨な歴史がある。

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