マット新調2023年03月01日

 いつごろから使い始めたのか記憶にないが布団の下に敷くマットレスがいかにもくたびれたので買い換えた。日進市のニトリに行くと適切な商品が簡単に見つかった。硬質ゴムで弾性がある。今までのはふにゃっと沈むので劣化したんだろう。睡眠の質を高めてくれることを期待する。

強風2023年03月02日

 今日は外に出ると風が強い。

ネット接続2023年03月03日

 3/2の16時頃に突然インターネットの接続が途切れた。プロバイダーに電話で指導する旨送信しておいた。3/3の午前にプロバイダーから電話があり、いろいろ触ったが機器類に故障は無さそうだ。それでドコモ光に問い合わせよというので電話すると技術的な原因ではなくて料金の支払いが滞っていることが原因で止められたと判明した。
 事務所で請求書をチエックするとはがきタイプの1月分とA4タイプの2月分があり2月分はこの前に払った。はがきタイプが接続を止める旨の警告文があった。同じものと判断していたが違ったわけだ。急いで1月分を知らって接続は回復した。
 昨年12月にスマホを買い替えるためにスーパーの出店に来ていた家電店の誘いに乗ってドコモの契約内容を調べるからとパスワードを教えて操作させた。家電店の推奨品は買わず、キャンセルしたが、その際にドコモ光を解除している。この回復がされていなかった。

黒岳の予定を検討2023年03月04日

 先週に登り損ねた黒岳に再度向かうために検討をしてみた。背の低い里山だから、記録があるから、と無計画に挑むと中々登らせてもらえない。
 ネットから地形図を印刷して、尾根や谷に青やピンクで色分けする。地形の把握である。どの尾根も谷も急峻であるから低山でも手強い感じがする。
 下呂市厚曽の約400mからは比高400mあるから2時間はかかる。郡上市厚波は630mの市境なら比高170mだから1時間強だ。故に記録は市境ルートのみだった。厚曽からは犬山の山岳会の沢登りの記録も1本あるが6時間かかっている。
https://yamania.net/ourreports/2008ourreports/200807kurodake/200807kurodake.html

津保川流域のドライブ2023年03月05日

 深夜までスマホをいじるうちに就寝が遅くなり起床もずれた。名古屋出発は2時間遅れになった。高速を小牧東まで使ったが地道は信号待ちのロスが大きい。厚曽に着いたのは100kmほどで2時間以上かかった。それでも田舎道に入ると交通量は激減するから効率よく走れた。
 津保川源流域に来るとフロントガラスに小雨が来た。やれやれ雨か。モチベーションはダダ下がりになり予定が飛んでいった。厚曽は変わらずひっそりとしていたが一台の軽があった。老人が仕事をしていた。先週来た際に空き家が多い中でもそこはガラス窓がピカピカの家だった。後で山の話を聞くと日曜日だけ子供に送迎してもらっているとか。
 今日は奥まで走ってみた。R41から美濃加茂から左折して上之保の地名を追いながら走った。道の駅平成の案内が出てくればもう迷わない。下呂市厚曽まで一直線に県道63号線、県道85号をひらすら走ると放生峠を越えた。
 厚曽の古老は黒岳への登山道はないと言い切った。昔は山頂にあった祠も今は地元に引っ越したという。厚曽に祀られている。だから山から遠くなるわけである。
 厚曽の廃村を後に橋を渡るとトランクの置き場がある。その先は通行止めの表示があったがさらに林道の奥まで行くとまた橋を渡った。右手の谷が大きく伐採中で林道が伸びていた。古老はこの谷をどこまでも登れというのである。但し地元の精通者が案内しないと分からないだろうという。
 522mの尾根に取り付くために392mまで行って見た。ここは送電鉄塔の巡視路が通っているとの期待があった。しかし中電の道標はあったが対岸には踏み跡すら見いだせなかった。結果成果は得られなかった。しかし古老はこの山域は夏になるとヤマビルが出ると教えてくれた。今が一番いい時期だ、とは言ってくれた。往路を戻った。

麗しき春の七曜またはじまる 山口誓子2023年03月06日

 朝から快晴だ。やや暖かい。日差しも春らしい。今朝は早くに布団干しにした。この部屋は東南の角に当たるから12時には日陰になる。約3時間ほどの貴重な日照である。
 見出しの俳句は最近取り上げられることの少ない山口誓子の句である。おそらく今頃の季節に詠まれたのではないか。ネットでは「日本ではJIS規格によって月曜日が七曜の始まりと決められている」ので今日は週の始めになる。
 仕事も少し進展があった。プライベートでも遅々としながらも進んでいく。こんな時は心も弾む。まさにスプリングである。

[必見]世界のエリートが必ずしていること2023年03月07日


伊勢雅臣氏の歴史観とは

「世界で活躍する人の共通点」を聞いてみたのですが、返ってきた答えは“超意外”なものでした…

それは、、、「歴史観を持っていること」

一体、どういうことなんでしょうか?

