訃報 柳生博さん死去2022年04月22日

〈柳生博さん 死去〉“息子の死”と“妻の認知症”の先に…「涙で暮らしているわけではなくて、こんなに楽しい」
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 4月16日、俳優の柳生博さんが老衰のため山梨県北杜市の自宅で亡くなっていたことが分かった。享年85。

 俳優として活躍しながら、「100万円クイズハンター」では12年間司会をするなど、マルチな才能で視聴者を楽しませていた柳生さん。2004年からは日本野鳥の会会長に就任し、自然保護活動にも努めていた。

 2019年の会長退任時、柳生さんは「週刊文春」のインタビューに応じ、引退の心境、息子の死、妻・二階堂有希子さんへの想いを語っていた。当時の記事を公開する。(初出:週刊文春 2019年08月15・22日号 年齢・肩書き等は公開時のまま)

「日本野鳥の会」会長就任の秘話
 2019年7月、日本野鳥の会は、俳優・柳生博(82)が会長職を退いたことを発表した。「100万円クイズハンター」(テレビ朝日)の司会者としても活躍した柳生は、八ヶ岳の山麓で生活。広大な雑木林にレストランやギャラリーを備えた「八ヶ岳倶楽部」のオーナーとして年間10万人もの訪問客を迎えている。同倶楽部内で、今の心境を語った。

 会長を引退してよかったなと思うのは、ずばり議長をやらなくてよくなったことです(笑)。創立85周年を迎える「日本野鳥の会」は、約5万人の会員、サポーターを抱える日本最大の自然保護団体。会長は議長として冷静に議事進行をしなきゃならないし、人事や運営にも関わらなければならない。僕はもっとざっくばらんに喋りたかったから、そこから解き放たれたのは何より嬉しかった。

 僕は40年以上前、ここ八ヶ岳の人工林を買い、幼かったふたりの息子たちと“野良仕事”をして広大な雑木林を作ってきた。もとの木を伐り、本来八ヶ岳にあった広葉樹を植えていくことで虫も鳥もいなかった土地を蘇らせました。

 自然の中で鳥のさえずりを耳にする生活をしているうちに、野鳥に興味を持ち、1986年から野鳥の会の会員になったんです。

 会長就任のきっかけは15年前、強引に“拉致”されて口説かれたこと。僕はNHKホールで竹下景子さんとイベントに出演していて、「終わったら何を食べに行こうか」なんて楽しみにしていたのに、野鳥の会の幹部4、5人に渋谷の居酒屋で飲まされてね(笑)。

「じゃあ、やるよ。でもせいぜい2、3年だよ」と。

息子の死、そして認知症になった妻・二階堂有希子さん
 前任は小杉(隆・元衆議院議員)さんだったから、「たかが役者が会長かよ」という声もあった。だから今までの会長がやらなかったことをやろうと思いました。それが北海道から沖縄まで約90の支部全てを訪れ、「会長に教える勉強会」を開いてもらうこと。

 鳥のように全国を飛び回り、会員やその家族、知人と会話しました。その地域の山と海と川について、昼間は勉強会、夜はお酒も飲みながら。実に贅沢な役職でした(笑)。でも一切報酬はナシですよ。

「80になったら絶対にやめるからな」、そう強く言ってきて、ようやく今年、「名誉会長」になれました。
自然と鳥を愛する活動を続ける中で、つらいこともありました。4年前の5月には長男の真吾を咽頭ガンで亡くしました。彼は園芸家として活躍する傍ら、八ヶ岳倶楽部の経営にも奔走してくれて。まだ47歳、早すぎる死でした。

 僕が会長になるとき、彼は「パパ絶対やめてくれ」と反対してね。当時、企業やスポーツ界の「会長」が毎日のようにテレビで謝罪をしていたので「あれを見てよ。家族としては絶対反対だ」って。先日、会長交代のときに「幸せだったのは、謝らなきゃいけない場面がなかったことです」と、挨拶をしました。

 ママ(妻)の加津子は78歳ですが、重い認知症になって、特別養護老人ホームにいます。かつては二階堂有希子の名前で女優として活躍し、私を支えてくれました。今はつらいことは感じず、ただ機嫌よく暮らしています。

 僕が80になったら辞めると決めていたのは、「頭が元気なうちに、ぼける前に」ということ。会長は飾り物ではないのだから、ぼけることが一番怖かった。

 息子が死んでママが施設でお世話になるというのは、確かに大きな出来事でしたが、いずれ僕もそうなる。それはすごく感じています。

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以下略

 何年か前に八ヶ岳倶楽部に立ち寄った。庭園ならぬ雑木林を散策したり、コーヒーなど飲んで楽しく過ごした。柳生さんが楽しそうにファンと談話中だったが、途切れた時を見計らって会話を申し込んだら気楽に応じてくれた。柳生さんを知ったのは俳優であるが、親近感を持ったのが黒部川の十字峡の奥に流れる大滝のキャンプだったと思う。登山家のガイド付きだったが秘境中の秘境に入って、自分はこんなところに居て良いのかと涙を流して感動していた。自然が大好きな人物との共感を得たのである。