老化分岐点2021年12月17日

 喫茶店で中日新聞の本の広告を見た。和田秀樹『70歳が老化の分れ道』(詩想社)である。
 55歳のころ、80年時代が言われ、定年後の20年をどう生きるか、というテーマの本が溢れた。参考にして、私は20年の内自営業で15年として行政書士を開業したが、もう残りの寿命は7年しかない。それが更に20年延長されたから書士業も延長するか、悩む。
 悩ましいのは認知症である。認知症は発症後10年は生きるという。
最近山岳会で活躍した大先輩の列伝を書いて知ったのは、大学教授や大企業の元幹部でさえ70歳代で認知症を発症し晩年は山岳会を退会されて82~83歳で老人施設で死去された。つまり72~73歳で発症したのだろう。知的環境にあれども発症は逃れえない。
 会計学でいう損益分岐点を応用すると70歳は老化分岐点なのでしょう。
 大切なことは夢を持つこと。元勤務先の創業者社長は雪隠大工から100億円企業にするとしてその通りになった。社長は「西山君、経営学部は経営に役立つ学問かね」とたずねられた。「無駄にはならんです」と回答し、その後2人の息子さんに承継して後、ゆずり葉(新葉が出てから落ちるので新年の季語になっている)のように86歳で死去された。
敬三さんは氷河の滑降を夢みたし、雄一郎氏は85歳を越えてエベレスト登頂を夢見た。夢がないとただの老人になり介護生活まっしぐらということです。
 自分では肉体的にはとても73歳との自覚はない。時々急病にはなるが、山のような薬を飲まされる持病はない。10年は若い気持ちでいる。当面山歩きも継続出来そうだ。ガンが発症したら手術しなくとも数年は生きる。してもしなくても同じなら受け入れるだろう。
 長寿は目出度いながら、お金、健康、人間関係を伴わないと悲惨です。老化はこの三つが複合的に衰微していくのでしょう。

”願はくば三浦敬三氏のやうに百歳までスキーするらん” 拙作

※三浦敬三は三浦雄一郎氏の父で青森県出身。八甲田山で鍛えられた山スキーの大家だった。100歳でヨーロッパの氷河を滑走している。