列伝原稿の構想2021年11月13日

 支部報のバックナンバーを辿ると酒のよもやま話、中高年の山岳遭難特集、ルートファインディング、猿投の森等の積極的な論考があるが今一です。
 そこで『異端の登攀者』を読んだら出てきた。橋村さんの原点はRCCⅡにあると断じた。成城大山岳部の資料も見つかったから参考になりそうです。
年譜
昭和12(1937)年 東京生まれ

昭和35(1960)年 23歳 成城大学経済学部卒業。在学中は山岳部に所属、剱岳や穂高岳で数々の初登攀を記録。

昭和39(1964)年 27歳
・日本山岳会入会。紹介は田中栄蔵、岸田権二、梶本徳次郎。
・RCCⅡの時報4月号に紹介
  橋村一豊君
成城大学山岳部OBで、東男の代表たるにふさわしい天才クライマーであるが、現在関西勤務で年1回の会心なる登攀が念願とか。

昭和41(1966)年 29歳 日本山岳会東海支部アンデス学術遠征隊に参加。アコンカグア南壁を第四登
RCCⅡの時報6月号に投稿「同人消息」② 橋村一豊君(RCCⅡ気付セニョール・オクヤマへの書信から)

「諸兄お元気ですか。アコンカグアの南壁は成功しました。悪いとは聞き及んでいましたが流石に手強い奴で、40日に亘る苦しい斗いでした。登攀の技術的部分は、例えば滝谷や剣など、日本の冬山で鍛えた我々の腕で充分こなせると思いましたが、只6000mをこえた高所でⅤ級(注:5級)というような処が出てくるので、非常に消耗的な登攀で、体力的にとても苦しかったです。ザイルは1500m位フィックスしましたが、これを掴んでのあえぎ、あえぎの荷上げは全く苦しい日々の連続でした。
 今秋たけなわのメンドーザ市へ下り、名物のぶどう酒を楽しんだり、美しいセニョリータを眺めたり(ばかりでもない)して休養中です。次はパタゴニア・アンデスを探検し、サンチャゴ経由船便で5月に帰国します。では、アディオス。」

昭和44(1969)年 32歳 RCCⅡ退会

昭和49(1974)年 成城大学ジャヌー(現クンパカルナ)遠征隊に登攀隊長として参加。第二登を果たす。

平成16(2004)年 東海支部に「猿投の森づくり」の会を立ち上げ、代表になる。

平成31(2019)年10月 逝去。享年82