久女の忌彼方猿投の夫婦墓 拙作2022年01月21日

 21日は杉田久女の忌日である。いつぞや松本市の久女の句碑と父の赤堀家の墓地を訪ねたら久女の墓もあり、供花があった。1月下旬だったので忌日が修されたのだろう。当日の前後もだれかファンが集う催しがあると思われる。
 猿投山の彼方とは豊田市小原町松名の杉田家の旧家跡(数寄屋門のみ残る)を想うのである。幼少のころは幸福だったが杉田家に嫁いでからは不幸になった。それでも俳句の天分はよく発揮されて行く。夫・宇内が美術家になると見込んで結婚したのに中学校の美術教師になり果てて愛想が尽きたのである。
 そこで、詠んだ句は

 足袋つぐやノラともなれず教師妻  久女

・・・ノラはイプセンの『人形の家』の主人公である。高邁な理想主義の女を妻にするとこれだから困る。夫を見下げるとはそれだけ期待も大きかった。宇内は困ったものの惚れた弱みで生涯を共にした。
 北九州の小倉での生活を引き上げて小原村に娘の昌子と遺骨とともに引き上げるのだ。宇内は猟銃をもち三河の山野を跋渉した。宇内も死去し、墓は少し目立たない場所に夫婦並んで建てられている。
 久女の娘昌子は後にアメリカ文学者の夫の石一郎と結婚。母親の汚名を覆すべく活動する。
 灌沐(かんよく)の浄法身を拝しける   石昌子
 松本市、豊田市、小倉の関係先には今日も多くの久女ファンが訪れていることだろう。