「ビジネスの場で必ずと言っていいほど話題に上がることは、自国の偉業を語ることなんです。

 欧米の国際派エリートが、自国の偉業を誇るなら、国際派日本人は、日本の歴史を語れなきゃいけない。

 歴史を学ぶことは、この世界の中で自分が何者であるか、つまり、自らのアイデンティティを知ること。

 自国の歴史を学んで初めて先祖への誇りと子孫への使命感を持って、国際社会の中での仕事に取り組めるのです。

 歴史を語れない、アイデンティティを語れない人間は、国際社会を対等に渡り歩くことは出来ないんです。」
以上
 ダーウィンの自然淘汰が幅を利かす欧州のような国際社会では自己主張が必須。弱肉強食に淘汰されないための知恵であろう。
 日本は和の精神が根付いている。日本は特別に賢い、強い、金持ちなわけでもない天皇の歴史が続いてきた。無理矢理継承はできない。国民の篤い支持があればこそだ。どこの馬の骨か分からない人でも強ければ政権の座に着いたが、天皇の勅命があった。つまり権威で裏付けられた。
 欧州でもシナでも政権は長くは続かず、権威を失墜すると国外追放や革命で社会がリセットされてきた。地続きと島国の違いもある。
 例えはふさわしくないが、カルロス・ゴーンは瀕死だったルノーの再建を成功させて、レバノンの埋もれたはずの人生はフランスの国策会社の社長の座を射止めた。次は日産を再建するように嘱望された。実際に大なたをふるって再建した功績はあるが日産内部の氾濫で国外に逃亡を余儀なくされた。
 カルロス・ゴーンは待てなかったのか。欧州もシナも自分の出番が来るまで待たない風土と思った。シナには孔子が説いた論語がある。論語の趣旨は待つことという。他人の足を引っ張り合う社会では波乱が起こりやすい。社長と言えどもいつ寝首を欠かれるか分からない。疑心暗鬼の社会では発展も覚束ない。
 家康は論語の熱心な愛読者だったらしい。徳川幕府は朱子学が採用されたのも家康の考えであろう。関ヶ原の戦いに勝利すれば強い部下はいつ寝首を取りに来るか分からない。能力主義から年功序列に換えた。そのような学者を側近にした。
 その頃の欧州では革命が続いていたことを思うと大きな違いを思う。清教徒革命は1640年―1660年にわたる。ピューリタンを中心とする英国の革命。フランス革命は1789年だったが日本は江戸時代の初期から中期だった。1840年のアヘン戦争でシナはズタズタの亡国になった。1853年の黒船来航の外圧的な刺激により、日本は世界史に組み込まれて行った。約50年後には日清戦争、1904年には日露戦争と近代は波乱続きだった。

新抜け道を走ってみた2023年03月08日

 天白区から中区への抜け道を探ってきたがこれか、と思うほどスムーズに走れた。車で移動するルートとしては最適だった。
 天白区を貫通するR153は塩釜口から八事の登り坂を越えて昭和区へ下ってゆく。ここは交通難だった。信号が10mから20mごとにあるから進めない。そこから千種区中区と断続的にゴーストップを繰り返して来た。この界隈は塩釜口から昭和区の大学、八事の墓地、大手スーパー、寺院、飲食店が集中している。おまけに八事の交差点は五差路である。
 これを回避するには島田橋を迂回するルートがあるが遠回りだ。そこで試みたのは植田山から名大周辺の路地を抜けるルートだった。
①焼山の交差点から左折、たぶん市道と思うが両側が雑木林になっていて周囲から流入する車はない。東山テニスコートセンターまで一気に登る。八事裏山から道を合わせてすぐに高峯町の丘陵地を登り下りすると名大正門のある山手通りの交差点だ。直進すると名大の南と西の塀に沿いながら行くと鏡池通りに出る。ほとんど渋滞、信号待ちなしだった。次は日進通りに右折すると今池へ右折。豊年町を左折すると後は県庁へストレートに行ける。
②焼山の交差点の手前の一本松で左折しても雑木林と墓地の間を行くので流入がなく、テニスセンターまで早く行ける。但し、墓地を過ぎると左から流入車が多くなる。高峯町への交差点までは大差ない。
 名大周辺は交通障害を起こしやすい大手商業施設(スーパー、ホームセンター、デパートなど)がない。高層ビル、高層住宅もない。要するに人が車で大量に移動する環境にはない。静かな戸建ての住宅街である。子供の飛び出しには注意が要るが殆ど人影はない。
 吹上、今池界隈から西はどうあがいても渋滞は回避できないからまあまあいいルートである。しばらく走ってみよう。

相続登記完了2023年03月09日

 午後に司法書士から相続登記の書類を受領。これで売却の話に進展できる。

給油2023年03月10日

 新抜け道ルートには思わぬ発見があった。ガソリンスタンも見慣れたものだがわざわざ日進市まで安い店にいっていたが軽油129円/リットルという店があった。