東三河・金山から雨生山を歩く2022年07月10日

戻り梅雨の山へ
 天気予報では午前中は雨、午後から雨は上がるという。それでは午後から登っても無事に下りて来れる低山を考えた。東三河の雨生山313mである。154mの宇利峠なので比高160m未満だから40分程度で簡単に往復できる。これでは芸がないので金山423mを絡めることにした。登山口はちょっと変わった名称の「世界の桜の園」である。標高97mなので金山まで比高326mある。1時間強はある。
        雨の中を東へ
 というわけで名古屋を8時30分過ぎに出発。急ぐことも無いから県道56号からR1で豊川市へ、旧三河一宮へと走る。岡崎市のR1では雨は止んでいた。音羽付近の豊川市まで来ると霧雨になった。旧一宮町辺りでも小雨があり、八名山地は雲がかかっている。
      喫茶店で時間をつぶす
 それで以前に一度入ったことがある喫茶店で時間をつぶした。12時過ぎに再出発した。豊川に来ると濁流である。まさに梅雨の川である。金沢橋を渡る前に吉祥山の山容が良いので写真を撮った。ところがカメラを忘れたことに気が付いた。それでスマホで撮影した。
       俳人・富安風生の故郷
 旧一宮町金沢は俳人の富安風生の故郷である。「富安風生は,ホトトギス派を代表する東三河出身の俳人である。師は高浜虚子。風生は雅号であり、本名は謙次。東大卒業後は、官僚としての恵まれた道を歩むかたわら、俳句の道を志した。句誌「ホトトギス」「若葉」の発刊に携わり、1933年(昭和8)には第一句集「草の花」を出版するなど、大正~昭和期に活躍した。彼の句風は,同志の水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)の言によれば、「軽快で分かりやすく,さらりとして誰にでも親しみやすい」ものです。
故郷の豊川市金沢町を流れる牟呂用水の近くの大坂神社には,「里川の 若木の花もなつかしく」と刻まれた歌碑が建てられています。」
 昔生家を訪ねたら風生の生家との標石が立っていたが、今は親類が住んでいる。風生には子供が居なかったからだ。
      新城市曽根の登山口「世界の桜の園」へ
 東名に沿って走り、左折。富岡の交差点を右折しR301へ。すぐに左折し、曽根から青田の広がる田園に分け入る。登山口はちょっと小高い尾根の端っこに登った。5台くらいは止められるスペースがある。12時24分、身支度して出発。身支度していてふと食料を買うのを忘れた。だがさっきのモーニングサービスでパンを食べたばかりだから持つだろう。水はステンレスのテルモスに入れた900ccの冷水がある。ま良いか。
        蛇紋岩の地質を歩く 
 雨が止んだばかりの登山道は草や小笹に覆われているためにすぐにびしょ濡れになった。いくつもの枝道があるが皆藪っぽいからなるだけお奨めの道を歩く。登山道のところどころに蛇紋岩の露頭が見られる。「蛇紋岩中には植物の成長を阻害するマグネシウムが多く入っているため、蛇紋岩地帯の植生」は他とは違う。不思議なことに松の木立になった。灌木の密度も少ない。松は痩せた土地に生える。つまり蛇紋岩の地質ゆえに杉の植林が定着しなかったのだろう。やがて四阿に着いた。ここからは吉祥山が美しくそびえている。何枚も写真を撮る。そうか、蛇紋岩は植物の育ちが悪いので逆にこうした園地のような雰囲気を作るのだ。
           金山へ
 四阿を辞して登山道に戻る。確かにたくさんの種類の桜の木も植わっている。世界中から集めて植樹したのだろう。この一角を過ぎると杉の植林帯に突入して一気に薄暗い山路になった。緩やかだが長々と尾根を登ると林道にでる。すぐに山路に入る。やや急坂になるが県境稜線に着くと左瓶割峠の案内板がある。右折するとすぐに金山山頂だった。三角点以外はとなりに電波施設があるが休む雰囲気でもないので出発する。だらだらと下るとちょっとした見晴らしのあるピークに着く。宇利峠への道標もある。348mだろう。ここからは樹木の高さが低くなり、行く手を邪魔する。ストックで枝をゆすって葉に溜まった水を落とす。やがて右への分岐も出てくると300mの等高線のあるピークに達した。
         300mピークで小休止し雨生山を往復
 ここも蛇紋岩だろうか。樹高はみな低く見晴らしが良い。吉祥山の姿が何とも言えないくらい素敵である。吉祥天女とは「吉祥とは繁栄・幸運を意味し幸福・美・富を顕す神とされる。また、美女の代名詞として尊敬を集め」ている。ありがたいお山である。
 目を東に転ずれば眼下には浜名湖が見える。厳格には猪鼻湖であろうか。見える町は三ケ日だろう。三ケ日JCTがあり新東名につながる。これだけ見えれば天気のことを考えれば十分か。食うものもなく、飲み物もあと少しなのでちびちびと飲む。すぐ近くに見える姿の良いのが雨生山だ。再び登山道を歩いて登頂した。三角点はない。地形図では円錐形の形で他からはいい姿に見えるが展望は良くない。慰めるかのように一輪の紫色の花が咲いている。桔梗だった。これも蛇紋岩の地質だろうか。
      300mピークに戻って電波反射板への尾根を下る
 当初は東へ少し下って分岐を左折する予定だった。尾根にある破線路があるので下ってみた。250m地点の電波反射板までは石のごろごろした裸地の斜面だった。多分蛇紋岩か。踏み跡はしっかりはないが歩ける。
 反射板以下がヤブになった。ここでコオニユリを発見した。なるほど蛇紋岩の地質は普通なら笹か植林になってもおかしくないのだが生育が悪いから植林の不適地にされたのだろう。だからコオニユリも咲く力が与えられる。
 大体背の高さか、少し高い程度の灌木に笹が混じって、さらに棘のあるイバラ科の植物が半袖の腕を引っ掻く。よほど戻ろうかと思ったが、林道までの比高は150mしかない。約50mも下るころには植林になり林床が土になり藪は無くなった。やれやれと下り、林道に降り立った。後は林道を歩きながら登山口へ戻った。
 帰路は葦毛湿原に寄り道して帰名。岡崎市では疲労回復にうなぎ屋により道した。