水草の里を訪ねて~尹良親王の祠発見2022年06月18日

 古橋和夫『写真が語る 三河宮尹良親王ー稲武の尹良親王とその周辺』(発刊 昭和62(1987)年。印刷 桃山書房)は多分稲武の尾形誠意堂で買ったものだろう。1200円。 
 三河宮があったのは稲武の後山(710m)界隈であった。ここを水草の里という。しかし、この本に示された地図の地名は現在の地図には反映されていない。そこで徒手空拳で捜す。
 先週もここだろうと、車を走らせたが徒労に終わった。九沢を経めぐって地形を把握したに過ぎない。第一地蔵峠がどこなのか。最初は塩の道の地蔵峠との間違いか、とも思われた。
 18日に走ってみて、峠を通過して、徒歩で探ってみた。車を降りて峠を振り返ると地域のバスの停車場がありそこに地蔵峠と書かれていた。地蔵峠はあったのだ。これで謎が解けてゆく。
 乗り越し部分の西側に枝道があるので歩いてみた。そこに尹良親王の両尊像を祀った祠がないか。しかし、無かった。そのまま下ると里へ行く。石仏が10体以上集まったところがあるので見ると馬頭観音もあった。
 久々に人を見た。他所から嫁いできただろう女性だったが聴いてみた。ユキヨシ様の祠を探していると伝えるとやっぱり峠にあった。細道があるというのでもう一人が案内してくれた。心細い道だったがあった。但し祠を開けることはできず、他日に期待した。
 後は九沢に走った。後山に続く山路の登山口を探すためだった。降雨があり、舗装から地道になったが粘土質なので引き返した。九沢の四等三角点を探したがGPSの示す場所には発見できなかった。
 媼が一人道を徒歩で歩いていたので聞いた。世間話に終始した。一軒家で一人暮らしだという。水道は引いてあるので、都会的な生活は想像できる。昔なら山水を引いて風呂也、甕なりに汲み置きしなければならない。薪を割り、芝を集めておかねばならないが、それはない。燃料はガスだろう。何となっている。
 もう80歳を越えたという。夫は7年前に死んだ。息子は3人いるが豊田市、日進市、北海道にそれぞれ出て行った。もう戻らないだろうという。一度都会生活を味わうともう戻れない。特にTVで都市を知るとなおさらだ。家が壊れるか、自分が死ぬかどっちが先か、笑えない冗談を言う。
 視野に入る田畑がみな休耕田なのでもう跡継ぎが居ないんですね、と聞いたら、この辺の家屋は皆住人がいないとも言われた。全国的に問題になっている空き家である。九沢では2軒だけが生活している。家は人が済まないとあっという間に荒れてしまう。屋根の根田が腐って抜けてしまう。廃屋化して行くが今なら間に合う。
 30分も話しただろうか。名古屋へ帰ることを告げて九沢の媼と別れた。ここにはまだなんども来る予定である。今度は後山に登ろうと思う。