鯉こくの食ひたき日なり普羅忌なり 石田波郷2021年08月07日

 八月八日。俳人前田普羅(本名忠吉、一八八四~一九五四)の忌日。「ホトトギス」へ投句、一躍大正期を代表する俳人となる。昭和四年、「辛夷」創刊主宰。

・近代の俳人の中で、もっとも多く切字を使った俳人は、前田普羅、飯田蛇第初、久保田万太郎、石田波郷の四人

霜柱俳句は切れ字響きけり   波郷

・波郷は他にも普羅忌を読んでいる。

・・・・俳句は韻律を重んじる。高浜虚子の自然詠に物足らないと決別した水原秋桜子とそこから派生した結社俳人らは叙情に流れて韻律性を忘れてしまった。社会を詠め、人間を詠めと主張されて、評論家もそれを支持した。俳句ジャーナリズムも人間探求派などと囃した。山本健吉が編集長になって囃した雑誌「俳句研究」も今は廃刊である。
 戦後の一時期に盛り上がったのである。社会性俳句は戦後の貧しさが背景にあったが俳人らも大学教授の職にありついて食えるようになると転向していった。
 人間を詠むのは良いが、人事句は季語のある川柳になりやすい。五七五の散文になった。実際、今はそんな駄句で溢れている。波郷は秋櫻子系でありながら普羅の俳句の韻律性に目覚めて、秋櫻子系の中のホトトギス派などと自分で言っていた。
 波郷は出征兵士だった。病気になって復員してきた。或いは復員後に病気がちになったのか。おそらくタンパク質の不足で栄養失調になったのであろう。肺結核になり死亡した。鯉こくはそんな病人にはごちそうに思えたのである。体が求めていたのだろう。